優れた映画の中には、観たときの自分の感情を瞬間凍結してしまうような作品があります。未来の自分が振り返って、いつでもその瞬間の感情をそのまま取り出し解凍できるような、あるいは過去の自分がまるでちょうどその映画のことをずっと待っていたのだと感じられるような作品です。
2024年5月17日、第77回カンヌ国際映画祭の会場で『ナミビアの砂漠』を観たとき、まさにその感覚にとらわれました。Carne BollenteのTシャツを纏う主人公カナをカメラがとらえたオープニングからラストシーンまで、圧倒的に「今」を感じさせる映画でありつつも、それが記号的な「今っぽさ」ではなく、過去と未来をつなぐための確かな「今」として立ち上がってくる──まぎれもない大きな喜びに満ちた上映でした。
本作はカンヌ国際映画祭の現地でも高い評価と話題を呼び、山中瑶子監督は「国際映画批評家連盟賞」を史上最年少で見事受賞されました。あれから3カ月半、いよいよ9月6日より『ナミビアの砂漠』がBunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて公開となるタイミングで、山中瑶子監督にお話を伺うことができました。
『ナミビアの砂漠』の主演・河合優実さんは、高校生のときに山中監督の初監督作品『あみこ』を観て「女優になります」と書いた手紙を監督に手渡したそうです。特に同世代や若い世代の人々にとって大きな刺激となっている山中監督に、映画監督してどういう人でありたいといった思い、そして映画という芸術はどのような存在かとお聞きしたところ、難しい質問にもかかわらず真摯に語ってくれました。
「『あみこ』を撮った前後の時期は、『四六時中ずっと映画のことを考えているのが映画監督としてあるべき姿』みたいなことを本気で思っていました。たとえばひどいことを言われたり、されたりしても、『これは映画のネタになる』とか……人にも言われますからね、私が『いやなことがあった』と話しても、『映画のネタになるから糧にしなよ!』とか結構簡単に言われたりして、ちょっと感覚が麻痺していってしまったんです。そのあとに映画業界の労働環境や性加害の問題が表出して、それまでの自分のモードが変わって、『え、なんか映画しょうもな』と、映画づくりに対して疑念が生まれました。」
「それからコロナ禍で制作が延期になり、わりと自分と向き合う、『無理に映画を作らなくてもいい』ような時間ができて、今思い返せばその期間が私にとってはすごくよかったです。『生活をないがしろにしてでも映画のことを考えるのが、映画監督として真っ当である』みたいな思い込みから抜け出せて本当によかった。そういう考え方が、映画のためなら他人を踏んでいいということにつながりかねないと気づきました。あまり映画のことを信じすぎないようになったというか。映画だけのためには絶対に生きたくないし、生きている過程、その延長に映画を作れたらいい。それを最優先したいと、ここ数年ですごく考えていました。」
「映画は社会を映す鏡だから、映画で描かれていないと、社会に存在しないということになってしまう。だからとにかくたくさんの視点から、幅広い映画が生まれるように──いろいろな属性の人が監督したり、脚本を書いたりするのが当たり前なように早くなってほしいですね。いろいろな映画があるというのは豊かなことで、映画は他者のことを訳してもくれるし……私にとってはそこが、映画の存在意義として重要かなと思います。」
山中監督にとって、心の支えとなるような映画監督がいるかを聞いたところ、ある監督の名前を挙げてくれました。
「ロウ・イエ監督(『天安門、恋人たち』『スプリング・フィーバー』などで知られる中国の映画監督)ですかね。『ナミビアの砂漠』でも参考にさせていただきましたが、やっぱりロウ・イエの手持ち(撮影)にこそフットワークの軽さを感じるし、まさに『被写体を追う』感じだけど、そこに甘んじてもいないというか。ちゃんとドラマがあって、人間の根源的な葛藤がすごく丁寧に描かれているから、信頼している監督のひとりです。」
そんな想いとともに撮影された『ナミビアの砂漠』の作品自体についてもたくさんお話を伺いました。なお、ここから先のインタビューは映画『ナミビアの砂漠』の本編や結末についての内容を含みますので、ぜひ映画本編をご覧になってからお読みください!
監督の過去作もすべてそうですが、まずセリフ自体と、登場人物によるそのセリフの演技、どちらも「これはちょっとすごいな……」と驚く面白さでした。セリフはもちろん監督が書かれたと思いますが、俳優の皆さんの話し方などは監督からの演出や話し合いなどがあったのでしょうか?
事前にリハーサルを何度かしているので、そこで少しの調整はあったり、こだわりのあるところは伝えたりしていましたが、すべてに事細かになにか指示があったわけではなく。河合さんに委ねているところも大きいです。
セリフ自体も素晴らしかったですし、演技も観ながらずっとびっくりしていました。
私もびっくりしていました、「すごいな、河合さん」って。思った通りどころか、思った以上で……発声の使い分けがすごい。劇中カナが仕事をしているときの声の出し方、お腹から声が出ていない感じとか、人をなじるときのちょっと揶揄をしているような声の出し方とか、いろいろな声色があって。それをこちらがなにも言わずともやってくれる人はあまりいないので驚いてばかりでした。
私はこの映画を、ひとつ挙げるならば「想像すること」についての話だと思って観ていて、そこがすごく感動したポイントでした。たとえばいまこの瞬間、部屋の壁の向こうには隣人がいて、海の向こうのナミビアにも動物が生きていて、どこかでは爆撃が起きて車が揺れアラームがなっていて…という、忘れがちだけどいまもどこかにいるはずの他者への、カナの想像力の働かせ方が垣間見えて印象的です。一方で、そんなカナのことをまた誰かが想ってくれているさまが焚火のシーンなどで描かれていて、そういった「他者を想うこと」で映画が貫かれている点に、とても心が動かされました。振り返ってみるとご自身ではどのような映画だと感じますか?
