写真家ドアノー/音楽/パリ

COLUMN
コラム

Column 1
〈前編〉

ロベール・ドアノー(1912-1994)は、パリを舞台に市井の人々が織りなす多様なドラマを、類まれな洞察力とユーモアに満ちた感覚でとらえ続けたフランスの国民的写真家です。日常の片隅で起きる何気ない瞬間を絶妙なタイミングでとらえ、“イメージの釣り人”とも評されるドアノーによる様々なパリの街角スケッチは、現在、世界中で共有されている“パリ”のイメージの確立に一役買ったといっても過言ではありません。

『写真家ドアノー/音楽/パリ』は、ドアノーの没後、遺族によって創設されたアトリエ・ロベール・ドアノーが保管管理する約45万点にも及ぶ作品群から、孫娘のクレモンティーヌ・ドルディルが、“音楽”と“パリ”いうテーマで精選した約200点で構成される展覧会です。2018年末から2019年春にかけて、パリの音楽博物館で開催され大好評を博した展覧会を、新たに発見された未発表作品も追加して日本向けに再構成した贅沢な展覧会となります。

「人生を通して、自分のために小さな劇場を創り続けてきた」ロベール・ドアノー

ロベール・ドアノー《パリ祭のラストワルツ》パリ 1949年7月14日 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact
ロベール・ドアノー《パリ祭のラストワルツ》パリ 1949年7月14日 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

ロベール・ドアノーは、1912年、パリ郊外のジャンティイに生まれました。1840年代に軍事目的でパリ市との境界に築かれた城壁で分断された郊外は、中心部からはじかれた労働者階級、移民や貧民層が多く住む“辺境”であり、20世紀に入り城壁が解体されても、パリとその郊外に住む人々との間には見えない壁が立ちはだかっていました。“城壁の向こう”であるパリは華やかな光に満ちた都市であり、ドアノーが生まれ育った郊外は光が作り出す影に覆われた場所だったのです。ドアノーが終生パリを愛し続けたのも、自分にとって永遠の憧れの都だったからに他なりません。その客観的視点が、国境も時代も超えて多くの人々に愛される写真を撮り続けられた理由の一つともいえます。

小さな建築工事会社で働く父の下に生まれ、7歳で母を亡くしたドアノーの幼少期は、灰色でした。喪失感と淋しさを紛らわせるため、近所の小さな川で釣り糸を垂らし何時間も水の流れを見つめながら、「どうしたら、この水の流れを止めることが出来るのだろう」と一人で考え続けることが日常になっていきます。写真家になることなど微塵も想像し得なかった時期から、写真の本質である“瞬間をとどめる”という大命題に大きな関心を抱いていたことを示すこのエピソードは、生まれながらにドアノーが写真家の資質を持っていたことを物語っています。人見知りだったドアノーは、自分の世界にこもって本を読むこと、絵を描くことで、辛い現実から逃れ想像の世界に喜びを見出す術も身につけていきます。「生きていくというのは、当たり前につらいことばかりだ。それなのに、なぜ敢えてつらい現実を写真にして人々に見せる必要があるんだ。私は多くの人たちが見逃している小さな喜びの瞬間を提示するのが仕事だ」という、後のドアノーの写真家としての哲学は、この時期から芽生えていたのです。

株式会社コンタクト 佐藤正子(本展企画協力)

Column 1
〈後編〉

「見た人に物語の続きを想像してもらえるような写真を撮りたい」ロベール・ドアノー

ロベール・ドアノー《運河沿いのピエレット・ドリオンとマダム・ルル》パリ 1953年2月 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact
ロベール・ドアノー《運河沿いのピエレット・ドリオンとマダム・ルル》
パリ 1953年2月 ゼラチン・シルバー・プリント
©Atelier Robert Doisneau/Contact

裕福とは言えない家庭の中で、早くから独立することを期待されたドアノーは、17歳から石版工の見習いとして働きはじめます。ワインのラベルなどの版作りを担っていた石版は、写真術の発達に伴い、次第に過去の技術になっていく時代でした。必然的にドアノーも写真術を学ぶことになり、写真家としての扉が開かれることになったのです。その後、自動車メーカー・ルノーの産業カメラマンなどを経て、フリーとして多くの雑誌や広告に写真を提供するようになっていきます。

ロベール・ドアノーは、生涯、職業写真家を自負し、友人でもあったアンリ・カルティエ= ブレッソンを引き合いに出し、「私は彼のような芸術家ではない」と冗談交じりに語っていました。現在では名作として世界中で高い評価を得ている作品も、実はそのほぼすべてが注文を受けて仕事として撮影されたものです。こうした注文仕事のおかげで、当時の芸術家、知識人、芸能人たちをとらえたポートレートの傑作が多く生みだされ、現在では、ドアノーのアーカイブの重要な部分を構成しています。

