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N響オーチャード定期 2011-2012シリーズ
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N響オーチャード定期2011/2012シリーズ

第66回 2012/1/8(日) 15:30開演

曲目解説 | MUSIC

チェコ指揮界の重鎮、ラドミル・エリシュカは、旧西側諸国ではその実力が長く知られていませんでしたが、2006年の札幌交響楽団と大阪センチュリー交響楽団への客演がセンセーショナルな成功を収め、日本でも大いに注目を集めるようになりました。そして、2009年にはNHK交響楽団と初めて共演し、N響オーチャード定期にも登場。ドヴォルザークの交響曲第8番などで聴衆を魅了しました。そして今回もスメタナ、ドヴォルザーク、スークというマエストロの十 八番のチェコ音楽が披露されます。

スメタナ~ドヴォルザーク~スーク、3世代にわたるチェコ音楽の伝統

 チェコを代表する、ベドルジフ・スメタナ(1824~1884)、アントニン・ドヴォルザーク(1841~1904)、ヨゼフ・スーク(1874~1935)の3人の作曲家の作品が演奏される。「チェコ国民楽派」の創始者といわれるスメタナは、ドヴォルザークよりも17歳年長であり、ドヴォルザークはスークよりも33歳年長。つまり、スメタナとスークではちょうど50歳の開きがあり、まさに3世代にわたるチェコ音楽が楽しめる。
 彼ら三人は、個人的にも強い結びつきがあった。若い頃、生活のために歌劇場のオーケストラでヴィオラを演奏していたドヴォルザークは、1866年、スメタナ自身が指揮者を務めた歌劇「売られた花嫁」の世界初演のとき、ピットでヴィオラを弾き、その後も、歌劇場の指揮者も務めるこの先輩作曲家から影響を受けたのであった。一方、スークはドヴォルザークにたいへん気に入られ、音楽院を終えた1892年の夏、ドヴォルザークの別荘に招かれ、そこで、ドヴォルザークの娘、オティリエに初めて会った。1898年、スークは、彼女と結婚し、ドヴォルザークの義理の息子となったのであった。

♪スメタナ:歌劇「売られた花嫁」序曲

 チェコの国民オペラの最初の成功作「売られた花嫁」は、スメタナにとって2作目のオペラにあたる。チェコの民衆の生活がコミカルに描かれている。ストーリーは以下の通り。村娘マジェンカは、両親によって、地主ミーハの息子ヴァシェクと結婚させられようとしている。しかし、マジェンカには恋人イェニークがいた。結婚仲介人が大金を持ってイェニークのもとへ行き、彼にマジェンカから手を引くことを要求すると、イェニークは「マジェンカはミーハの息子以外とは 結婚しない」という条件をつけて承諾する。村人たちは恋人を売ってしまったイェニークを非難するが、実は、イェニークはミーハの先妻の子供であることが判明。結婚仲介人が地団駄を踏むかたわら、恋人たちはめでたく結ばれる。
 「売られた花嫁」の初演は、1866年5月30日、プラハのチェコ仮劇場(国民劇場が建つまでの小振りな劇場)で作曲者自身の指揮によって行われた。
 序曲はしばしば単独で演奏される。弦楽器の対位法的な書法など、緻密なアンサンブルが要求され、オーケストラの実力を示す作品でもある。ボヘミアの民族色をともなった快活な音楽が展開される。

