山田和樹 マーラー・ツィクルス

MAHLER SYNPHONIES曲目紹介

マーラー:交響曲 第3番 ニ短調

文・柴田克彦

 実は、これまで経験した最高のコンサートが、マーラーの交響曲第3番である。1986年2月13日、東京文化会館における小澤征爾指揮/ボストン交響楽団の演奏。終始惹き付けられた末の深く熱い感銘や、各楽章の演奏シーン、「もう音楽はしばらく聴かなくていい…」と思いながら下った上野の坂の光景などを、30年近く経った今でもありありと思い出す。観客全員が同様に感じたかどうかはわからない。しかし、楽曲と演奏と自身の心境が最上の形でリンクしたことだけは確かだ。そしてマーラーの3番は、かような奇蹟を生み出し得る作品でもある。

 同曲は、"夏休み作曲家"だったマーラーが、ザルツブルク東方のアッター湖畔のシュタインバッハで、1895~96年の夏に作曲した。当時彼は、ハンブルク市立歌劇場で1シーズン(約8ヶ月)に130回以上のオペラ公演を指揮していたというから、オフタイム(?)の集中力もまた常人離れしている。

 曲は、全6楽章、約100分もの超大作。全てが長いマーラーの交響曲の中でも最長で、かつては「史上最長の交響曲」としてギネスブックにも記載されていた。オーケストラは多数の打楽器を含む巨大編成の上、第1楽章では小太鼓、第3楽章ではポストホルンが舞台裏で奏し、第4、5楽章にアルト独唱、第5楽章に女声&児童合唱が入る。ただし奏者全員で音を出す場面は少なく、様々な楽器を駆使した精妙な響きや色彩感がサウンド的な妙味といえるだろう。

 マーラーは当初、全体と各楽章に標題を付けていた(後に取り去る)。全体の題は「夏の朝の夢」。各楽章の題は省くが、意味するものは"自然の愛から神の愛に至る壮大な夢"で、根底にあるのは"自然への賛美"だ。それはシュタインバッハの美しい風景に見とれている弟子ワルターに向けた有名な言葉、「私はそれら(自然)を作曲してしまったので、見る必要はない」によっても証明されている。

 第1楽章は、8本のホルンが吹く旋律(ブラームスの交響曲第1番の終楽章に似ている)で始まる壮大な行進曲。迫力充分で胸が躍る。第2楽章は、どこか鄙びたメルヘンの世界。第3楽章は、ユーモラスな場面と遠くでポストホルンが歌う夢のような場面が交代する。第4楽章は、アルト独唱がニーチェ「ツァラトゥストラはかく語りき」の「真夜中の歌」を静かに歌い、第5楽章は、女声&児童合唱と独唱が「子供の魔法の角笛」の「3人の天使が歌い」を明るく歌う。ここでの「ビム・バム(=キン・コン)」の歌声はとてもピュアで愛らしい。「ビム・バム」が消えて、弦楽器が第6楽章の主題を奏で始める瞬間は鳥肌物だし、大河がうねるように進むフィナーレは、マーラーの全交響曲中もっとも美しく、感涙&感動間違いなしだ。

 同曲ならではの魅力は、これほど多様な音楽が楽しめる上に、暗くも重くもないこと。マーラーの中で最も幸福感に充ちた交響曲であり、彼の悲劇臭が苦手な人でもきっと好きになれる。

 ともかく演奏さえ良ければ無類の充足感が得られる作品だが、今回指揮するのは小澤征爾も強く推す山田和樹。この巡り合わせに、最高の名演再び!の期待を抑えきれない。