Bunkamuraオフィシャルウェブサイト

サイズ

  • 日本語
  • English
  • 中文簡体
  • 中文繁体
  • 한국

受賞作品 | Bunkamuraドゥマゴ文学賞

  • 今年度の受賞作品
  • 受賞作品一覧

第31回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品

堀川理万子 作

『海のアトリエ』

(2021年5月 偕成社刊)

選 考 江國香織
賞の内容 正賞:賞状+スイス・ゼニス社製時計
副賞:100万円
授賞式 授賞式 2021年10月26日(火)於:Bunkamura

当日開催した贈呈式の模様を動画でご覧いただけます。
同日開催した受賞記念対談の動画は「Bunkamura STREAMING」のオンデマンド配信にてご覧いただけます(要登録・視聴無料)。
受賞記念対談の視聴はこちら
受賞者プロフィール

© 安達康介

堀川理万子(ほりかわりまこ)

1965年東京都生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修了。画家として絵画作品による個展を定期的に開きながら、絵本作家、イラストレーターとしても作品を発表している。おもな絵本に、『ぼくのシチュー、ままのシチュー』、今昔物語絵本『権大納言とおどるきのこ』、『くだものと木の実いっぱい絵本』、『おひなさまの平安生活えほん』、『けしごむぽん いぬがわん』、『びっくり まつぼっくり』(多田多恵子・文)、『氷河鼠の毛皮』(宮沢賢治・文)などがある。

選評

「文章にされていない、そういう全部」/ 選考委員 江國香織

 美術館で一枚の絵をみるとき、そこに豊かな物語を感じることはあっても、それを文学とは呼ばない。では、絵本は?絵本はもちろん文学である。文章がついているからではない。絵本においては、絵が言葉だからだ。
 堀川理万子さんのかかれた『海のアトリエ』を読めばすぐにわかる。一枚ずつすべての絵が、どんなに繊細に、静かに、かつ生き生きと、多くを語っていることか。
 たとえば縁側の場面。女の子の履いている下駄は、ちょっと気を抜くと片方が落ち、下の沓脱ぎ石にぶつかって、カタンと音を立てるだろう。なぜかいつも片方で、両方がいっぺんに落ちるということは(ほぼ)ない。彼女が左手で握っている容器は、こぼれたしゃぼん玉液でぬるぬるしているはずだ。ストローをどんなに慎重に液につけても、あれはどうしてもこぼれるから。女の子の耳に、電話中の母親の声は届いている。でも、彼女にとって、それは世界の外側の音声みたいに聞こえるだろう。それよりも、土の匂いや蚊とり線香の煙の匂いの方がずっと親しいものだ。こんなふうにガラス戸があいていても、室内は外よりもずっとひんやりしている。この手のガラス戸は、開けたてするのにややコツが要るのだが、たぶん彼女はそのコツをすでに知っている。木枠のなかでガラスがふるえる音と、それが手に伝わる感触。
 あるいは「絵描きさん」の家――。昼も夜も、いつもすこし窓があいているから、新鮮な海風が入るだろう。仕事のしやすそうな家具の配置と、使い込まれた道具。アトリエは、しっとりした画材の匂いがするだろう。夕食のときに鳴っているレコードは、たぶん古いジャズだ(主観です)。壁に飾られているお皿はヨーロッパ(ギリシャとか、ポルトガルとか?)のものに見えるので、もしかすると「絵描きさん」はそっちの方に住んでいたことがある人なのかもしれない。女の子が手や足に絵の具をつけて大きな紙に絵をかく場面では、手足を紙から離すときの、にちっという音まで聞こえる。寝るときにそばにいてくれる猫の心地いい重みや、ぴんと張られたロープに洗濯物を干すときの、一枚ごとに返ってくるロープの弾力。
 二人が訪れる美術館の床は磨きあげられ、かかとのある靴で歩くとコツコツ音がするだろう。ベランダにでられるかと思いきや、そこにはガラスがはまっていて、私のような粗忽者がきっとぶつかる。
 そして海――。この、いかにもつめたそうな水の青。深さの変化、そして広さ。泳いでいる女の子の手足が感じているであろう水の抵抗や、彼女の息づかい、顔にかかるしぶきや、そのしおからさ。
 文章にされていない、そういう全部がここにあり、頁をめくるたびに目の前にひろがる。五感全部を満たされ、ここにいながらそこに連れて行かれる。本のなかを風がわたり、確かに時間が流れているということ――。
 一度も言及されないけれど、「おばあちゃん」が夫(たぶん)を深く愛していたのであろうことが彼女の部屋の様子からわかるし、「絵描きさん」にやや奇矯(?)なところがあることも、イブニングドレス姿から垣間見える。それは、登場人物たちの秘められた人間性だ。何層にもなった物語が、理屈も説明もなくこの一冊に閉じ込められている(何層にもなったで思いだしたが、パーティーのための料理をする場面で、「絵描きさん」はラザニアを作っている。隣で女の子はベーコンもしくは豚バラ肉の薄切りで、何かを巻いて楊枝でとめている。その何かはプルーンみたいに見えるが、大きいオリーブかもしれない。何だろう。そんなことを考えるのも愉しい)。
 一人で選んでいいというこの贅沢な文学賞に、これ以上なくふさわしい、贅沢な絵本だと思う。

