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2025.07.18 UP

文化

文化と暮らしと渋アート。―《忠犬ハチ公像》と戦争と渋谷名物『ハチ公ソース』の話―(前編)

JR渋谷駅の改札を出てすぐのところにある、日本で一番有名なパブリックアートといえば《忠犬ハチ公像》。老若男女、渋谷を訪れたことがある人なら一度は目にしたことがあり、待ち合わせの思い出がある方も多いのではないでしょうか。

まさに渋谷のシンボルとも言える《忠犬ハチ公像》ですが、現在目にすることができるあの像が実は2代目であることは、あまり知られていないかもしれません。では、初代はどこに行き、どんな経緯で2代目が誕生したのか。そして初代ハチ公像をモデルにしたラベルの渋谷名物『ハチ公ソース』には、どんな歴史があるのか。

今回の『文化と暮らしと渋アート。』では、初代ハチ公像をつくった彫刻家・安藤照と秋田犬のハチ、そして『ハチ公ソース』の時代のクロスポイントを、前後編の2回にわたってご紹介します。

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●渋谷区立松濤美術館『黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―』

現在、渋谷区立松濤美術館(以下、松濤美術館)『黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―』で、東京では初めての回顧展が行われている彫刻家・安藤照(あんどう・てる)は、1892年に鹿児島県で生まれ、芸術家を志して1917年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学しました。在学中から帝国美術院展覧会(帝展)で彫刻家デビューし、翌年に帝展特選、1926年に帝国美術院賞を受賞、1927年には帝展彫刻部の審査員に任命されるなど、早くから頭角をあらわし、中堅彫刻家の作品研究の場として結成した団体「塊人社」のリーダーとしても活躍しました。

そんな華々しい経歴のイメージとは異なり、安藤の作品には写実的でありながら素朴で温かみのある造形が多く見られます。動物好きだった安藤は、ポスターに大きく登場している《兎》をはじめ、動物の作品も多く手がけました。特に狩猟を趣味としていたこともあって、猟犬をはじめ6~7頭の犬を飼っていたほど大の愛犬家だった安藤は、狩猟に長けたポインター犬をモデルにした作品も制作しており、のちに渋谷駅前で主人を待ち続けた秋田犬・ハチにも関心を向けることになりました。

安藤照《ポイント第二》1931(昭和6)年 鹿児島市立美術館蔵

 

●秋田犬のハチが「忠犬ハチ公」になったわけ

渋谷駅前に鎮座する《忠犬ハチ公像》のモデルになった秋田犬のハチは、東京帝国大学(現在の東京大学)農学部教授であった上野英三郎博士(1871-1925年)の飼い犬でした。上野博士は大の愛犬家で、引き取られたころは病弱だったハチを特にかわいがり、渋谷にあった自宅(現在の旧東急百貨店本店付近)から、当時目黒区駒場にあった東京帝国大学農学部へ徒歩で通勤する時も、別の職場や出張で電車に乗るために渋谷駅まで出向く時もハチを伴い、上野博士が仕事を終えて戻る頃にハチが迎えに行っていたそうです。

そうした生活は2年ほど続きましたが、上野博士は多忙の中、急逝してしまいます。
飼い主を失ったハチは、上野夫人の親戚の家などを転々としたのち、当時渋谷区富ヶ谷に住んでいた上野家出入りだった植木職人の家に預けられました。その頃から、ハチは朝夕2回渋谷駅に通うようになったと言います。その理由は定かではありませんが「長期で外出すると必ず渋谷駅から帰ってくる」という生前の上野博士の行動の記憶がハチの中にあったのかもしれません。やがて新聞に「帰らない主人をけなげに待つ老犬」と取り上げられ、ハチは「忠犬ハチ公」として全国的に有名になりました。

上野博士の自宅があった場所の近く、旧東急百貨店本店入口前から渋谷駅方向を撮影したもの。撮影された年代は不明ですが、現在の渋谷と比べると空が広く開けて見え、道幅も広く感じられます。(画像提供:白根記念渋谷区立郷土博物館・文学館)

