フラメンコ界きっての馨しいエトワール、3年ぶりの来日
エバが踊ると誰もが思い出すのだ。
心の奥底に眠る、言葉にならない感情を。
Photo by ruben Martin
<エバ・ジェルバブエナ プロフィール>
フラメンコ舞踊家、振付家。マイヤ・プリセツカヤに「現在最高のフラメンコ舞踊家」と言わしめ、伝統的フラメンコにとどまらずバレエやコンテンポラリーダンス界からも賞賛されている。英国ナショナル・ダンス・アワード最優秀女性舞踊家にノミネート、フラメンコ界でもっとも権威ある舞踊国家賞ほか受賞多数。またピナ・バウシュ招待によるフェスティバル出演や、カルロス・サウラ監督やマイク・フィギス監督映画作品への出演、ロエベやミッソーニのイメージモデルなど多岐にわたって活躍している。
Photo by ruben Martin
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『AY! アイ! 』作品解説
舞台にはエバとミュージシャンのみ。ギターと歌い手たち、パーカッション、そしてバイオリンが奏でる音楽と対話するかのように、黒い衣装のエバが一人踊る。踊り続ける。コンテンポラリー風の動きと純粋すぎるほど純粋なフラメンコが混在する、彼女独特のスタイル。華やかな衣装や大掛かりな装置などは何もない。何も必要ない。フラメンコとエバがいればいい。ソレア、タンゴ、子守唄、タランタ/タラント、カンティーニャ/アレグリアス、ブレリアス、シギリージャ。純粋なフラメンコ曲に彩られ、エバが一人、その踊りで語るのは、誰もが感じたことのある、名前もない、言葉にできない、小さな思いであり感情、心の動き。だから観る人誰をもの心の奥深くに染み込んで、忘れないものとするのだろう。
<エバ・ジェルバブエナからのメッセージ>
私は消えるだろう。もしかすると、影、夢…
生きたというあいまいな感覚
今のない次の瞬間夢のくぼみに、目に留まることがないから誰も名付けなかったものたちの名前があると、一人の物乞いから学んだ。
そして、気をつけてみると、見える、聞こえる、触れられる…感じられる。それは一音節、誰もが何と言うなかもわからず一度は口に出したことがある言葉、仕方なく息をつこうと探し、その瞬間に世界で誰かが名付けていると感じる、感じている、生きている… -
『Apariencias 仮面』作品解説
アパレンシアとは外観、見せかけという意味。そのタイトル通り、オープニングでアフリカのボーカルを踊る、坊主頭に赤い衣装をつけた筋肉隆々とした男性コンテンポラリーダンサーは、実はエバ。「フラメンコは何よりも現代的」と語る彼女が、フラメンコの伝統とルーツにインスパイアされ、想像をはばたかせる。限りない自由をもって。スカートの男性。スペイン国立バレエ団出身の二人をはじめとする四人の男性ダンサーたちが描く美しいかたちと動き。仮面をつけたエバ。翻るマントン(フラメンコ独特の大判のショール)。言葉。マラゲーニャ、ペテネーラ。そして最後、エバが踊る渾身のソレア(フラメンコ曲の一つ)に観客は皆圧倒されることだろう。フラメンコのパワーを、エネルギーを感じさせる作品であることに間違い無い。
<エバ・ジェルバブエナからのメッセージ>
創造するためには争いが必要?
どこに起源があり、そこまでどれだけ離れている?
常に足跡を残すことが必要?
創造しないと自分たちを目にみえない存在に感じてしまう?
幕が開いたとき私たちは誰なの?
3年ぶりに日本に行くことができて本当に嬉しいです。日本は大好きな国ですし、皆が行くべき国だと思います。フラメンコはもちろん、どんなスペクタクルでも日本に行かなくてはいけません。
みどころは、とよく聞かれるのですが、私は観客の皆さんに自由に見てもらいたいと思っています。私自身もどんな舞台を見に行っても開演前にプログラムは読みません。観客の皆さんに驚嘆して欲しいとは思いません。それよりも感じてほしい。心が動くような体験をしてほしいと思っています。
舞台の上のジェルバブエナを知っている人が、実際の私に会うと「なんて小柄なの!」って驚くんです。これはいいことですよね?舞台には魔法があります。
アルハンブラの中の野外劇場で初演した「フェデリコ・セグン・ロルカ」や、「クアンド・ジョ・エラ」がまだ日本に持っていけていないのはとても残念です。私が大好きなこれらの作品をもいつかオーチャードホールで上演できれば、と夢見ているのです。