@ 高橋依里

江國香織(えくにかおり)

1964年東京都生まれ。1987年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞、1989年「409ラドクリフ」でフェミナ賞、1992年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、1999年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、2004年『号泣する準備はできていた』で直木賞、2007年『がらくた』で島清恋愛文学賞、2010年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、2012年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、2015年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞。他の小説作品に『流しのしたの骨』『神様のボート』『なかなか暮れない夏の夕暮れ』など多数。エッセー・詩・童話・絵本・翻訳など多彩なジャンルでも活躍している。

受賞の言葉

絵を「読んで」もらえる喜び / 受賞者 堀川理万子

 このたび、江國香織さんが『海のアトリエ』をBunkamuraドゥマゴ文学賞に選んでくださいました。その選評は、作者である私自身をインスパイアしてくれる、まさに文学的なものでした。江國さんが最良の読者の一人として、ご自身の記憶や、経験や、人生の時間を重ねながら、この絵本を「読んで」くださったことに、望外の喜びと深い感謝を覚えます。

 江國さんは「絵本はもちろん文学である」とも書いておられました。私は、絵本から、読者のさまざまなイマジネーションが立ちあがってくれることを願いつつ制作しています。読者によってさまざまな見え方、感じ方を誘い、読者固有の感覚や想像を呼び起こし、そして、それがその人ならではの極私的な体験にまでなり得る、それが文学の力だとしたら、絵本を文学だと言い切ってくださったことは、なによりも大きな励ましです。

 絵本は、文章と絵とが互いに補い合って世界を作ります。その場合、絵は文章を説明しないこと、文章は絵を説明しないことが理想となります。文と絵はどちらが主でも従でもありません。でも、絵本を話題にするときに語られるのは、その粗筋やメッセージであることが多いのも事実です。江國さんは、あえて、いわゆる文学が担うものだと思われているストーリーやテーマには触れず、絵本の絵の中に、その細部にこそ、読者の五感を満たし、時間の流れに引き込む力があるのだということを書いてくださいました。

 この絵本は祖母と孫の対話で進みます。その祖母の部屋の仔細を絵の中に描き込みました。本棚には「漱石全集」「チボー家の人々」、外国の画集。窓辺には、民藝風の土瓶、カメラ、亡夫の写真とネクタイ、テディベア、蹄鉄などなど。この祖母の人となり、趣味、彼女自身の人生をその絵の中に描きたかったのです。

 そして次に場面は祖母の子ども時代(昭和30年代に設定しました)に移ります。夏休みを屈託しながら過ごしている少女が、ある女性の画家のアトリエに行くことになるのです。自宅に閉じていた日々から、光や風に開かれた海辺のアトリエでの生活へ。舞台は、湿度を感じさせる日本家屋から解放的なモダン建築へと変わります。画家はどんな絵の具で、どんな作品を描いている人なのか。音楽の好みは。どんな料理を作って食べるのか。さらに、画家と少女はどんなふうに日々を楽しむのか。画家は、少女が老いてもなお忘れられない人物になるわけですから、そこに味わい深い人間的な魅力と確かなリアリティが出るようにと、そんなことに答えを探しながら、画面のディテールを描いていきました。

 海辺のアトリエでの日々を体感してもらうためには、それぞれの場面に応じた光を描くことにも留意しました。天窓のあるアトリエを満たす屋内の明るさと、どこまでも広がる海に照りつけるまばゆい外光。夜の室内の温かで親密な灯りと、窓から差し込む月明かり。そして1日のはじまりの清々しい朝日。

 そのような表現をするために、今回は透明水彩絵の具を使いました。この絵の具は、けして私にとって扱いやすい画材ではないのですが、余白と馴染んで画面に大きな空気感を生み、また細かい描き込みもできるということから選んだものです。

 ここにこうして書いてきたような意図が、実際にどこまで実現できたのかは心もとありません。ですが、そうやって描き上げた絵を、今回、江國さんがこのように豊かに読みとって、そしてこの文学賞に選んでくださったことは、拙著のみならず、絵本の絵を「読む」ことの喜びについて、あらためて気づかせてくれることでもあると思いました。

 そして、心の自由を大切にして、日々を丹念に生きる画家との遠い夏の思い出が、一人の少女の人生の支えになったという物語でもあるこの『海のアトリエ』が、読者の日々を静かに元気づける一助となれたら、こんなに嬉しいことはありません。このたびは本当にありがとうございました。