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Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品 All the Winners

第13回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品

米原万里 著

『オリガ・モリソヴナの反語法』

(2002年10月発行 集英社刊)

選 考 池澤夏樹
受賞者プロフィール
米原万里(よねばら まり)

1950年4月29日東京生まれ。59~64年、プラハのソビエト学校で学ぶ。東京外国語大学ロシア語学科卒業。東京大学大学院露語露文学修士課程修了。78年頃から通訳・翻訳に従事。テレビの同時通訳によってソ連邦崩壊前後の報道の速報性と正確さに貢献したとして、92 年日本女性放送者懇談会賞を受賞。著書に『不実な美女か貞淑な醜女か』(読売文学賞、随筆・紀行部門)、『魔女の1ダース』(講談社エッセイ賞)、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(大宅壮一ノンフィクション賞)など。現在、ロシア語通訳協会会長、日本ペンクラブ常務理事。

受賞作品の内容

「激動のロシア、東欧に生きた伝説の踊り子の数奇な生涯。」

1960年、プラハ・ソビエト学校で出会った老女教師には驚愕の過去が隠されていた…。苛酷な時代に翻弄された女性の悲劇と奇跡。 1960年代のチェコ、プラハ。父の仕事の都合でこの地のソビエト学校へ通う弘世志摩は4年生。彼女が一番好きだったのは、オリガ・モリゾヴナ先生の舞踏の授業。老女なのに引き締まった肉体、ディートリッヒのような旧時代の服装で踊り飛び切り巧い。先生が大袈裟に誉めたら、要注意。それは罵倒の裏返し。学校中に名を轟かす「反語法」。先生は突然長期に休んだり、妖艶な踊り子の古い写真を見せたり、と志摩の中の”謎”は深まる。あれから30数年。オリガ先生は何者なのか?42歳の翻訳者となった志摩は、ソ連邦が崩壊した翌年、オリガの半生を巡るためモスクワに赴く。伝説の踊り子はスターリン時代をどう生き抜いたのか…。驚愕の事実が次々と浮かび、オリガとロシアの想像を絶する苛酷な歴史が現れる。

選評

選考委員 池澤夏樹

『オリガ・モリソヴナの反語法』は優れた小説です。

 第一に、少女の時にあこがれの対象であった人物の謎の来歴を成人してから解明する、というミステリの形式が大変にうまく使われています。少女の頃の舞台は冷戦時代のプラハで、謎に迫るのは現代(一九九二年)のモスクワ。プラハの四年間がモスクワの数日と重なって、地理的にも時間的にも奥行きが出ています。

 第二に、その謎がただの個人的な体験ではなく、ソ連という国の政治機構の中枢にまでつながっていて、先へ行けば行くほど話が大きくなる。この拡大の感じは読む者の快感を誘います。最後にベリヤの性生活まで出てくるあたりはまさに圧巻です。
 つまりこれはある天才的な踊り子の数奇な運命を辿ると同時に、ソ連という実に奇妙な国の実態を描く小説であって、この二重性が実におもしろい。たてまえと本音の間が遙かに遠い「反語法」的な社会であり、主人公は一国の社会全体が見える要の位置に立っています。

 第三に、登場人物の描写が巧みで、一人一人の印象がくっきりと際立っている。語り手のシーマチカをはじめ少女たちはみな生き生きとしていますし、嫌な奴は実に嫌な奴です。登場人物の性格をただ説明するのではなく、よくできたエピソードやちょっとしたふるまいで伝える技術が優れている。

 それは社会についても言えることで、ボリショイ・バレエのプリマの座が金で買われるという話は今のロシアの頽廃を示す格好の例となっています。日本のバレエ界も似たようなもの、と続くところも納得させる。

 そう考えるとこれは若い夢とイノセンスの喪失を語る話でもあるわけで、シーマチカもカーチャも、ジーナでさえ、今は踊っていないのです。この物語は輝いていますが、その輝きの源は子供たちの心と身体の動き、その躍動感です。そして、実は最も躍動感あふれるのがオリガ・モリソヴナという老女で、子供たちはその光を受けて輝いている。暗いはずの社会を描いてかぎりなく明るい読後感が残るのはそのためです。

 ドゥ・マゴ賞の本拠はパリにあります。選考委員として、これはどこかで日本の外の世界とつながった作品に与えられるべき賞だと考えていましたが、『オリガ・モリソヴナの反語法』に出会えてまこと幸運であったと思います。

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