シアターコクーン芸術監督 松尾スズキ

コロナの荒野を前にして

松尾スズキ

2020年7月3日

芸術監督になった途端、コロナ禍が起き、自分が出演する予定だった舞台はおろか、コクーンで上演される予定の公演がバタバタと音を立てて軒並み中止になった。
一公演で億単位の予算を使うコクーンの現状は、焼け野原、荒野である。
荒野の前にスタートラインがひかれ、そこに私は立っている。
実に自分らしいスタートだと思う。

そういえば、去年就任式をかつてないほど大々的に行ったが、登壇の直前、オーチャードホールの、カーペット生地でやわらかくコーティングされた階段に、底がツルツルの革靴で一歩踏み込んだ途端、ズルズルと豆腐が鍋に落ちるような滑らかさでもって、私は大勢のマスコミの前で倒れ落ちていったものだった。
あれも自分らしかった。
あのときは笑い事ですんだが、今回はもちろん笑い事ではない。おおいにない。なにしろコクーンの演劇に関わるのは俳優や演出家、そしてお客さんだけではない。照明家、美術家、音響、衣装デザイナー、メイクアップアーチスト、振付家、大道具制作、宣伝プランナー、そして、彼らの助手達、下請け、孫請け、美術セット搬入時のバイトたち、地方公演の興行主、チケット配券業者、etc…。多くのスタッフたちの仕事が半年ばかり、ガサッと消失したのである。
公演中止は、やむをえないことではあるが、その数7本。芸術監督として、仕事と収入源を失った人間の多さを目の当たりにし、私は呆然とするしかなかった。
演劇なんてなくても生きていけるし。
コロナ禍の中、ある演出家氏の発言を巡って、ある種の人々がそんなふうに言った。それは、ひきつりながらであるが、うなずけない話ではない。私だって、なくても生きていけるものはある。正直、オリンピックがなくても生きていけるし、パチンコ、競馬、ボウリング、なんならテレビだってなくてもネットがあるので生きていける。なくても生きていけるもので世の中は満ち溢れているし、おのれの戒めとして、しょせん、なくてもさほど他人が困らない仕事をしている、という忸怩たる思いは常に胸の中にある。というより、その自戒は私の表現の在り方の根幹にどんと大きく横たわっている。おかげで、腰の低い生き方をしてこられた。とっつきにくい見てくれだが、愛嬌だけはある。
とはいえ、人間は、なくてもいいものを作らずに、そして、作ったものを享受せずにいられない生き物だとも私は思っている。生きるに必要なものだけで生きていくには、人間の寿命は長すぎるのである。人はラスコーの洞窟になぜ壁画を描いた? 時間が余ったからである。暇つぶしに、描いて「どう?」と問うものがあり、「うん! 牛っぽい!」と喜ぶものがいたからである。豊かさは同時に暇を生む。そして、暇を持て余すことに苦しみを覚えるのが人間だ。だから、禁固刑という刑罰がなりたつのである。かつて、「野猿」というグループが解散したとき、「もう生きてなくていいや」とばかりに、自殺した女子高生二人組みがいた。人はともすれば、「野猿」が解散しただけで自殺してしまう生き物だと知り、戦慄したことを覚えている。生半可な気持ちで「自分に必要ないものなどなくてもいい」とは、言い切れない。私は、少しでも長生きしたくてずいぶん前にタバコをやめたが、それでも、タバコがこの世からなくなればいいと思わないのは、タバコを欲する人のタバコ愛というのは並々ならぬものがあり、それに税収も馬鹿にならないし、と考えるからである。
しょせん暇つぶし。しかし、人は命がけで暇をつぶしているのだ。
自分が、東京で芝居を始めるとき、目の前には荒野しかなかった。友達も仲間もほぼゼロ。ジーンズメイトで買った服に松尾スズキというふざけた名前だけをまとった、どこの馬の骨ともわからない、九州から出てきたばかりのプータローにとって、これから踏み込もうという演劇界は、乾いた風の吹きすさぶ荒野以外の何物でもなかった。思えば無謀だった。でも、自分の中に無謀がなければ、今の自分はいない。
そして、今、目の前にはなにもない。あの頃と同じようになにもない。
ガランとした大きな劇場だけがある。
ロビーだけでも、私が初めて芝居を上演した劇場の舞台の10倍以上はある。その虚無の広大さに崩れ落ちそうになるが、ままよ、アイデアが湧いてくる。30年以上前のあの頃と同じように、無謀なアイデアが。そして、まず、WOWOWで、松尾スズキプレゼンツ『アクリル演劇祭』というコクーンを舞台とした奇天烈な番組が出来上がった。これはまだ序章だ。
かつて私が『TAROの塔』というNHKドラマで演じた岡本太郎は、終戦後焼け野原になった東京でスキップしながらシャンソンを歌った。フランス語なので覚えるのが大変だったが、 非常にバカバカしくて、そして、涙が出るほど美しいシーンだった。初めて主演したそのドラマは、放送第二回目を前にして3.11の大地震が起き、ニュースで放送時間がズタズタになった。必死で覚えた長台詞を喋る私の顔の上に容赦なく津波の被害のテロップが流れる。もちろん、地震のニュースに比べれば、ドラマなんてなくてもいい。
実に自分らしい初主演だった。
しかし、私はあのときの太郎さんのように、焼け野原を前にしてシャンソンを歌おうと思っている。喉元にはもう、その歌は溢れかえっている。
早くお会いしたい。お客様にも、仕事を失った大勢の仲間たちにも。再開の形は今まで通りとは行かないかもしれない。でも、お待ちいただきたい。私の初舞台は、美術セットはなく、椅子が五つだけ、出演者は五人、客は身内が五〇人。そこから始めました。まさに荒野でした。
荒野に立ちがちな演出家です。
なにか言いたくて、筆を執りました。今は筆を執ることしかできませんが、それしかできないことすらやらないなんて怠慢すぎる気がして。とりあえず。

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©細野晋司

松尾スズキSUZUKI MATSUO

1962年12月15日生まれ、福岡県出身。1988年に大人計画を旗揚げ。主宰として作・演出・出演をつとめながら、宮藤官九郎ら多くの人材を育てあげている。1997年『ファンキー!~宇宙は見える所までしかない~』で岸田國士戯曲賞受賞。演劇以外にも、小説家・映画監督・脚本家・エッセイスト・俳優として幅広く活躍。小説『クワイエットルームにようこそ』『老人賭博』『もう「はい」としか言えない』は芥川賞候補、主演したテレビドラマ『ちかえもん』は文化庁芸術祭賞ほか受賞。2019年には正式部員は自身一人という「東京成人演劇部」を立ち上げ、『命、ギガ長ス』を上演、小規模空間での舞台上演にもこだわっている。同作で第71回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。

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