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第21回 | Bunkamuraドゥマゴ文学賞

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第21回 Bunkamuraドゥマゴ 文学賞 受賞作品

磯﨑憲一郎 著

『赤の他人の瓜二つ』

(2011年3月 講談社)

選 考 辻原 登
賞の内容 正賞:賞状+スイス・ゼニス社製時計
副賞:100万円(出席ご希望の方はパリ・ドゥマゴ文学賞授賞式にご招待)
授賞式 2011年11月25日(金)
同日開催される受賞記念対談(16:45~)に抽選で30名をご招待します。
※募集は終了しました。
受賞者プロフィール
磯﨑憲一郎(いそざき けんいちろう)

1965年千葉県生まれ。
2007年に「肝心の子供」で第44回文藝賞受賞。
2009年「終の住処」で第141回芥川賞受賞。
著書に『肝心の子供』、『眼と太陽』、『世紀の発見』(以上河出書房新社)、『終の住処』(新潮社)など。

選評

「チョコレートには毒が……」/ 選考委員 辻原 登

 これは一度読めば忘れることのない物語である。チョコレートが秘密の果実より滴り落ち、愛と欲望と夢想の糧となって綺譚が紡がれてゆく。
 チョコレート工場に勤める人物たちのセピア色の日常と、カカオにまつわる歴史ファンタジーが、まるでタペストリーの表と裏のようにくりひろげられる。仕掛けは巧緻をきわめている。
 マヤ文明から説き起こされ、コロンブスによってヨーロッパにもたらされたカカオが、カカオの水=カカワトル=チョコレートへと変貌して、強壮剤とも催淫剤とも、あるいは毒を仕込むのにかっこうの飲物となって歴史を彩る物語絵巻の模様糸そのものが、表に回ると、日本におけるチョコレート登場とチョコレート工場で生きる家族の物語絵図を描き出す。
 じっさいに、私はそんなタペストリーを見たことはないが、たしか千一夜物語の中でほのめかされていたような気がする。いや、夢で、見たのか……。
 この物語には、言葉を用いて論じようとする気などほとんど起きないような、心に食い入る官能の詩がある。なぜ心に食い入るかというと、ここに登場する兄妹の話や背が門柱の高さまで伸びる看護婦の姿も、コロンブスの冒険と恋も、アイルランドの海岸に打ち上げられる若い夫婦の死体も、メディチ家の侍医と貴婦人の奇妙な恋も、子供のように小さなコジモ三世の姿も、いつか我々自身が覗き込んだことがあるからだ。
 瓜二つの人間が登場して出会ったりすれ違ったり、入れ替わったり、人称が転移したり、似たような出来事が別のところでくり返されたりすることも、みな夢の中で体験していることだが、我々はそれをいつも完全に忘れている。忘れているからこそ、根源的なもの、普遍的なものなのであり、それゆえにこそ、官能が刺激されるのだ。
 小説家の仕事は、深い水の中を潜って、官能のエッセンスを探索し、摑んで浮かび上がり、それを共通の符号である言葉で示すことだ。潜水の技法、夢の技法・論理に長じた者だけが物語を編むことができる。
 その技法とは何か。瓜二つ・くり返しと憑依である。
 磯﨑氏の技量の高さを、ここでわざわざ事細かく指摘する必要はないだろう。〈私〉は〈その男〉にも、青年にもコロンブスにも侍医にも憑依・転移する。これがタぺストリーの表と裏を、ひとつの描線で別々の物語を、刺繍するメインの糸だ。
 小説とは、出来事が継起する時系列に並べ換えられた夢である、たとえそれが現実の似姿を取ろうとも、という重要な定義を忘れないでおこう。
 磯﨑氏の小説が正真正銘の「小説」であること。
 この夢と官能のエッセンスは、三度くり返される次のエピソードである。
 〈私〉いや〈私〉にそっくりな〈その男〉の息子・少年(青年)が池に落ちて、水の中を沈んで行くときに覚える感慨。

――ああ、人間はこうやって死んで行くんだな、でもここで僕が溺れ死んだとしたって、それは多くの死のうちの、たった一つの死に過ぎないんだもんな。

 コロンブスも船が沈没して、水の中へ。

――まさにいま、俺のこの肉体が人喰いザメに食い千切られて、骨や肉片が海の底へ沈んで、砂や貝殻にまみれて死ぬのだとしても、それはいままで繰り返されてきた、これからも繰り返される幾千万という死のうちの、たった一つの死に過ぎないのだから。

 そして、青年は、看護婦への恋のさなかに、少年時の同じ感慨を強く甦らせ、あれが死からの誘いであったことを認識する。
 夢とは、もうひとつの死のことなのだ。抗し切れない死の魅惑、死からの誘惑の謂なのだ。
 精練された夢の技法(形式)とエッセンス(テーマ)がみごとに融合した物語であることが、これで明らかになった。
 チョコレートには毒が、死が仕込まれている。この小説にも……。

辻原 登(つじはら のぼる)

1945年、和歌山県生まれ。「村の名前」で芥川賞、『飛べ麒麟』で読売文学賞、『遊動亭円木』で谷崎潤一郎賞、「枯葉の中の青い炎」で川端康成文学賞、『花はさくら木』で大佛次郎賞、『許されざる者』で毎日芸術賞、『闇の奥』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。そのほかに著作多数がある。