© COURTESY OF IRA AND LEONORE GERSHWIN TRUSTS USED BY PERMISSION
ガーシュウィン、ヘイワード、アイラ・ガーシュウィン
 現在、ガーシュウィンは、クラシックの世界では「ラプソディ・イン・ブルー」や「パリのアメリカ人」の作曲者として、ジャズの世界では数々のスタンダード・ナンバーの作曲者として知られているが、存命中の彼は、何と言っても、ブロードウェイの人気作曲家だった。そんなミュージカル作曲家が初めて本格的なオペラに取り組んだのが、「ポーギー&ベス」である。
 1926年、ガーシュウィンは、「ポーギー&ベス」の原作となるデュボーズ・ヘイワードの小説「ポーギー」をたまたま読んだ。彼は、その足の不自由な貧しく心優しい黒人青年の物語に深い感銘を受け、いつかこの小説をオペラにしたいと願った。しかし、ガーシュウィンはミュージカルの作曲に忙殺され、1934年になってようやく「ポーギー」のオペラ化に取り掛かることができた。

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「ポーギー&ベス」を作曲中のガーシュウィン
 1934年夏、ガーシュウィンは、「ポーギー&ベス」の取材のため、ヘイワードとともに、サウスカロライナ州チャールストンの沖にあるフォーリー島に滞在した。ガーシュウィンは、この島で南部に生きる黒人たちの生活や音楽を強烈に体験した。そこには、黒人たちのルーツとなるアフリカの風習が残っていた。ガーシュウィンは、地元の黒人たちのノド自慢である「シャウティング」に参加し、大喝采を受けるほど、彼らと打ち解けた。ガーシュウィンは、もともと、ハーレムで黒人の奏でるジャズの調べに魅せられ、「ラプソディ・イン・ブルー」にジャズを取り入れるほど、黒人音楽を愛していたが、それは都会的に洗練されたジャズだった。この南部の島で出会った音楽は、もっとアフリカ的な色合いを残した黒人霊歌や複雑なリズムのポリフォニーであったのだ。
 一方でガーシュウィンは、ラヴェルやシェーンベルクとも交流があり、クラシックの作曲家として成功を収めるを強く希望していた。そして遂に念願のオペラを書き上げた。ガーシュウィンはこの「ポーギー&ベス」をできればオペラの殿堂であるメトロポリタン歌劇場で上演ほしいと密かに願っていた。結局、その夢はかなわなかった。「ポーギー&ベス」は、シアター・ギルドによってブロードウェイのアルヴィン劇場で上演されることになった。しかし、メトロポリタン歌劇場ではなかったからこそ、上演に関してガーシュウィンに大きな権限が与えられ、黒人だけでキャストを組むことができた。
 「ポーギー&ベス」は、ガーシュウィンが、慣れ親しんだミュージカルでの経験、大好きなジャズ、南部の島で出会った黒人音楽、自らのルーツであるユダヤの音楽、そして、クラシック(オペラ)の技法などのすべてを注ぎ込んだ、彼の集大成的な作品なのである。
音楽評論家/山田治生


「ポーギー&ベス」特別番組放送決定!
7/24(土)10:45〜11:40 テレビ朝日
「森公美子&上原さくら 歌って泣いた!アメリカ縦断の旅」

エンターテインメントの国アメリカでの楽しみ方を達人・森公美子さんがミュージカル初心者の上原さくらさんに伝授します。
偉大なる作曲家ガーシュインのお宝発掘、ポーギー役のアルヴィー・パウエルとの出会いなど、見どころ満載です。
ニューヨーク、ワシントン、チャールストン、アメリカ1000キロ縦断の旅。
アメリカが生んだエンターテインメント「ポーギー&ベス」の魅力を探ります。
※一部放映されない地域もあります。



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