♪スーク:おとぎ話 作品16

 ヨゼフ・スークは、1874年1月4日、ボヘミアのクルシェチョヴィツェという村に生まれた。1885年にプラハ音楽院入学し、ヴァイオリンや音楽理論を学ぶ。1891年、卒業作品としてピアノ四重奏曲を書いたが、その年の1月からプラハ音楽院の教官となっていたドヴォルザークに作曲を学ぶために、彼はもう1年間、同音楽院に留まった。1892年、スークは、ドヴォルザークの指導のもと、「劇的序曲」を書いて、音楽院を卒業。1898年には、ドヴォルザークの娘であるオティリエと結婚した。代表作には、弦楽セレナードや交響曲「アスラエル」などがある。また、彼はヴァイオリニストとしても優れた腕を持ち、1892年から1933年までボヘミア四重奏団の第2ヴァイオリン奏者をつとめた。20世紀を代表する名ヴァイオリニストのヨゼフ・スークは、彼の実の孫であり、ドヴォルザークの曾孫にあたる。
 スロヴァキアの古い民話に基づいて戯曲「ラドゥースとマフレナ」(4幕7場)を書いたチェコの詩人・劇作家のユリウス・ゼイエル(1841~1901) は、1897年、当時23歳だったスークにその戯曲のための付随音楽の作曲を依頼した。「ラドゥースとマフレナ」のための音楽は翌1898年3月に書き上げられ、同年4月に戯曲とともに初演された。ちょうどその年の11月には彼自身の結婚もあった。その後、スークはその劇付随音楽を編み直して、この組曲「おとぎ話」を完成させたのであった。組曲の初演は1901年2月であった。
 「ラドゥースとマフレナ」のストーリーは以下の通り。マグラ国の王子ラドゥースは、敵対するタトラ国に迷い込んでしまい、囚われの身となってしまう。タトラ国のマフレナ姫は、ラドゥースに秘かに恋をし、彼とともにマグラ国に逃げ出す。そのとき、二人は母妃ルナによって呪いをかけられる。マグラ国に戻った二人に、ラドゥースの父王の死の知らせ。ラドゥースはルナの呪いによって、マフレナを忘れてしまい、マフレナは傷心からポプラの樹になってしまう。ラドゥースの母妃ニョラがその樹を切ると、呪いは解け、ラドゥースの記憶も蘇り、二人は結ばれる。
 二人の主人公の主題が提示される第1曲、スケルツォ風の第2曲、緩徐楽章である第3曲、そしてドラマティックな第4曲と、交響曲風の構成をとっているのは興味深い。

第1曲:「ラドゥースとマフレナの不滅の愛と彼らの試練」。冒頭のチェロ、クラリネット、ファゴットによる主題はラドゥース王子を表す。続いて独奏ヴァイオリンがマフレナ王女を描く。そして、2つの主題が絡み、二人の愛が高まっていく。ホルンの不吉なモチーフはラドゥースの父である王の死を伝える。そして再び、独奏ヴァイオリンによるマフレナの主題。
第2曲:「白鳥たちと孔雀たちの遊戯」。軽快なポルカ調のスケルツォ楽章。中間部でファゴットが民謡風の旋律を奏でる。
第3曲:「葬送の音楽」。冒頭のヴィオラ以下の弦楽器が奏でる悲哀を帯びた旋律は、父王の死を悼む合唱から取られている。続いて、木管楽器による葬送行進曲。
第4曲:「ルナの呪いと真実の愛の勝利」。マフレナの母であるルナ王妃の呪いの音楽で始まり、ラドゥースの主題が再び現れ、最後は独奏ヴァイオリンによるマフレナの主題も回帰し、二人の愛の成就によって締め括られる。

♪ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界から」ホ短調 作品95

 ドヴォルザークは、1891年にニューヨークのナショナル音楽院の創設者であるジャネット・サーバー女史から同音楽院の院長就任の要請を受け、その招きに応じて1892年9月にニューヨークへ渡った。ナショナル音楽院は当時としては珍しい、人種差別をしない進歩的な学校であった。ドヴォルザークはここで黒人の学生とも知り合い、黒人霊歌やアメリカ原住民の音楽に出会ったといわれている。そのことがアメリカ時代のドヴォルザークの創作(この交響曲第9番「新世界から」、チェロ協奏曲、弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」など)に大きな影響を与えた。また、アメリカで書かれたこれらの作品には、故郷から遠く離れたドヴォルザークのノスタルジーが色濃く表れている。「新世界から」というタイトルのなかの「新世界」とは、もちろん、アメリカのことを指すが、「から」ということばが加わることによって、この交響曲が、新世界そのものを描いているのではなく、異国から故郷に出した手紙のような作品であることがわかる。初演は、1893年12月にカーネギーホールでザイドル指揮のニューヨーク・フィルによって行われ、大きな成功を収めたという。交響曲第9番「新世界から」はドヴォルザークにとって、最後の交響曲となった。

第1楽章:アダージョ~アレグロ・モルト。アダージョの序奏ではブラームスの影響がみられる。アレグロ・モルトの主部は、ホルンによる第1主題で始まる。
第2楽章:ラルゴ。イングリッシュホルンの哀愁を帯びた旋律は「家路」のタイトルで歌われることもある。中間部も心にしみるような切実な音楽。
第3楽章:モルト・ヴィヴァーチェ。リズミックで快活なスケルツォ楽章。2つのトリオの素朴なメロディが魅力的。
第4楽章:アレグロ・コン・フオーコ。短い序奏のあと、金管楽器が力強く第1主題を吹く。第2主題はクラリネットが提示する柔和な旋律。前3楽章の主題が少しずつ回帰して、有機的に結びつき、壮大なフィナーレが築かれていく。