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第7回 | Bunkamuraドゥマゴ文学賞

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第7回 Bunkamuraドゥマゴ 文学賞 受賞作品

町田 康 著

『くっすん大黒』

(1997年3月 文藝春秋)

選 考 筒井康隆
受賞者プロフィール
町田 康(まちだこう)

1962年大阪府生まれ。歌手、俳優、詩人、作家。主な著書に『壊色(えじき)』『へらへらぼっちゃん』『夫婦茶碗』『耳そぎ饅頭』『きれぎれ』などがある。

受賞作品の内容

すべては大黒を拾ってから始まった…。ありがちな日常のような異次元世界を見事に描き、第116回芥川賞候補となった「くっすん大黒」のほか、「河原のアパラ」を収める。

選評

「町田康 『くっすん大黒』 を推す」/ 選考委員 筒井康隆

 第7回「Bunkamuraドゥ マゴ文学賞」は町田康の作品集『くっすん大黒』に決定します。
この賞のただ独りの選考委員である私は、単行本『くっすん大黒』に収められた二作品「くっすん大黒」と「河原のアパラ」が、いずれも現代にあって極めて傑出した作品であると考えます。ここ十何年かの新人の文学作品は、車谷長吉などの何人かの例外を除き、総じて、現代的ではあるものの大人の読者の庶民感覚から遊離した主題や、メタフィクションなど小説のための小説であることを強調したゲーム的展開や、いかにもお稽古ごとのような純文学偏差値的表現を取り入れた文章によるものが多かったのですが、町田氏の作品はそれら文学的潮流の弊害からほとんど無縁に書かれていながらも、優れて現代的な文学になり得ていると言えます。

 最初に「くっすん大黒」が「文學界」に掲載された時、過去の文学作品の成果に束縛されていないその発想と表現の自由さに驚かされました。しかしその自由さは作者が今まで文学と無縁であったための天衣無縫さではなく、むしろ小説をよく読んだ上で考え抜かれた、過去の小説作品におけるような文学的完成度を放棄してまでの「発想と表現」であったのだと、これは長年新人の作品を読み、評価してきた体験から自信を持って断言することができます。

この作品が芥川賞候補になった時には、軽い饒舌体イコール下品という短絡も含めてずいぶん無理解な選評が出たと記憶しています。鑑舌体や会話の関西的な軽さは、文学的とされる表現からの意図的な遠ざかりであり、下品になるすれすれのところで辛うじて身を翻すところに、作者の美学がある一線でしっかりと守られていることを示しています。言うまでもなくこれは至難の業であり、この時小生はすでに当文学賞の選考委員を仰せつかっていましたから、前記芥川賞の選評に対する反撥もあり、これを越す作品が現れない限りはぜひともこの作品にドゥ マゴ文学賞をと心に決めていました。

 勿論、この作品の現代性をちゃんと理解した人もいて、その後この作品は「河原のアパラ」と併録されて本になった際にも、時には以前町田町蔵というパンク・ロッカーであった作者本人への共感やオマージュも含めて、あちこちで好意的に取り上げられ、いわば他人事でありながらも小生ほっとしたものでした。そしてこの単行本は小生も選考委員を務めている三島賞の候補になりましたが、作者の「下降への意志」がより鮮明に表現されている「河原のアパラ」との併録によって、前回芥川賞の選考委員として「くっすん大黒」に否定的だった三島賞選考委員を兼ねている作家たちも、町田氏の力量を認め、比較的高い評価をあたえたようでした。勿論小生も小説作品としてはこれを推したのですが、この程度の芸であれば関西人ならできる人は多いという意見や、次作を待ちたいという意見が多くて受賞には到らず、小生もまた、何しろこのドゥマゴの「第二候補のない」第一候補に想定していたのと、「三島賞でなけれぱならない」優れた評論の存在のために強くは推しませんでした。

「くっすん大黒」と「河原のアパラ」に共通するのは、主人公たちの「いい加減さ」による「下降への意志」です。小説のいい加減さは、文学を評価する基準が実にあいまいなものであることを悟ったイギリスの批評家エンプソンが、「小説は常にあいまいで、ある程度でたらめだ」と、責任を小説の方になすりつけて以来、現代にも通じる主題になりました。
町田康の作品の主人公たちはまさに、同じくイギリスの批評家ジョン・べイリーが、「小説は無秩序で、登場人物の性格が行き当たりばったりだからこそ自然であり、読んで心地よい」と言ったことの裏返しの体現と言えます。
つまりこの主人公たちは行き当たりばったりな作家によってその性格を行き当たりばったりに描かれたのではなく、性格そのものが行き当たりばったりに設定され、文学の古くて新しい問題をかかえて動きまわるという現代性を持っているわけですが、彼らはこれに加え、あくまで行き当たりばったりに生きようとする「下降への意志」を持っています。
それは例えば、ダメな映画になることがわかりきっているにもかかわらず、断固としてダメな映画を撮ろうと決意しているかに見える「行き当たりばったり」なスタッフ・キャストの登場などに顕著です。
相手が危険である疑念が大きければ大きいほど接近していったり、盗まれる恐れが大であるにもかかわらず物を放置したりという、断固として「いい加減」になろうとしている主人公たちの下降への意志は、ホームレス問題などと重なる現代性を持っている以前に、主人公=語り手=作者という重なりあいによって、構造主義で言う「信頼できない語り手」が「信頼できない作者」にまで飛翔するという現代性文学性を獲得しています。

 町田康の作品を越す小説は、自分ではずいぶん目配りよく調べたつもりでしたが、選考の期日が迫った今日まで、小生の前にはついに現れませんでした。受賞した町田氏には、今後もその時そのときの文芸の潮流に流されたり臆したりすることのない、骨太のいい加減さを持った作品を堂々と書き続けて下さるよう、今や多数に上る愛読者を代表してお願い申し上げておきます。