山田和樹 マーラー・ツィクルス

MAHLER SYNPHONIES曲目紹介

マーラー : 交響曲 第5番 嬰ハ短調

文・飯尾洋一

 「ウ~~~、マンボッ!」の唸り声で知られるペレス・プラードの「マンボNo.5」は、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」にちなんでNo.5と名付けられたという説があるが(ホントかどうかは知りません)、ベートーヴェン以来、作曲家にとって(とりわけ交響曲にとって)「第5番」はしばしば特別な意味を持つマジックナンバーになっている。「暗から明へ」「苦悩から勝利へ」という、交響曲第5番が持つ外枠の大きな物語は普遍的な明快さを持つ。少年ジャンプの「友情、努力、勝利」の原則と同じように、この物語は決して古びることがなく、いつだって私たちの胸を熱くする。チャイコフスキーの交響曲第5番しかり、ショスタコーヴィチの交響曲第5番しかり。

 マーラーの交響曲第5番にも同じような明快さがある。まさしくベートーヴェンの第5番を思わせるような音型で開始され、苦悩は超克され、やがて輝かしい勝利の瞬間が訪れる。現在、マーラーのすべての交響曲のなかで、もっとも演奏頻度の高いのはこの第5番だろうが、それも納得できる。スペクタクルに富み、華麗。まさに王道の交響曲。

 と言いたいところだが、そう一筋縄ではいかないのがマーラーの音楽。20世紀の幕開けとともに書かれた新世紀の交響曲にふさわしく、作品には多義性、重層性が見てとれる。

 第1楽章の冒頭は「運命」風ではあるが、同時にこれは弔いのファンファーレでもある。いきなり葬送行進曲で開始される交響曲。葬られたのはだれなのだろう。交響曲そのもの?

 第2楽章の発想標語は「嵐のように動いて」。そういえば、交響曲第1番「巨人」の第4楽章も同じく「嵐のように動いて」。「巨人」の第3楽章も葬送行進曲だったが、葬送行進曲の後にはいつも嵐がやって来る。

 第3楽章はスケルツォ。ホルンの活躍ぶりは聴きどころ。ワルツのように優雅な舞曲でもある一方、ホルツクラッパー(ムチ)のタカタンタンと鳴る乾いた

音はグロテスクな死の舞踏を連想させる。

 第4楽章は甘美なアダージェット。ルキノ・ヴィスコンティ監督の映画「ベニスに死す」で使用されて一躍広く知られることになった愛の音楽だ。作曲者にとっては後世に自作がどんな映画に使われようが知ったことではないわけだが、映画はこの音楽から愛と隣り合わせの死のイメージを読みとらせずにはおかない。

 第5楽章はロンド・フィナーレ。オーケストラの機能美を最大限に引き出す、力強く壮麗なフィナーレが用意される。しかし絢爛たる響きの奔流のなかに、どこか歪んだ笑い声が聞こえてこないだろうか。壮大なコーダを締めくくる終結部分は、爽快であると同時に、あまりにも唐突で、語尾に括弧つきの(なんちゃって)の一言が添えられているようにも思える。はたして、この曲は「暗から明へ」「苦悩から勝利へ」と到達したのだろうか……。

 明快なようでいて思わせぶりで、フレンドリーなようでいて気難しく、古典的なようでいてロマン的、楽観的なようでいて悲観的、外はカリッ、中はふわっ。マーラーは一粒で二度おいしい。