芸術監督就任に
あたって

芸術監督をやらないか?そう、Bunkamuraの方に言われ、驚きとともに、ずいぶんと悩みました。シアターコクーン芸術監督という仕事の前には、串田和美、蜷川幸雄、という二人の巨匠の名前、その、とてつもない業績が切り立った山のように立ちはだかっております。その後に松尾スズキなどという軽薄な名前の、演劇人なのかコメディアンなのか、実体のフワフワした人間が続いてよいものか。良識ある演劇関係者らが鼻白む姿がありありと目に浮かびます。そこで、私は、とある茶室にて、率直に聞くことにしました。「私がコクーンの芸術監督になって私が得をすることってなんなのですか?」と。

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Bunkamuraの方は、しばらく考えて、私の耳に唇を寄せて言いました。「この渋谷の劇場が…松尾さんのための劇場になるんですよ」そのとき、私の脳裏に故浅利慶太さんのお姿が浮かびました。
それは、自分の劇場を持ちに持った、薄いサングラスをかけた男の御影です。
尊敬する演劇人は誰か?と聞かれるたび、私は浅利さんの名前をあげていました。劇場を持つ。すべての演劇人の夢を徒手空拳の状態から実現した男が彼であるとすれば、その名が浮かぶのは当然の成り行きでしょう。
「…なるほど」
そしてまた、私は、もう一つの疑問をぶつけました。
「で、実際、串田さん、蜷川さんは、芸術監督としてどういうことをやっていたんですか?」
Bunkamuraの方は「うーん」と、しばし、口に手を当て、軽く目を閉じて言いました。
「人、それぞれ…ですね」
でしょうね。
そう、私は思いました。串田さん、蜷川さん、お二人の仕事ぶりを見るに、
「好きなようにやってらっしゃる」
としか、私には思えなかったからです。
これが公共の劇場ならそうはいかないでしょう。なにしろ、税金を使ってやる仕事です。役人を交えた煩雑な手続き、書類の作成、会議につぐ会議、そういう、私の最も苦手な作業が目に浮かびます。会議をしていると私は、家に帰りたくなるのです。しかし、シアターコクーンはBunkamuraという一企業の劇場。国民のために演劇がどうあるべきか、などということは、一切考えずに芝居がやれる。私は、常々、自分の「オリジナリティの追求」のためだけに芝居をやって来ました。今さらぶれたくない。いや、30年以上、ぶれずにいたからこそ、チケットが売れ、信用を生み、人材が集まり、スタアが生まれて来たのだと、そう信じています。串田さんも、蜷川さんも、キレイごとを抜きに、おのれの演劇に対する欲望を忠実につらぬき、その結果が評価に結びついたのだと思います。それはきっと、ひとまわりしてむしろ日本のために効いている。私は先輩たちのメンツにかけてそう思いたい。
キレイごとを嫌い続けていれば、自然にキレイな表現者になれるのです。
見たいものだけが集い、見たくないものは見ない自由を行使すればいい、演劇は、見せるものと見るものの関係が、非常に健康的な文化です。私は、Bunkamuraの予算を使い、稽古場を使い、劇場を使い、好きなスタッフと好きなプレイヤーを集め、先人のように、好き勝手にやってやろうと思います。在任中に、松尾のオリジナリティを大劇場に向けて絞り出し切ってやろうと思っています。出し切るためには、多少のわがままも言う。それが、選ばれたことに対する誠実さだと考えております。ダメでもともと、Bunkamuraの社員が何人かがっかりするだけじゃあないか。
打診を受けてから2年、具体的なアイデアは頭の中でひしめきあっています。アーティスティックなものから、あからさまなエンターテインメントまで。ひしめきあいすぎてここには簡単に書けません。

どうか、ご期待、そして、なにかと生温かい目で、よろしくお願いします。

©細野晋司

松尾スズキSUZUKI MATSUO

1962年12月15日生まれ、福岡県出身。1988年に大人計画を旗揚げ。主宰として作・演出・出演をつとめながら、宮藤官九郎ら多くの人材を育てあげている。1997年『ファンキー!~宇宙は見える所までしかない~』で岸田國士戯曲賞受賞。演劇以外にも、小説家・映画監督・脚本家・エッセイスト・俳優として幅広く活躍。小説『クワイエットルームにようこそ』『老人賭博』『もう「はい」としか言えない』は芥川賞候補、主演したテレビドラマ『ちかえもん』は文化庁芸術祭賞ほか受賞。2019年には正式部員は自身一人という「東京成人演劇部」を立ち上げ、小規模空間での舞台上演にもこだわっている。

これまでのシアターコクーンでの松尾スズキ作・演出作品

©細野晋司

2000

キレイ ―神様と待ち合わせした女―

©谷古宇正彦

2003

ニンゲン御破産

©谷古宇正彦

2005

キレイ ―神様と待ち合わせした女―

©谷古宇正彦

2008

女教師は二度抱かれた

©引地信彦

2012

ふくすけ

©引地信彦

2014

キレイ ―神様と待ち合わせした女―

©細野晋司

2016

ゴーゴーボーイズ ゴーゴーヘブン

©細野晋司

2018

ニンゲン御破算