無価値で無意味、でも不毛ではない……
私は私の「ボールペンアート」を創作しながら、なんどそのようなことを呟きながら、ボールペンによるドローイングを始めていたことか。
意味あり気で価値有り気な、その実、なんとも不毛なアートが、芸術の名を騙り、どんなにこの世に蔓延っていることか。怒りが詩をつくるとは夙に聴いてはいたことであるが、コクトーに言わせればピカソの絵画は怒りの産物だそうだ。
私はベットから飛び起き、なにも考えずに手元にあったボールペンを手にし、たまたま傍らにあった画用紙に意味もなくボールペンを塗りたくったものです。黒と青と赤、たった三色のペンでしたが、まるで知恵遅れの子供のように塗りたくっていると、その画用紙の表情が一瞬毎に変化をしていくのでした。その変化の妙は私を魅了しました。
「彼にこのような才能があったとは知りませんでした。」
びっくりした。田中氏は作家だという認識があったので、意表を突かれた。脳内のランダムノイズを転写したような曼荼羅のようでもあるが、そんな意味さえ塗りつぶされている。氏に何が起こったのだろう。ロバート・ジョンソンが一夜にして天才ギタリストになったように、十字路で精霊と契約したはずもない。とすれば、眠っていた才能がボールペンを握った途端に目覚めたとしか思えない。天賦の才能とは得てして眠っているものだ。絵画も音楽も表現の悦楽であることはぼくも承知している。考える前にペンを走らせ、ギターをつま弾く。やり続けていくと景色が変わる瞬間が訪れる。その境地を見せてくれる作品に出会うのも、現在では稀なことである。
(ミュージシャン 細野晴臣氏 談)
「2011-AT」

























