Bunkamuraでは、より多くの人々が気軽に文化・芸術に触れてその楽しさを味わえるよう、2023年夏から【文化情報発信プロジェクト】を始動。そのスタート企画として、ニューヨークのメトロポリタン美術館(通称メット)で29年間広報担当を務めたPRのスペシャリスト・高渕直美さんを招き、8月9日(水)に渋谷ヒカリエ 8/COURTでトークイベントを開催しました。
イベントの司会進行を務めたのは、幼少期から高校卒業までニューヨークで過ごし、世界の美術館めぐりを趣味とするラジオパーソナリティの秀島史香さん。メトロポリタン美術館の裏側を知る高渕さんと、ニューヨークの文化・芸術事情を肌感覚で熟知している秀島さんとの濃密なトークセッションの模様をレポートします。
メトロポリタン美術館が世界三大美術館へと発展した理由は?
最初のテーマは「メトロポリタン美術館とは」。1870年設立という比較的歴史の浅いメトロポリタン美術館が、いかにしてルーブルなど世界有数の美術館と肩を並べる存在になったかを、その歴史と共に語ってくださいました。
秀島:メトロポリタン美術館の所蔵品は150万点にも及びますが、数もさることながら、5000年前の作品も所蔵するという質の高さにも驚かされます。
高渕:メトロポリタン美術館が設立からわずか100年ちょっとで世界三大美術館に数えられるまでになれたのは、優れた戦略があったから。単にヨーロッパ絵画を集めるばかりではルーブル美術館などには追いつけないので、百科事典的なコレクションを目指したのでしょう。
秀島:これほどの規模の美術館が、国立でも州立でもなく、非営利団体によって運営されているのも驚きです。しかも1870年の設立当初は所蔵品がゼロだったそうですね。
高渕:当時は第二次産業革命が始まった頃で、アメリカでお金持ちがたくさん生まれた時代でもありました。彼らはヨーロッパを訪れ実際にその文化に触れる機会に恵まれますが、そこで自国との文化力の差を痛感し、肩身の狭い思いをしたようです。そんな中、パリであるアメリカ人グループが「アメリカ人の間にアートとアート教育を根づかせるぞ!」と決意し、帰国後運動を起こしました。メットが創設され、彼らは寄贈や寄付を募るために奔走したそうです。大量の資金、優秀なキュレーター、素晴らしい作品が集められ、メットは雪だるま式に世界有数の美術館へ成長していきました。
秀島:いろんな要素がうまくかみ合って成長したということですね。
高渕:なぜうまくかみ合ったかというのも重要なポイントです。メトロポリタン美術館の組織をピラミッド型に見立てると、一番上に理事会がきます。彼らはメットのガーディアンとして常に美術館の運営を見守っています。そしてその理事会には世界トップクラスのビジネスマンたちがたくさん名を連ねているのです。
長年勤めたメトロポリタン美術館は「自分の家」
続いては高渕さんが約29年間メトロポリタン美術館で広報担当を務めた裏話について。入職した当初からその後の活躍を振り返ってくださいました。
秀島:社会人になって初めての職場が海外で、しかもメトロポリタン美術館となると、戸惑うことも多かったのではないですか?
高渕:はい、最初はかなり。例えば、仕事で大変そうな人がいたら日本人なら助けようとするのが普通ですよね。アメリカの職場で「手伝いましょうか?」と声を掛けると「この人は私のポジションを狙っているの?」と警戒される場合が多いらしく、私も実際何度も怪訝な顔をされました。みんなで助け合って頑張るのではなく、自分が担当しているものは自分でやり遂げるのが普通なんです。こうした文化的違いはいたる所にあって、最初の頃は戸惑うことが多かったです。
秀島:高渕さんはメトロポリタン美術館の広報部に初めて入職した外国人だったそうですが、風当たりが強かったりしましたか?
高渕:アメリカ人は結果さえ出せば外国人でも認めてくれるんです。私が入職した頃はヨーロッパ美術部門が強いと感じていました。だから、アジア部門がヨーロッパと肩を並べるくらいの存在になれるよう頑張るぞ!と密かに闘志を燃やしていました。
秀島:入職から数年で全17部門中4部門(アジア美術、武器甲冑、楽器、アフリカ・オセアニア・アメリカ大陸)のPRを任されたそうですね。これまでいくつ展覧会を担当したのですか?
高渕:たぶん300はありますね。初めて担当させてもらったのは入職から1年半後で、とても小さな規模の写真展。しかも事前予約が必要で研究者が見るような内容でしたが、ものすごく頑張って、たくさんのメディアに取り上げてもらいました。その成功がきっかけとなって次第に担当が増えてゆき、成功を重ねるごとに展覧会の規模も大きくなっていきました。
秀島:これまで担当した展覧会で特に思い出深いものは?