当時渋谷に住んでいた人々は、街を歩くハチの姿をよく見かけていたと言います。すでに噂になっていたであろうハチのことを、安藤が知ることになったのも当然のことかもしれません。安藤は、新聞でハチを紹介した日本犬研究家の斎藤弘吉に頼んで、本物のハチをモデルとして作品を制作し、1933年の帝展に《日本犬ハチ》として出品。そして同作を原型とした銅像を設置する計画が持ち上がります。

 

●ハチと同郷・秋田生まれの創業者が渋谷でつくった「ハチ公ソース」

同じ頃、小川禮蔵という青年が、新宿区角筈(現在の西新宿周辺)で業務用ソースの製造卸業をはじめました。それが、渋谷名物『ハチ公ソース』を販売するハチ公ソース(株)の前身である小川商店です。小川氏は、1922(大正11)年に秋田から上京して、親戚のソース工場で修業したのち、1931(昭和6)年に独立。出身地・秋田県の秋田音頭でも有名な特産品・秋田蕗(ふき)の葉径をデザインした商標を用い、『大和富貴(やまとふき)ソース』と名付けて販売を始めました。1年後の1932年には工場を渋谷区神宮通(現在の神南一丁目)に移転。ちょうど、安藤の《日本犬ハチ》が帝展に出品される前年のことです。

安藤照《忠犬ハチ公》 制作年不詳 鹿児島市立美術館

2年後の1934年、ついに安藤が制作した初代《忠犬ハチ公像》が渋谷駅に建立されました。ハチ公像は改札を出てすぐの駅舎の屋根のひさしの下、改札に背を向ける形で設置され、除幕式にはハチも参加したそうですが、翌年の3月、ハチは病気が原因で息を引き取ってしまいました。亡くなった日の夕方にはハチの訃報を知った3,000人余りが銅像前に殺到し、ハチ公像にはたくさんの弔辞や供物、花輪が贈られたと言います。数日後に行われた葬儀も盛大に行われ、ハチが多くの人々から愛されていたことがよくわかるエピソードです。

小川氏もまた、同郷であったハチに親しみを感じていた1人でした。有名になった秋田生まれのハチの銅像を商標登録するため1941年5月に出願しましたが、紆余曲折あり、2年半後の1943年11月にようやく登録が認可。これでいよいよハチ公ソースが生まれるかと思われましたが、そこに襲ってきたのが『戦争』でした。

以前掲げていたハチ公ソースの看板。上部にハチ公像のイラストが描かれています。創業者の小川氏も愛犬家で、2頭いた飼い犬のうち1頭に必ず「ハチ」と名付けてかわいがっていたそう。「ハチ公」への想いが伺えるエピソードです。

<後編につづく>

 

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●今回ご紹介した展覧会はこちら
渋谷区立松濤美術館
『黙然たる反骨 安藤照 ―没後・戦後80年 忠犬ハチ公像をつくった彫刻家―』 
2025年8月17日(日)まで

●ハチ公ソース株式会社についてはこちら
ハチ公ソース株式会社公式サイト ※外部サイトに遷移します
☆渋谷限定の新商品・ソース味のポン菓子「ハチポン」が、Gourmand Market KINOKUNIYAほかにて好評販売中です。くわしくは<後編>で。

●あわせてまなぶ
白根記念渋谷区立郷土博物館・文学館
企画展『戦時中の人々の暮らしと子ども』 ※外部サイトに遷移します 
2025年7月15日(火)~10月19日(日)
※休館日などくわしくは、公式ホームページをご確認ください。

※参考資料等は、後編の文末に記載しています

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『マンガデザインで文化ツーリズム』では、ハチのふるさと・秋田県や安藤照のふるさと・鹿児島県の文化をはじめ、日本各地の文化を大阪芸術大学の学生がマンガデザインを通して描いた作品をご紹介するとともに、日本の文化を体験できるイベントなどの情報を発信しています。

ハチのふるさと:マンガデザインで文化ツーリズム 秋田県
安藤照のふるさと:マンガデザインで文化ツーリズム 鹿児島県