学芸員による作品紹介コラム

コラム1 ボッティチェリ 《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》

マネーが支え、マネーを魅了した自由な美の世界

ヨーロッパでは中世後期から聖母信仰が高まり、聖母マリアと幼子イエスを描いた作品が大そう好まれた。そしてルネサンス期を迎えると、それまでの威厳に満ちた神の母のイメージよりも、聖母は身近にいるいような優しい若い女性として描かれるようになる。理想の女性像が、そして永遠の母性のイメージがそこに託されたのである。本展に期間限定で日本初公開作品として出品されるサンドロ・ボッティチェリ(1445‐1510)の見事な円形画《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》に描かれているのは、まさにそんな愛に満ちあふれた、優しく美しい聖母の姿である。

 非常に似たポーズのマリアは本作の数年前に描かれた《キリストの降誕》(出品作)にも登場し、生まれたばかりのイエスと共に描かれている。しかしその舞台が素朴なうまやなのに対し、本作ではバラ垣の中の様子が描かれている。それは最も美しい花とされるバラが、美しい聖母マリアを象徴するとされていることと関連する。また本作の下部にはルカによる福音書中でマリアがイエスを讃える文言「わたしの霊は救いぬしである神を喜びたたえます」に続く一節が記されている。「身分の低い、このしゅのはしためにも 目を留めてくださったからです」。実は聖書ではこの発言をしたときマリアは妊娠中であり、本作の情景とは一致しない。ところが幼い洗礼者ヨハネもいるこの場面は、まさにキリストの降誕を描いたものである。つまり本作は作者ボッティチェリ独自の解釈による聖書世界なのであり、彼の一番の関心事は聖母マリアの優美さと深い母性を象徴的に表現することであったといえるだろう。たしかに本作では、ボッティチェリ特有の優美な表情と繊細な輪郭線が際立っている。

 本作はローマで働いていたフィレンツェの銀行家ベネデット・サルターニが、マントヴァのゴンザーガ侯のためにボッティチェリに制作させたものと言われている。つまり本展のテーマである当時の銀行家と芸術との新たな関係を示す好例であり、教会から距離を置いたその関係は、画家の自由な解釈が生みだす独自の美の世界の構築を支えていたのである。

ザ・ミュージアム 上席学芸員 宮澤政男