高渕:たくさんありますが、最近だと2019年の『The Tale of Genji』(源氏物語展)もその一つですね。色々な意味でチャレンジングでした。日本人なら誰でも知っている『源氏物語』ですが、アメリカ人のほとんどは聞いたこともなかったのですから。しかも、特別展会場を使わず常設のギャラリーで開催したため、どう記者の注意を引くか、正直頭を抱えました。“世界最古の長編小説”、“作家が女性”、“現代漫画の原画も出展”など、様々なピッチングアングルを組み合わせ、強調し、結果NYタイムズ、ウォール・ストリート・ジャーナル、ワシントンポストをはじめ、たくさんのメディアに取り上げてもらうことが出来ました。そして最終的には20万人以上の来場者数を記録する盛況となったのです。
秀島:高渕さんにとってメトロポリタン美術館はどんな場所ですか? また、広報業務を通じて得られたものは?
高渕:メットのことは自分の家だと思っていました——自宅にいるより美術館にいる時間の方が長いことも多かったので。得られたものは…優秀なキュレーターたちと素晴らしい展覧会に関われたことで多くの学びを得たのは勿論ですが、私の一番の財産となったのは、メットを世界の美術館にした“ノウハウ”を知る機会に恵まれたことです。メットは学芸部サイドと運営部サイドにはっきり分かれていて、その運営においては、優れたビジネスパーソン達が大企業を運営するがごとく、迅速かつスムーズに行われていました。
優れた美術館は街のアイデンティティになる
今回のイベントには、高渕さんと同じくPRの専門家たちも来場し、ヒントになる言葉を求めて熱心に耳を傾けていました。そんな方たちのために、PRのあり方についてもトークは展開しました。
秀島:幅広い世代の方たちに美術館へ足を運んでもらえるよう、文化情報をうまく発信するコツはありますか?
高渕:情報発信という点で私が特に問題だと思うのは、主催者側の「自分たちはこれを見せたい」という思いばかりが先走り、受け手が何を求めているのか知ろうとしていないところにあります。それから、自分たちの情報を発信する前に、まずはミッションステートメント(組織の使命の声明)を制作し、それをスタッフ全員が理解することが大事です。それができたうえで、分析に取り掛かる。例えばSWOT分析を用いて、自分たちの強みと弱み、機会と脅威を分析し、それをもとにミッションに沿ったメディア戦略を立てるのがよいと思います。そして記者の方々とうまくコミュニケーションをとりながら自分たちのメッセージを第三者の目を通した“ニュース”や“特集記事”という形で人々に伝えていくことが大切です。
秀島:逆に、文化芸術を体験する側の人たちがより楽しむためのポイントはありますか?
高渕:とにかく“観ること”です。解説ばかり読んで肝心の作品をちゃんと鑑賞していない人をよく見かけます。しっかり観ないと何が自分の心にピッタリ来るのか分かりませんよね。自分の心に響くものを見つけ、なぜそれが響いたのか考えてみる。理由が分かればそこからさらに鑑賞の幅も広がっていくと思います。理論ありきで作品を見るのは、ちょっと違うかなと思いますね。
秀島:最後に、人と街と文化施設との関係性について伺いたいと思います。ニューヨークの人たちと日本の人たちでは、文化芸術の楽しみ方に違いを感じますか?
高渕:もちろんニューヨークにも文化芸術に全く興味がない人もいます。しかし、やっぱり興味のある人が断然多い。彼らは街のいたる所にアートや美術館があることを当たり前のように考えていますし、それこそ「アートがあるからこの街に住んでいる!」という人たちもたくさんいる。素晴らしい美術館などの存在は街のアイデンティティを形成してくれますし、街の価値を上げる力にもなっています。
トークセッションの終了後は、参加者との質疑応答も実施。メトロポリタン美術館の裏側を知る高渕さんならではのおすすめスポットや、美術館の広報担当のあり方についてなど、トークセッションをさらに掘り下げる形で語っていただき、あっという間にイベントは終了しました。
Bunkamuraでは今後もこうしたスペシャルイベントを通じて文化情報発信プロジェクトを推進していきますので、ご期待ください。
文:上村真徹
写真:大久保惠造
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Bunkamura文化情報発信プロジェクト スタート企画<第2弾>
スペシャルトーク「METって何?~文化発信地・NYの舞台裏~」
[日程]
2023年8月9日(水)
[出演者]
高渕直美(パブリック・リレーションズ スペシャリスト)
司会進行:秀島史香(ラジオパーソナリティ、ナレーター)
Bunkamura文化情報発信プロジェクト スタート企画<第1弾>
宮本亞門×ソニン スペシャルトーク「私が見た夢の街-ブロードウェイでの挑戦」
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