「街角」「歌手」「ビストロ、キャバレー」「ジャズとロマ音楽」「スタジオ」「オペラ」「モーリス・バケ」「80-90年代」という8章で構成される本展は、ドアノーが真面目な“職人”として膨大な注文仕事をこなしてくれたおかげで実現した展覧会ともいえます。パリの市井の人々の日常の中に溢れる音楽、エディット・ピアフ、イヴ・モンタン、ジュリエット・グレコなどその時代を飾ったキラ星のごとき歌手たち、ボーヴォワール、ボリス・ヴィアンといったサン=ジェルマン=デ=プレを中心に花開いた文化の立役者たち、ドアノーの生涯にわたる友人であり、パリの街の指南役でもあった詩人のジャック・プレヴェール……。ドアノーならではの遊び心が加味された作品のいずれもが、その奥底から音を奏で“小さな喜び”となって、心の奥に静かに広がっていきます。生きることの切なさ、哀しさ、愚かさ、そして素晴らしさを常に愛し、それぞれの日常を生きる人々に対しても、大きな舞台で賞賛を浴びる有名人に対しても、一人の“職人”として距離を違えることなく、愛すべき被写体として向き合ったドアノーの作品群は、まさに、生涯をかけて作り上げた“ロベール・ドアノー劇場”と呼ぶにふさわしいものです。

株式会社コンタクト 佐藤正子(本展企画協力)

Column 2

「パリは時間の浪費がチケット代わりになる劇場だ」ロベール・ドアノー

ロベール・ドアノー《流しのピエレット・ドリオン》パリ 1953年2月 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact
ロベール・ドアノー《流しのピエレット・ドリオン》
パリ 1953年2月 ゼラチン・シルバー・プリント
©Atelier Robert Doisneau/Contact
ロベール・ドアノー 《サン=ジェルマン=デ=プレのジュリエット・グレコ》 1947年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact
ロベール・ドアノー 《サン=ジェルマン=デ=プレのジュリエット・グレコ》
1947年 ゼラチン・シルバー・プリント
©Atelier Robert Doisneau/Contact

パリという都会に特別な魅力を感じるのはフランス人も同じで、実はロベール・ドアノーもそんなひとりです。東京に暮らす多くの人が銀座にばかり住んでいないのと同様、パリでも多くの人が郊外に住み、ドアノーが生まれたのもパリに隣接する町で、蒲田のようなイメージでしょうか。父は小さな建築工事会社で働く労働者で、あまり裕福ではなかったドアノーは17歳から石版工の見習いとして働きはじめます。当時、石版印刷〈リトグラフ〉は写真に地位を奪われていき、ドアノーも写真に興味を持つようになったのが写真家になるきっかけでした。写真家といっても、最初は自動車メーカー・ルノーの産業カメラマンで、きっと仕事が終わると安いビストロで、その日に街中であったことを思い出しながら、酒をひっかけていたに違いありません。本展出品作の流しの女性ピエレット・ドリオンも、まさにそんな酒場に夜な夜なやって来て、曲を奏でていたのでした。実際、彼女は庶民的な酒場ばかりを回っていたようで、この美貌ならもっと中心部に行けばお金も稼げたのにと思うのですが、むしろそれがパリの魅力なのです。「もう一曲」。彼女を見ていたくて、ついこう言ってしまいそうです。本展ではパリが劇場に、コンサートホールになる様子が写真に捉えられている作品が多くあります。サン=ジェルマン=デ=プレ教会を背景にしたジュリエット・グレコは、「街角で偶然に」ドアノーが見つけた場面です。まだ人気歌手になる前の頃。しかしこの写真には、なにか素敵なことが起こる予感までもが表現されており、ドアノーの力量が感じられます。音楽をテーマにパリをめぐる本展、チケット代は決して浪費ではないと思います!

ザ ・ ミュージアム 上席学芸員 宮澤政男

Column 3
〈前編〉

このガイドは本展を音楽的な視点から掘り下げて鑑賞していただけるように、展示室内で配布しているものです。
展覧会の予習にぜひお読みください。

ロベール・ドアノーが切りとったパリの音楽の一端、音楽の諸相―。

いろいろな場所があります。場所によって音楽が違います。集まってくる人も、歌い、奏でる人も、です。しかも時代の変化も写しだされています。

時代とともに人も音楽も変化します。シャンソンからフレンチ・ポップス、ジャズからロック、ワールド・ミュージック、クラシックから前衛音楽、地方や外国からやってきた音楽も。でも、フランス人にとってはよく知られている、人気がある人たちがほとんどです。

