メッセージ

いま改めて、人類の力を信じて。

本寄稿を用意している本日、オーチャードホールでは『くるみ割り人形』が開幕しました(2020年12月2日)。
現状において、複合的な要素を必要とする大規模なバレエ公演の開催を実現するには、非常な苦労と覚悟が求められています。15年前にKバレエで初演して以来これまで、年末の恒例として当たり前のように毎年上演してきた演目ですが、あてもなく彷徨うごとく舞う雪のシーンを前に、「この世には当たり前のことなど何もない」という想いに駆られたのは初めてのことです。

感動を得ていた日常がいかに大事なものであったかを痛感すると同時に、いまはまだ芸術文化を楽しむ心の余裕がない観客のみなさまもおられると思います。アーティストやスタッフのなかにも、日々生きていくことへの不安が芸術に身を捧げることを妨害している現状にある方もいるでしょう。
『くるみ割り人形』は1892年に誕生しました。その後に訪れるスペイン風邪の流行や世界大戦の最中でも人々は、愛らしくも切ないこの曲を愛で、次の時代に託し、その約130年後に未曽有の事態に襲われた我々もまた、同じ音色に心を寄せています。芸術を取り巻く状況は、いまだ楽観視できないですが、過去の歴史を振り返り、一つだけ確実に言えることは、いかなる災害や不況が来ようと普遍の芸術は必ずや残るということなのです。
コロナ禍を経た社会では、リセットされる固定概念もあるでしょう。その時、新しい価値観のもと改めて文化の質が問われたとしても、オーチャードホールは、座席一つ一つに豊かな時間を過ごせるという絶対的な保証を提供できる空間でありたいと改めて願います。
人類が持つ無限の力は、様々な困難に打ち勝ってきた歴史が証明しています。 新たな年を迎えるにあたり、いま改めてその力を信じて。

Bunkamuraオーチャードホール芸術監督 熊川哲也

©Takanori Fujishiro

熊川哲也
Tetsuya Kumakawa

プロフィール

北海道生まれ。1987年、英国ロイヤル・バレエ学校に留学。89年、ローザンヌ国際バレエコンクールで日本人初の金賞を受賞。同年、英国ロイヤル・バレエ団に東洋人として初めて入団。91年には同団史上最年少でソリストに、93年にプリンシパルに昇格。主要なレパートリーで数々の名演を残し、名実共に世界的ダンサーとしての評価を確立する。98年、英国ロイヤル・バレエ団を退団。翌99年、K-BALLET COMPANY(現:K-BALLET TOKYO)を設立。以来、芸術監督/プリンシパルダンサーとして団を率いるほか、演出・振付家としても才を発揮し、全幕古典作品の演出・再振付や、台本から手がけた完全オリジナル全幕作品『クレオパトラ』や『蝶々夫人』などの新作を数多く上演している。また、劇場音楽を専門とするシアター オーケストラ トウキョウの設立、後進の育成機関として2003年にK-BALLET SCHOOLを創設するなど、総合芸術としてのバレエを多角的にサポートする組織を運営。13年、紫綬褒章受章。23年7月、バレエ芸術文化の振興を目的とした一般財団法人熊川財団を創立。
Bunkamuraオーチャードホール芸術監督には12年1月に就任。12 年2月、芸術術監督就任記念『シンデレラ』世界初演をはじめ、14年「オーチャードホール25周年ガラ」、19年 Bunkamura30周年記念 フランチャイズ特別企画 熊川版 新作『カルミナ・ブラーナ』世界初演、15年および19年「オーチャード・バレエ・ガラ~JAPANESE DANCERS~」、20年「オーチャード・バレエ・ガラ ~世界名門バレエ学校の饗宴 2020~」総合監修を務めるなど、豊かな時間を提供する絶対の場としての劇場作りに尽力している。18年よりK-BALLET COMPANYはBunkamuraオーチャードホールとフランチャイズ契約を締結。

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