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第5回 | Bunkamuraドゥマゴ文学賞

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第5回 Bunkamuraドゥマゴ 文学賞 受賞作品

佐江衆一 著

『黄落』

(1995年5月 新潮社)

選 考 城山三郎
受賞者プロフィール
佐江衆一(さえしゅういち)

1934年東京都生まれ。文化学院卒業。主な著書に『横浜ストリートライフ』『自鳴琴からくり人形-江戸職人綺譚-』『クイーンズ海流』『北の海明け』『江戸職人綺譚』などがある。

受賞作品の内容

父92歳、母87歳。老親を身近に引きとって12年、凄絶な介護と試練の日々が始まった。還暦を過ぎてなお、高齢の父母の介護をする息子夫婦の逃げ場のない暮らしと苦悩をリアルに描く。

選評

「骨太な作品の魅力」/ 選考委員 城山三郎

 資科を多用する仕事をしてきたせいもあって、視力が弱まり、文学賞の選考委員からすべて放免してもらい、その点ではのんびりしていたのだが、今回は先方では由緒のある、そして反権威的な賞であり、日本では自分ひとりで決められること、さらに『ビッグボーイの生涯』で描いた五島昇氏の明るい声が天から降ってきた気もして、お引き受けすることにした。
 そして、この一年、いつもよりは注意深く本を読んできたつもりで、その結果、評論と小説の数本に候補を絞り、最後に佐江衆一氏の『黄落』を推すことにした。

 わたしが佐江氏の仕事に注目するようになったのは、『横浜ストリートライフ』がきっかけである。
 このところ、いじめによる自殺や殺人が話題になり、先頃も、ニューヨークで少年五人が浮浪者を面白半分に焼き殺したとの報道があったが、昭和58年刊行の同書が取り上げたのも、中学生による似たような形での浮浪者殺しである。
 そこでは、浮浪者が人間ではなく、ひとつのターゲット、物のように少年たちに扱われている。
 だが、作者の目には当然のことだが、浮浪者もまた、まぎれもない人間、尊厳に満ちた人間である。
 その尊敬がなぜ中学生たちの目に見えなくなってしまったのか-これは極めて現代的なテ一マだが、それだけに取り組むには気の重い問題である。
 そこで佐江氏はどうしたか。
 氏は浮浪者たちの暮らすドヤ街の宿に、二ヶ月にわたって住みこみ、浮浪者と共に暮らす。それは聞きとりのためといったなまやさしいものでなく、読んでいて、ドヤ街の匂いがこちらにも浸みついてくる感じ。それほど腰をすえてというか、身を沈めての取材であった。
 いや、氏だけのことではない。それだけ留守された夫人もたいへんだったろうし、金が足りなくなったときは、藤沢の家から息子に届けさせる。それも、駅などではなく、ドヤ街の中のその宿まで持って来させる。
 多感で不安な年代の息子。だが、氏にしてみれば、犯人たちと同年代であることから、息子を試し、息子の反応も知りたかったのであろう。あえて家族まで投入し巻き込む作家の姿勢というか、業といったものが、そこには在る。
 一方、犯人である少年たちの心理は、フィクションで構築される。それはひとつの実験であり、作品の深みというか厚みが増すことになった。

 『黄落』は、この『横浜ストリートライフ』の延長上に在る。こちらでは、ぼけた親という形での人間の尊厳がテーマである。
 ぼけたことで、人間の尊厳を失ったように、なぜ見えるのか。本当に失うのか。尊厳とは何なのか。これは現代の最大の問題であり、しかも世界で最長寿国の日本は、いわば人類のフロンティアへいま足を踏み入れている。問題は広く、深く、そして重い。
 この作の場合、もともとは受け身の形ではじまるのだが、問題に真っ向から取り組む中で、夫人も子も、そして当の親までも、その問題へ立ち向かって行く。
 尊厳でありながら、ときに目をそむけたくなる対象であっても、一家は正視して立ち向かって行く。
 主人公と妻子のそうした姿勢、そうしたスタンスの取り方が、まことに適切であり、読者も、この世界に足をとどめてしまう。

 説明に流れやすいこの種の問題を扱いながら、的確な描写で一貫していることも、作品を強く、印象に残るものにしている。
 さりげなく構成され、構築もされており、一部の私小説のようにもたれるところがない。私小説でありながら私小説を超え、問題小説でありながら、問題小説を超えている。読者はわが事のように作品の世界を追体験し、わが問題として考え直す。
 いま文学は袋小路に入って衰弱し、ゲームのような小説がしきりに目につく。そうした中で、日本文学の伝統の中から出て、時代の問題に正面から取り組み、文壇外の多くの読者をとらえる骨太なこの作品こそ、本年度の何よりの収穫だと思っている。