第1章 街角

パリのイメージと結びつくもののひとつ、アコーディオン。戦前から戦後、1950-60年代くらいまでのイメージかもしれませんが。この楽器、伴奏にも主役にもなります。右手と左手で蛇腹を開いたり閉じたり。楽器が空気を吸って、吐いて、音をだします。人の呼吸のようです。弾く人の呼吸もシンクロします。持ち運びができ、音も大きいので、屋外にも持って行きやすい。パリのアコーディオンと結びつきが強いのは一種のワルツともいえるミュゼット。もともとブルターニュから出稼ぎにやってきた人たちが心身に抱えてきた音楽と、イタリアからやってきた人たちが持ってきた楽器とがパリとの出会いが、この音楽を生みだしました。

第2章 歌手

シャンソン、なんとなくフランスのイメージです。ごく普通に、フランス語で「うた」。世俗歌曲のことです。宗教的なものではありません。中世とかルネッサンスからそう呼ばれていて、エリック・サティの《きみがほしい》、フランス国歌になった《ラ・マルセイェーズ》、《キラキラ星》、《アヴィニョンの橋の上で》とか、どれもシャンソンです。

1960年代以前の歌手たち、たとえばエディット・ピアフやジュリエット・グレコ、モーリス・シュヴァリエ、イヴ・モンタンといった特定の歌手が歌うのがシャンソン。第二次世界大戦の前後にこちら日本で公開されたフランス映画や輸入されたレコードから、ある特定のスタイルをシャンソン。と、そんなふうにこちらでは呼ぶようになってしまったようです。でも、シャンソンはもっとずっと広い。もっとラフに、うた、ととらえましょう。

1960年以降、ジャンルとしてはフレンチ・ポップス、あるいはヴァリエテと呼ばれたるほうが一般的でしょうか。シルヴィ・バルタンやミシェル・ポルナレフ、ジョニー・アリディ。この写真展で姿を見ることができるのは、シャルル・トレネやヴァンサン・スコット、バルバラやジュリエット・グレコ、ティノ・ロッシ、シャルル・アズナブヴール、ジョルジュ・ブラッサンス、ムルージら。いわば、往年の名歌手たち。シャンタル・ゴヤのようなちょっと下の世代の人もまじっているのも楽しいところです。

ロベール・ドアノー《イヴ・モンタン》 1949年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact
ロベール・ドアノー《イヴ・モンタン》 1949年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

第3章 ビストロ、キャバレー

気軽にワインを飲んだり食事を楽しんだりする店、ビストロ。産業革命の時期、オーヴェルニュからやってきた人たちが開いた店がもとになっています。もとはコーヒーと石炭を扱っていたようです。それが少しずつ変化してビストロになります。音楽好きのオーヴェルニュ人たちの店で音楽が響くのは必然的だったといえるでしょう。キャバレーは19世紀末のパリ発祥。いろいろな人たちが集まって飲んだり食べたりするところで、音楽も欠かせぬ要素でした。

第4章 ジャズとロマ音楽

アフリカン・アメリカンと西洋楽器がアメリカ合衆国で出会い、生まれたジャズ。すぐヨーロッパにわたって親しまれるようになりました。ジャズは20世紀の前半だけでも大きく変化を遂げます。第二次世界大戦でドイツに占領されていたパリを連合軍が解放しますが、ジャズは解放のイメージとも結びついていたといえるでしょう。

他方、中世のころ、インドから北アフリカを経由してヨーロッパにやってきて芸能を生活の糧とするロマは訪れた土地土地で自分たちの心身の奥にある音楽と現地の音楽とをミックスし、新たな音楽にしてきました。南フランスやスペインのロマを「ジターヌ」、北フランスやベルギーのロマを「マヌーシュ」と呼びます。

小沼純一(音楽・文芸批評/早稲田大学教授)

Column 3
〈後編〉

このガイドは本展を音楽的な視点から掘り下げて鑑賞していただけるように、展示室内で配布しているものです。
展覧会の予習にぜひお読みください。

第5章 スタジオ

フランスは、ヨーロッパの芸術音楽、いわゆるクラシック音楽の重要な拠点です。コンサートホールとともに、放送やレコーディングに、スタジオが多用されるようになります。スタジオはまた、電気・電子的な音響を実験する場でもありました。クラシックというと演奏家が連想されますが、創作もあります。しかも、第二次世界大戦後は「前衛」的な動きもでてきてます。そうした音楽家の貴重な姿がここにあります。