ああ、いまの感想はすごくよくて……うん、よかった。伝わっている感じがしてうれしいです。ただ、カナが自覚して他者を想像できているかというと、それはまた違うかもなと私は思って。もしかしたら「距離感」の話かも……隣人との距離、ナミビアとの距離、友人や恋人との距離、そういった距離を埋めるには言葉やコミュニケーションがどうしても必要で、でもカナには人の言葉が全然響いていかない。だけどそんなカナに、人の言葉が響くようになってくる話なのかな、と思ったりもしました。でも「想像する」みたいなことは全体を通してすごく考えながら撮っていたので、映画としてはそうだと思います。
たしかに、劇中「コミュニケーションが足りてなかったよね」のようなセリフもありました。
最後カナとハヤシが、親戚からの電話で中国語を浴びるシーンは、これまで権力闘争のようなことをしていたふたりが、最後の最後でもっと「わからない」言葉に直面することで、やっとふたりで同じ地平に立てて終われるかな、ということを考えていました。でもそれを脚本で書いて、感覚的にはわかるところがあっても、実際に芝居を見るまでは誰も「ここでこの映画を終えられる」って思えてなかったです。文字で読んでもあまりピンとくるようなものではなくて、私自身も直感的に書いてしまったなって。でも現場でふたりの芝居を見たときに、「ここでこの映画は終えられる!」と確信して、とても感動しました。
最後のシーンでいうと、部屋の家具の配置が中盤と比べて左右対称に入れ替えられていたように見えたのですが、あれは意図したものでしょうか?
よく気が付きましたね!マンションの撮影は俳優の支度用だったり荷物を置いたりするのに隣の部屋も借りることが多いのですが、あそこの物件は左右対称の間取りのふたつの部屋が、実は壁一枚外すと中で繋がっていたんです。ロケハンのときにそれを見たカメラマンが、「物語の終盤で部屋を入れ替えるのはどうですか?」と言いだして。その場に美術部の方もいて、作業が大変なのは美術部なのに「いいですね」って(笑)。面白いなと直感的には思ったのですが、実際にやるのなら「なぜ反転するのか」は自分の中だけでも決めておかないとな、と考えました。
劇中、カナとハヤシがふたりで食卓に向き合って座るのは中盤の喧嘩のシーンと、あの最後のシーンだけです。中盤の喧嘩のシーンは状況がすごく悪化していて、救いようのない感じもする。だけど最後は、そんな単純なものではないけれど私としてはハッピーエンドにしているし、その上でふたりにまたあの席に座ってもらいたいと思いました。でもこれまでと同じではなんかダメだな、となったときに、(部屋が反転しているというのは)「決定的に変わってしまった」表現としてはいいのかも、と思ったんです。
資料にも書いてありましたが、本当に皆さんが自由に意見やアイデアを言う撮影現場だったのですね。
そうですね。私ですら「それってどういうこと?」とすぐにはわからないような面白いアイデアをみんなポンポン言ってくれるので、もちろん取捨選択はしていますが、すごく楽しくて豊かな映画づくりでした。
文・インタビュー:浅倉 奏
(Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下 番組編成)
〈山中瑶子監督プロフィール〉
1997年生まれ、長野県出身。日本大学芸術学部中退。独学で制作した初監督作品『あみこ』がPFFアワード2017に入選。翌年、20歳で第68回ベルリン国際映画祭に史上最年少で招待され、同映画祭の長編映画監督の最年少記録を更新。香港、NYをはじめ10カ国以上で上映される。ポレポレ東中野で上映された際は、レイトショーの動員記録を作った。本格的長編第一作となる『ナミビアの砂漠』は第77回カンヌ国際映画祭 監督週間に出品され、女性監督として史上最年少となる国際映画批評家連盟賞を受賞した。監督作に山戸結希プロデュースによるオムニバス映画『21世紀の女の子』(18)の『回転てん子とどりーむ母ちゃん』、オリジナル脚本・監督を務めたテレビドラマ「おやすみまた向こう岸で」(19)、ndjcプログラムの『魚座どうし』(20)など。
〈作品情報〉
『ナミビアの砂漠』
Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下にて9/6(金)よりロードショー
『あみこ』で史上最年少ベルリン国際映画祭出品
山中瑶子 監督・脚本 × 新時代のアイコン 河合優実主演
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©2024『ナミビアの砂漠』製作委員会
★本インタビューはBunkamura magazine内の、“文化の継承者”として次世代を担う気鋭のアーティストたちが登場し、それぞれの文化芸術に掛ける情熱や未来について語るコーナー「Bunka Baton」の一環として収録されたものです。