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N響オーチャード定期 2011-2012シリーズ
N響オーチャード定期 2012-2013シリーズ
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N響オーチャード定期2011/2012シリーズ

第67回 2012/3/20(火・祝)15:30開演

指揮者インタビュー | INTERVIEW

外山雄三さんは長年にわたってNHK交響楽団を指揮されていますが、N響にはどのような印象をお持ちですか?

「N響は、技術的には、たぶん世界最高水準ですね。ベルリン・フィルやウィーン・フィルにも劣らない。他のことは別ですが(笑)。内輪ですから厳しいこともいいます。それは日本の音楽界全体の話にもなりますが、演奏技術や作曲技法を身につけるのは、表現したいことがあるので身につけるのが本当です。しかし、私も含めて日本人は、ともかく先に技術を身につけようとします。その意味で、日本の演奏家は技術的に世界水準でいっても申し分ないのですが…」

プロフィールを読ませていただくと、1952年に「NHK交響楽団に打楽器練習員として入団」とありますが、これはどのようなことだったのですか?

「当時は、副指揮者の制度はありませんでした。N響に指揮を勉強したい人を受け入れる体制はなく、指揮をやりたい若者もそんなにいませんでした。私が打楽器に入れてもらったのは、正直にいうと、オーケストラ曲を作曲するのに、オーケストラの中に入るとオーケストラの生理がわかるだろうと思ったからです。音楽学校で副科でやった打楽器なら、なんとか使っていただけるということで、入りました。途中からはオーケストラの中でのピアノも何年か、やりました」

打楽器奏者として記憶に残っている演奏会は何ですか?

「ローゼンストックとの《幻想交響曲》で鐘のハンマーのヘッドが飛んでいったり、マルティノンとのやはり《幻想交響曲》で吊っていた鐘が落ちそうになったことを思い出します」

1954年に「NHK交響楽団指揮養成員になる」とあります。

「当時は、最初から指揮者を目指す若者は少なく、作曲をやる若者が指揮もやるということが多かったですね。山田耕筰先生も作曲と指揮をなさったし、ヨーロッパの作曲家も指揮をしました。N響に入れてもらっていましたが、オーケストラ曲を作曲するために指揮を勉強していたのであって、N響を指揮するなんておこがましい話だと思っていました」

指揮養成員は他にもいたのですか?

「岩城(宏之)がいました。内幸町のNHKでそのとき初めて岩城と会いました。それまでは彼のことをまったく知りませんでした」

1956年9月にN響を指揮して、指揮者としてデビューされていますね。

「定期演奏会の指揮者はみんな外国人で、日本人指揮者は放送とかしか指揮していない時代でした。それが突然、『岩城と二人で演奏会をやるから、指揮するように』と言われて、『たいへんだ』と思いましたね。当時のN響には、創立からのメンバーがたくさんいらして、怖いおじさまの集団でした。今とは逆で (笑)、全員が私よりも年上でした」

そして、1960年のN響の世界一周演奏旅行に帯同し、岩城さんとともに指揮されただけでなく、ご自身で作曲された「管弦楽のためのラプソディ」を世界中で披露されました。

「有馬大五郎先生が、演奏旅行にもっていく日本の作品を岩城と私に選ぶようゆだねられたのですが、どう考えてもそれまでの日本人の作曲家は鎖国状態にあったので外を向いてなく、これだという曲がありませんでした。演奏旅行の出発が8月末だったのですが、有馬先生から『7月始めの東京体育館でのサマーコンサートのためにアンコールを書きなはれ』と言われて書いたのが《管弦楽のためのラプソディ》でした」

今回の演奏会のプログラムはどのように選ばれたのですか?

「ラヴェルのピアノ協奏曲はソリストが選びました。ラヴェルの協奏曲は短いので、何を組み合わせるかが問題となります。1曲目をどかんとやると、協奏曲がかすんでしまいます。それに《火の鳥》が派手に終わるので、演奏会の頭にも派手な曲はつらい。クラシックながっちりとした曲が入っていないので、ベートーヴェンの交響曲第8番がいいかなと思いました。南ヨーロッパの太陽が輝くような明るい曲ですから」

ベートーヴェンの交響曲第8番は演奏が難しいと聞きます。

「透明感のある、ごまかしのきかない音の重ね方をしているからだと思います」

ラヴェルの協奏曲はいかがですか?

「ラヴェルは音楽や楽器を知り尽くしていたので、奏者に無理を強いたりしません。ピアノ協奏曲の独奏部分も中学生の手の大きさで弾けるくらいです。またあの短さ。なのに、協奏曲の喜びや楽しみが実に豊かに盛り込まれています。素晴らしい作品だと思います」

《火の鳥》はいかがですか?

「若いストラヴィンスキーがはりきって書いた作品です。『いろいろ新しいことをやろう。でも僕はロシア人だもんね』という感じがとても面白い。ストラヴィンスキーが三大バレエを通じて短い時間に本音を書けるようになったのはすごいことだと思います」

演奏会に来られる方へのメッセージをいただけますか?

「何という人の作曲した何という曲であるかをご存知である必要はないと僕は思っています。前もって誰が何年に生まれたとかの知識を持つ必要はないと僕は思っています。お客様が楽しめたかどうかが大切で、『なんだか苦しいな、痛いな』も楽しみの一つだと思います(ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲のように重苦しさを表現したい作曲家もいます)。私には、作品を真っ直ぐに受け取っていただけるよう、作品とお客様をつなぐ役割があります」

インタビュアー:山田治生(音楽評論家)