第6章 オペラ

メトロの「オペラ」駅から外にでると、目の前にそびえるネオ・バロック様式の「オペラ座」、オペラ・ガルニエ。1875年の完成です。オペラとはもともとイタリア語の作品という意味ですが、いわゆる「オペラ」にとどまらぬ、音楽と舞台が結びついた芸術にとってかけがえのない場にほかなりません。かつては作品の鑑賞以上に社交の場としての役割も持っていたのですが。なお、オペラ・ガルニエ完成のほぼ一世紀後、1989年にはオペラ・バスティーユが完成しています。

第7章 モーリス・バケ

チェリストにして俳優、登山家のモーリス・バケ(1911-2005)は、音楽を学んだあと、演奏家として一本立ちするのとはちょっと違って、楽器を手にした俳優とでもいうべきキャラクターとなったのです。多くの映画、舞台に出演し、1930年代にはジャン・ルノワール監督の『ランジュ氏の犯罪』や『どん底』にもでています。スキーも達者で、ただ滑るだけではなく、ユーモラスなパフォーマティヴでも知られています。そんなときの相棒がチェロ、でもありました。ドアノーとは友人で、年齢も1歳違い。この人物を中心にした写真集『チェロと暗室のためのバラード』もあります。最近になって、ドアノーがこの音楽家にして俳優に送った手紙が1冊の本になったのですが、最後に収められている1通はバケからドアノーへのもので、「どこにいるんだい?/ずいぶんきみからの便りがないけど」と始まる手紙の日付は1994年3月31日。ドアノーが亡くなったのは翌日、4月1日でした。

ロベール・ドアノー《雨の中のチェロ》 1957年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact
ロベール・ドアノー《雨の中のチェロ》 1957年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

第8章 1980-90年代

1960年代から70年代はロックの時代、レコードやカセットテープで音楽を享受し、ライヴやコンサートに足をはこんで、視聴覚両面で音楽を堪能する時代です。パリはアフリカととてもちかい近い都市のひとつで、ここから1980-90年代にはアフリカの音楽とロックのサウンドやビートとを結びつけた「ワールド・ミュージック」が発信されます。音楽があたりまえでありつつ、いまよりもっとアツく、アクチュアルだった時代だったのかもしれません。

もしかすると、ドアノーが撮影した20世紀のパリ、音楽が満ちていたパリは、21世紀の人たちにはいささか遠く感じられるかもしれません。さまざまなメディアが世界中に広まり、音楽は、今、どこかが中心というふうではなくなっている。そう思われてもしかたない。とはいえ、パリは今でも、ドアノーの撮影した時代とはすこし違っているかもしれないけれど、今でもやはり音楽の街です。そのことを、この写真展を通して想像していただければ幸いです。

小沼純一(音楽・文芸批評/早稲田大学教授)

Column 4

「ローライフレックスのなんと礼儀正しく、慎み深いことか」ロベール・ドアノー

ロベール・ドアノー《ロベール・ドアノーのセルフポートレート》ヴィルジュイフ 1949年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact
ロベール・ドアノー《ロベール・ドアノーのセルフポートレート》ヴィルジュイフ 1949年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

二眼レフカメラのローライフレックスについて、意味深長な言葉を紡ぐ写真家のロベール・ドアノー(1912-1994)。この言葉の後にその真意が伝えられます。「カメラを身体の中心で構えるので、背中を曲げなければならず、被写体に敬意を払っているような形になる」

今なお世界中で愛され続けているドアノーですが、本人はとても控えめな人物でした。写真家はこのカメラを構えた際にお辞儀をするような独特の姿勢を気に入っており、その言葉どおり撮影時は被写体を尊重し、温かな交流を深めることをモットーとしていました。本展ではドアノーの写真約200点とあわせ、愛機ローライフレックスが日本初公開となります。

ロベール・ドアノー《熟練の工員たちによる組立》マント 1938年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact
ロベール・ドアノー《熟練の工員たちによる組立》マント 1938年 ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact

このカメラを相棒にドアノーは実に多くの音楽シーンの撮影に臨みました。被写体は多岐にわたり、キャリアの駆け出しにあたる1938年にはビュッフェ・クランポンのクラリネット工房のルポルタージュに取り組みました。写真からは、裕福ではない家庭で育ったドアノーの親愛のまなざしをとおして、仕事に励む工員の実直さが伝わってきます。このルポルタージュとともに本展に展示される、当時のビュッフェ・クランポンのクラリネットも必見です。

また、本展では100年ほど前のキャヴァニョロ社製のアコーディオンが参考出展されるほか、出品作に登場する歌手たちの歌声とともに音楽溢れるパリの街へドアノーが誘います。旅行もままならない今日ですが、ドアノーが愛した街、パリの雰囲気に浸かりながらつかの間の音楽散歩をお楽しみください。

ザ・ミュージアム 学芸員 吉川貴子