山田和樹 マーラー・ツィクルス

MAHLER SYNPHONIES曲目紹介

マーラー:交響曲 第7番 ホ短調「夜の歌」

文・オヤマダアツシ

「君が深淵を長く覗き込むのなら、深淵も同じように君を覗き返しているのだ」  フリードリヒ・ニーチェが著作『善悪の彼岸』でこう書いているように、独特の臭気を放つ狂気の世界は、油断しているとこちらの心にすっと入り込んで浸食し、気がついたときには囚われの身となっているのである。誘惑という名の魔力は甘美な香りで私たちを手招きし、その世界に浸りきるのは心地よい。

マーラーの交響曲第7番という作品は、そのようなものであろうと思う(実際、筆者はそのように囚われたのだ)。音楽の冒頭、"それ"は静寂の中から不気味極まりない歩みとなって姿を現し、テノール・ホルンの挑戦的な雄叫びが続く。今回のコンサートで初めてこの曲を聴くという方は、冒頭の約5分間を聴きながら「未知の興奮に出会った」と全神経が逆立っているかもしれないし、「どうして自分はこんなところに……」と途方に暮れているかもしれない。しかし、目の前に現れては消える多彩な光景を刹那的に受け止め、「あわわわ……」とそのまま音に翻弄されているだけでもいいのだ。この音楽は「交響曲」という名を借りたコラージュ・アートであり、マーラー自身の心象風景を上映するスクリーンのようなものなのだから。

今から110年前の1904年、夏。44歳のグスタフ・マーラーは次の交響曲を構想し、「夜の音楽(Nachtmusik)」と呼ばれる2つの章を作曲する。それは全5楽章における第2および第4楽章となり、翌1905年の夏には第1・3・5楽章を集中して作曲。さまざまな理由から初演は3年後の1908年まで引き延ばされ、初演後も多くの聴衆が熱狂したりひれ伏したりするようなものにはならなかった。しかし交響曲第7番は、その謎多き存在ゆえにさまざまな音楽家や論客が考証の対象とし、20世紀後半になると少しずつ支持者と理解者を増やしていくのである。

第1楽章は恐怖と恍惚、勇猛と優艶が描かれる、およそ20分間の音楽鳥瞰図。「音楽の内なる声」を表すように、何度か吹き鳴らされるテノール・ホルンの響きが心に訴えかける。第2楽章は、牧歌的な表皮をまといながらも"影"の存在を示唆しながら歩みを進める、意味ありげな「夜の音楽」。そして第3楽章は「影のように」という指示が記されたワルツ風のスケルツォ。シニカルで刺激的な音のパレードはベルリオーズの「幻想交響曲」における音響風景に似ており、私たちとの距離を徐々に詰めてくるのだ。再び「夜の音楽」となる第4楽章は、ギター+マンドリンという繊細な音が加わる、甘美で平和(かつ室内楽的)なセレナーデ。その平穏な空気を打ち破って始まる第5楽章は、マーラー流の高尚なお祭り騒ぎ。しかしその喧噪の中にマーラーはいない。彼はそれを笑いながら眺め、不敵に微笑みながらコントロールしているのだ。

迷路の如き80分、あなたは体験する好奇心と勇気をお持ちだろうか。その迷路をクリアしたとき、交響曲第7番はあなたの心を蝕み、居座っているはずだ。