TOKIKO’S HISTORY 1968年から半世紀、2018年に贈る未来への詩(うた)
ハルビン発パリ行き
シベリアの東、ハルビンで生まれた私。終戦後日本に帰るまで、そして戦後も、亡命ロシア人の歌で育った。「暗い夜」「草原」「波止場の夜」、、、
パリ行きの列車に乗ったのは1965年、21歳。第2回日本アマチュアシャンソンコンクールに優勝。それでも66年新人賞を受賞した「赤い風船」は、ロシアの匂いのするリズムだった。
それからのTOKIKO’S HISTORY、「知床旅情」「百万本のバラ」「愛の讃歌」、、登紀子の歌ってきた地図は繋がっている。
アメリカの反戦歌「花はどこへ行った」は、ロシアの文豪、ショーロホフの「静かなドン」の中の、コサックの子守唄の歌詞からピート・シガーが作曲した歌。メリー・ポプキンの歌った「悲しき天使」もロシアの歌だ。
その1968年、学生たちが自由の旗を掲げた「パリ五月革命」は、遠きパリ・コミューンを思わせた。宮崎駿監督のアニメーション映画「紅の豚」でジーナが歌った「さくらんぼの実る頃」と「美しき5月のパリ」が繋がる。
それから半世紀過ぎた2018年。悲しみの中で世界は、愛を求め続けている。ポーランドのパルチザンソング「今日は帰れない」、ブルガリアの望郷の歌「モヤ・ブルガリア」、パレスチナの叫び「ユダヤの友へ」、、、
めぐりめぐる世界の中で、限りなく未来へと、人は繋がっていく。
これからも歌いつづける登紀子の地図が見えてきた。