印象派への旅 海運王の夢 バレル・コレクション

Columnコラム

1勤勉な実業家が集めたしっとりとしたコレクション
2バレエの話ですが、オーチャードホールではなくザ・ミュージアムです!
フィンセント・ファン・ゴッホ 《アレクサンダー・リードの肖像》 1887年、油彩・板、ケルヴィングローヴ美術博物館蔵 © CSG CIC Glasgow Museums Collection

海運王となったサクセス・ストーリー

19世紀末から20世紀にかけてスコットランドの港湾都市グラスゴーは海運業と重工業で空前の繁栄を享受していました。この町で生まれたウィリアム・バレル(1861-1958)は家業の海運業を15歳から手伝いはじめ、持って生まれたビジネスの才能が徐々に発揮され巨万の富を築くことになりました。バレル・コレクションの背景には海運王となったこうしたサクセス・ストーリーがあるのですが、美術ファンにとって嬉しいのは彼がその富を美術品収集につぎ込んだことでした。初めて美術品を買ったのも15歳の頃で、オークションで買ったという早熟ぶり。父親からは、そんなものに金を使うよりクリケットのバットでも買うようにとたしなめられたと言います。
バレルが本格的に美術品の収集を始めたのは20代になって商用でフランスなどに行くようになってからのことで、この時期にエディンバラやグラスゴーで開催された万博もきっかけでした。そこにはスコットランドの他の収集家からの借用作品が多く展示されていたからです。美術の観方は独学で学んだバレルでしたが、収集の後押しをしたのは同郷の画商アレクサンダー・リードでした。リードは同じく画商だったゴッホの弟と親しく、そこから印象派を始めとする当時のフランスの画家たちと直接交流した大物画商で、本展にはゴッホが描いたリードの肖像画も含まれています。フランス絵画に興味を持っていたのはスコットランドの他の収集家も同じで、18世紀初頭、隣の強国イングランドに併合されながらも独自の政治的地位と文化を保っていたこの「国」は、イングランドに対する特別な感情もあって文化的にはイングランドを越えてフランスに目が行っていたのです。

ポール・セザンヌ 《エトワール山稜とピロン・デュ・ロワ峰》 1878-79年 油彩・カンヴァス ケルヴィングローヴ美術博物館蔵 © CSG CIC Glasgow Museums Collection

落ち着いた雰囲気の作品群

勤勉な実業家バレルが独自の視点で集めた作品群には、彼の控えめで真面目な性格がよく表れています。19世紀後半の他の実業家のコレクションと共通して、彼の趣味も保守的で、暗い色調の写実的な具象画を好む傾向がありました。美術史的には写実主義のクールベやバルビゾン派から印象派に至るフランスの作品が中心で、そこに穏やかな色調で風景を描いたオランダのハーグ派や、軽快な水彩画を得意としたスコットランドの画家の作品を加えたかたちになっていますが、全体として落ち着いた雰囲気が通底しているのが特徴です。なお本展にはバレル・コレクションと同じくグラスゴー市管轄のケルヴィングローヴ美術博物館から印象派の作品7点が補完的に加えられており、内6点がウィリアム・マキネスというグラスゴーの別の海運業者のコレクションです(残り1点は先述のゴッホ作品で、市が購入)。
総数80点からなる本展は、グラスゴーの繁栄と画商リードの活躍を語る序章から始まり「身の回りの情景」、「戸外に目を向けて」「川から港、そして外洋へ」という構成となっています。出品作品はフランスやオランダを舞台としているのですが、スコットランドで活躍したバレルの人生の展開を重ね合わせることで、海運王の夢が託された名画を巡る印象派への旅として作品を鑑賞していただけるようになっています。

エドゥアール・マネ 《シャンパングラスのバラ》 1882年、油彩・カンヴァス © CSG CIC Glasgow Museums Collection

身の回りの情景

少年の頃からビジネスの世界に身を置いたバレルにとって、外の雑踏から遮断された室内空間は心を癒す場所であり、自らを見つめ直す場所でもあったことでしょう。そんなプライベートな情景を描いた作品は私たちの心も静めてくれます。またそこでは小ぶりの静物画は、親密な雰囲気の室内を演出するための必須のアイテムだったとも言えます。そして明るい印象派の手法よりも、控えめで地味な写実主義の作品のほうが、そのような空間には相応しい場合もあったことでしょう。

エドガー・ドガ 《リハーサル》 1874年頃、油彩・カンヴァス © CSG CIC Glasgow Museums Collection

戸外に目を向けて

産業革命が進むヨーロッパでは都市が主な生活の場となり、そこで働く人々を描いた絵をバレルは好んで集めたようです。街は子供たちの活動の場でもありましたが、意外にもドガが描くようなバレエ教室に通う少女たちは貧しい家庭の子供で、パトロンを見つけることがその目的の一つであったといいます。もっともドガの作品自体は考え抜かれた構図のなかに稽古の緊張感を余すところなく伝える秀作で、バレルはそのような裏話には無関心だったことでしょう。また画家たちは工場から出る石炭の煙で煤けた都市を逃れて、郊外に制作の場を求めることも多かったのですが、それらの絵画を買い求めたのは都市に住む人々でした。

ウジェーヌ・ブーダン 《ドーヴィル、波止場》 1891年、油彩・板 © CSG CIC Glasgow Museums Collection

川から港、そして外洋へ

グラスゴーは小さな渓流が集まって大きな流れとなるクライド川の河口上流に位置する工業都市ですが、バレルもまた、まるで渓流が大河になるように家業を大きくしていき、それは美術品収集においても同じでした。彼のコレクションはフランス絵画にとどまるものではなく、中世のステンドグラスや、インドやペルシア、中国の美術品に至るまで実に多岐にわたり、その数は数千点にものぼります。バレル自身は船乗りになろうとは思わなかったようですが、実際の船旅ではなく美術品の収集を通じて大海原に乗り出していったのです。本展で私たちはブーダンらの作品を通じて外洋を行く船を想像します。バレルはグラスゴーの港で自らが所有する幾艘もの船を、どんな思いで眺めていたのでしょうか。

(ザ ・ ミュージアム 上席学芸員 宮澤政男)

1勤勉な実業家が集めたしっとりとしたコレクション
2バレエの話ですが、オーチャードホールではなくザ・ミュージアムです!