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第28回 | Bunkamuraドゥマゴ文学賞

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第28回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品

九螺ささら 著

『神様の住所』

(2018年6月 朝日出版社刊)

選 考 大竹昭子
賞の内容 正賞:賞状+スイス・ゼニス社製時計
副賞:100万円(出席ご希望の方はパリ・ドゥマゴ文学賞授賞式にご招待)
授賞式

2018年11月12日(月) 於:Bunkamura

同日17時より開催される受賞記念対談に30名様をご招待いたします。フォームよりお申し込みください。
申込締切:2018年10月31日(水)
※応募多数の場合は抽選となります。抽選結果は11月7日(水)までにお知らせいたします。
※参加は応募者ご本人1名様に限りますので、複数名でご出席を希望される場合は別々にご応募ください。
※重複してのお申込みは無効となります。

お申込みはこちら

受賞者プロフィール

©高橋由季

九螺ささら(くらささら)

神奈川県生まれ。青山学院大学文学部英米文学科卒業。
2009年春より独学で短歌を作り始める。2010年、短歌研究新人賞次席。
2014年から新聞歌壇への投稿を始め、朝日新聞「朝日歌壇」、日本経済新聞「歌壇」、東京新聞「東京歌壇」、ダ・ヴィンチ「短歌ください」、NHKラジオ「夜はぷちぷちケータイ短歌」など掲載無数。本書が初の著書となる。2018年8月には初の歌集『ゆめのほとり鳥』を刊行(東直子監修、書肆侃侃房「新鋭短歌シリーズ」)。

選評

「ジャンルを超えようとする意志」/ 選考委員 大竹昭子

 選考委員をお引き受けしてこのかた、どのように受賞作を選んだらよいかと考えてきました。文学賞が山のようにある昨今、作品として優れていることだけを理由には選べないと感じていたからですが、任期の半分を過ぎた頃、ふと、既成のジャンルを超えて文学とはなにかを問いかけているかどうかを選考の基準にしようと思いつきました。
 ここでいう「文学」が小説だけを指さないのは当然のこと、詩歌、俳句、評論、エッセイ、ルポルタージュとさまざまな形式が含まれますが、見渡してみればそれらにはすでに賞が設けられています。ならば、そこからもれるような、どこにも属す場のない作品こそがBunkamuraドゥマゴ文学賞の対象にふさわしいのではないかと考えました。
 ジャンルは作品を区分するのに便宜的に作られたものです。たしかに書籍を流通させたり読者がお目当ての本を探したりするには便利かもしれないですが、書き手にとっては枷になることがあります。本来は枠組みよりもこう書きたいという意志が尊重されるべきであり、物事の全体を見通したいと望むならば、枠は踏みこえられていくのが自然な成り行きです。
 そんなふうに考えていくうちに次のような方針が固まってきました。既成のジャンルに納まりきらない作品であることと、文学、すなわち言葉による表現とはなにかを根本から問う姿勢をもっていること、それが理屈ではなく表現への切実な感情によって支えられていること、はじめて世に問う作品であること。
 それらの条件をすべて満たしていたのが、受賞作に決まった九螺ささらさんの『神様の住所』でした。
 あとがきによると、九螺さんは結社に入らず独りでつくって新聞歌壇に投稿し、腕を磨いてきたようです。これが初の著作ですが、短歌だけでまとめるのではなく、短歌のあいだに散文を挟んで起承転結のある物語に仕上げています。従来の短歌集にしなかったところにチャレンジ精神が感じられますし、自分は納まりのよくない人間だというつぶやきも聞こえてきて、作家の自意識が伝わってきました。
 たとえば「無限」という項の冒頭には、つぎの一首が掲げられています。
「1÷3と電卓で打つ連なった3が宇宙の果てを突き破る」
 無限には、空間的無限と時間的無限の二種類があるという文章がこれにつづき、三面鏡に自分の像が無限に映るのが恐ろしくてシーツをかけて見えなくしたという話に発展し、最後は以下の一首で締めくくられます。
「三面鏡の中の無限のわたしたちごめんわたしが抜け駆けをして」
 このように幼いころに抱いた不安や恐怖の元が、成長過程で獲得した言葉を使って解明され、しかも言葉の意味だけでなく、音や文字の形にも考えを延ばしていきます。読み進むうちに、慣れ親しんできた言葉が別の相貌をまとい、ふだん使っていない頭の部位がマッサージされるような不思議な感興がわきおこりました。
 また哲学、物理、数学など、短歌から遠いところにあるような概念がひょっこり顔をだし、それが「ふえるワカメ」「はんぺん」「たわし」などの日常語と等価に扱われているのも痛快で、こういうものは読んだことがない、とページから眼を挙げて幾度もため息をついたのでした。
 九螺さんのことは本書ではじめて知りましたし、この原稿を書いている現在はインタビューなどもまだ出ていないので、作者を知る手がかりは作品の中にしかありませんが、「私」という存在を細かく砕かずにはいられない彼女のひりひりするような自意識に切実なものを感じます。
 授賞式では記念対談をおこなう予定ですが、そのときが九螺さんにお会いする最初の機会となるでしょう。それまではできるだけ情報を入れないようにして、この著作のみを携えてその場に臨むつもりです。情報過多の現代では、そうするほうがむしろスリリングな気がして楽しみです。

大竹昭子(おおたけあきこ)

1950年、東京生まれ。小説、エッセイ、ノンフィクション、写真評論、書評、映画評など、ジャンルを横断して執筆。トークと朗読の会<カタリココ>主催。また東日本大震災以後、<ことばのポトラック>も毎年開催。散歩マニアにして無類の間取り好きである。写真も撮り、座談の名手としても知られる。
小説作品に『随時見学可』、『図鑑少年』、『ソキョートーキョー』、『間取りと妄想』があり、他に『彼らが写真を手にした切実さを―《日本写真》の50年』、『日和下駄とスニーカー』、写真集『ニューヨーク1980』など多数。近著は、生前交流のあった須賀敦子の起伏ある人生をたどり、その作品の核心に迫る意欲作『須賀敦子の旅路 ミラノ・ヴェネツィア・ローマ、そして東京』(文春文庫)。