第23回“Bunkamuraドゥマゴ文学賞”受賞者・恩田侑布子氏が、1月29日パリ日本文化会館にて『感情の華 恋と俳句 日本文化の土壌』と題した講演会を開催しました。日本文化の伝統において大きな潮流を為す恋の詩歌に焦点を当てて、特に三橋鷹女の持つ激しい恋情に迫り、そこから俳句の三本柱である《季語》《定型》《切れ》の思想的背景を探りました。
富士山の麓・静岡市で生まれ育った恩田氏は自然と書物に囲まれて育ちました。家庭環境に恵まれず人生に希望を失くしていた彼女は、高校時代、飯田蛇笏と林田紀音夫の俳句に出合い、その極少の詩の中に同じ絶望を感じ取り俳句と一体となり、心の救われる体験をしました。その後一時言葉の世界から離れながらもまた俳句の世界に戻った恩田氏は、これまでに3冊の句集を出しています。その中の5句に1句は恋の句という彼女ならではの恋の詩歌の読み解きがはじまります。
まず、「かにかくに逢へばやすらぐ花柚の香」(野沢節子)を取り上げ、《季語》は単なる季節を表す語ではなく人間と一体になり、自己の身体と宇宙をつなぐ媒介となる東洋思想の結晶であると語ります。さらに、富士山、絵巻物、茶道の例をあげ、変わり続けていくものや、悠久の時間の一瞬を切り取った中に永遠を感じる日本特有の時間感覚を解いていきます。そこから、日本ならではの不完全の美、アシンメトリーの美が追究され、自己完結しない、宇宙への広がりを持つ最小の表現である俳句が生まれたといいます。また、俳句は能面を想起させ、演者と能面が一体となるところに幽玄がやどるように、名句から優れた鑑賞がうまれることで、万人が意識を共有し常にその時代に生き返ると説きます。
世阿弥が生みだした日本美の最高峰、幽玄へと話は進みます。夢幻能の最高傑作といわれる「井筒」のシテを取り上げ、井戸の底をさし覗きそこにうつる業平の衣装をまとった自分自身の姿を業平と思う様子は、まさに自己と他者という垣根が透明になり自己と他者が同化する瞬間です。本来忌まわしき感情と思われていた妄執の世界を美しい幽玄へと変換させました。
そこから、三橋鷹女の俳句鑑賞へと進んでいきます。「幻影は砕けよ雨の大カンナ」、「炎天の蝶のあひびき誰も見ず」という《切れ》の印象的な俳句を取り上げます。《切れ》の淵源は、荘子の「万物斉同」の思想にあると恩田氏は考えます。すべての根本は等しいが一人一人異なる姿を肯定し受け入れる精神は、万人に開かれた俳句の思想の底流につながっているといいます。
俳句は日本語の生理にのっとった五七五のリズムを持つ定型詩であり、17文字という限られた定型にまとめることで余白を豊かにし、それゆえに表現自体が深く広がりをもつ文学です。余白と表現が響き合い、新たな渾沌が生まれる東洋の万物照応の姿がそこにあります。
さらに松本健一氏の著作「「砂の文明 石の文明 泥の文明」を取り上げ、「泥の文明」である東洋の精神を紐解きます。常に自然の脅威に晒されて生きる日本では、人間は神の似姿としてではなく、圧倒的な弱者として生きている。だからこそ束の間の一瞬を大事にする心が芽生え、俳句という最短の詩が生まれ根付いたのだと論じました。
恩田氏は俳句を、時空を超越して他者と共有することで拡がる、豊かな文学だといい、余白の中にこそ生まれる深い感情を共有しあう宇宙を秘めたものであると締めました。
フランスでは日本の詩歌の1ジャンルとしてすでにファンも多い《haïku》の講演会ということもあり、現地フランス人を含め、数十名の聴衆が耳を傾けました。最後には質疑も出され、熱気あふれる中で終了しました。また、来場者には、今回の訪仏のために出版された『恩田侑布子仏訳金泥書三十句』も配布され、金泥と俳句の秀麗な融合が好評を博しました。
恩田侑布子氏の受賞作『余白の祭』の詳細はこちら
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