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第18回 | Bunkamuraドゥマゴ文学賞

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第18回 Bunkamuraドゥマゴ 文学賞 受賞作品

中原昌也 著

『中原昌也 作業日誌 2004→2007』

(2008年3月 boid)

選 考 高橋源一郎
賞の内容 正賞:賞状+スイス・ゼニス社製時計
副賞:100万円(出席ご希望の方はパリ・ドゥマゴ文学賞授賞式にご招待)
授賞式 2008年10月6日(月) Bunkamura
第一部 受賞記念対談
16:00 オーチャードホール・ビュッフェ
第二部 贈呈式と小宴
17:30 「ドゥ マゴ パリ」テラス
受賞者プロフィール
中原昌也(なかはら まさや)

1970年東京都生まれ。88年頃よりMTRやサンプラーを用いて音楽制作を開始。90年アメリカのインディペンデントレーベルから「暴力温泉芸者=Violent Onsen Geisha」名義でスプリットLPをリリース。ソニック・ユース、ベック、ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンらの来日公演でオープニング・アクトに指名され、95年のアメリカ・ツアーをはじめ、海外公演も多く、日本以外での評価も高い。97年からユニット名を「Hair Stylistics」に改め、08年4月からは12ヶ月連続でのアルバム発売「Monthly Hair Stylistics」シリーズを続行中。
音楽活動と並行して小説、映画評論も手掛け、98年に初の短編小説集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』を発表。2001年『あらゆる場所に花束が……』で三島由紀夫賞受賞。06年『点滅・・・・・・』が芥川賞にノミネートされ、『名もなき孤児たちの墓』が第28回野間文芸新人賞を受賞。近著に『ニートピア 2010』、『映画の頭脳破壊』。

boid http://www.boid-s.com/

選評

「小 説 で あ る」/ 選考委員 高橋源一郎

おれの(最近の)小説の定義は以下の通りである。

(1)人間が出てくる。
(2)その人間が、わけのわからないことをいうか、わけのわからないことをする。
(3)書いている作家(「その人間」を兼ねている場合もある)にも、「その人間」がなぜそんなことをしているのか、よくわからない(ので苦しい、もしくは悲しい)。

 その定義に説得力があるかどうか、おれにはわからない。だが、そんなことはどうだってかまわない。おれが小説だと思えば、それは小説。それで十分。
 かねがね、おれは、おれが小説だと思ったものが、他のやつらには小説と思われないことが多いと思ってきた。その逆もある。そんなの小説でもなんでもないじゃん、というものを、みんながよってたかって、「小説だ」とか「最高の小説だ」とか「これぞ小説」とほめたりするのだ。
 良かった。ドゥマゴ文学賞の選考委員が、おれひとりで。

 ところで、本家のフランス、ドゥマゴ文学賞成立の事情は、おれの好きなエピソードだ。ご存じの方も多いだろう。1933年、レイモン・クノーは『はまむぎ』という、きわめてチャーミングな(でも、わけがわかんない)小説を発表した。
 当時の、フランスのエラい作家たちは、(たぶん、わかんなかったので)、この『はまむぎ』を無視することにした。そんなものはなかったことにしようってことになった。だって、『はまむぎ』について、なにかいわなきゃいけなくなったら、困るからだ。
 そんなことはよくあることだ。けれども、そのことに怒った作家たちがいた。13人も。
 その、おバカな作家たちは、いかにもおバカなデモンストレーションを、抗議行動を、思いついた。
 フランス文学界で最大の権威を誇るゴンクール賞をアンドレ・マルローが『人間の条件』で受賞したその日に、カフェ「ドゥマゴ」に集い、一人100フランずつポケットマネーを出し合って、レイモン・クノーの『はまむぎ』へ与えるための賞を作ったのである。
 これを、日本国の事情に合わせて翻訳してみると、要するに、こういうことではないだろうか。
 ある作家が、すごい傑作を書いたのに、文壇のおエラいさんたちは無視。少なく見積もっても芥川賞十個分の価値はあるぜと思った作家たち13人が怒りのあまり蜂起して、芥川賞を石原慎太郎(日本のアンドレ・マルローといえばこの人でしょう。作家で大臣経験者だし)の『弟よ』が受賞した日に(もちろん、一回受賞しているわけだから、ありえない んですが)、麻布十番のスターバックスに集まり、一人1万円ずつ出し合って「スタバ文学賞」を創設し、その作家に贈ることにした……。
 なんてバカなんだ。文学(小説)なんかに、そんなに熱くなっちゃって。おれはそう思う。でも、小説なんて、世の中の役に立つかどうかわからんもんを、マジメに書いたり、読んだり、論じたりしている段階で、バカ丸出しだ。おれも、そうだけど。
 この一年も、ずいぶん、おれはいろんな本を読んだ。いい本、ダメな本、ちょっといい小説、ちょっとダメな小説、小説のつもりだけど小説になってないやつ……。
 そして、おれの基準で、いちばん小説になっていたもの、最高の小説だったもの、それが、一見、ただの日記にすぎない、聞いたことも見たこともないCDやDVDの膨大な購入リストとグチと泣き言ばかりの、この中原昌也の『作業日誌』だった。文句なし。ダントツである。ついでにいうと、本家にならって、「ドゥマゴ文学賞」というものの基準があるとしても、やはり、この『作業日誌』がダントツだとおれは思う。

 追伸。
 この本の帯に、芥川賞を受賞した川上未映子さんの「芥川賞の賞金ぜんぶ中原さんにあげたかった。もうないけど」と書いてあった。できたら、新しい帯には「中原くんに賞金100万円あげる。おれの金じゃないけど」と書いてほしい。
 おっと、おれの小説の定義には、もう一つあるのを忘れていた。それは、これだ。

(4)泣ける

 おれはこの本を読んで泣いたんだ。中原のために。小説のために。文学のために。人間のために。こんな、悲しくて、不幸で、苦しい本を読ませてくれて、ありがとう。おれ、なんだか、すげえやる気になっちゃったぜ、中原くん。

高橋源一郎(たかはし げんいちろう)

1951年、広島県生まれ。81年『さようなら、ギャングたち』で第4回群像新人長篇小説賞優秀賞受賞。88年『優雅で感傷的な日本野球』で第1回三島由紀夫賞を、2002年『日本文学盛衰史』で第13回伊藤整文学賞受賞。主な著書に『官能小説家』『君が代は千代に八千代に』『ミヤザワケンジ・グレイテストヒッツ』『一億三千万人のための小説教室』『ニッポンの小説 百年の孤独』など多数。
写真:©塩田正幸