写真家ドアノー/音楽/パリ

CHAPTERS
章解説

LA RUE
第1章街角

「もし伝書鳩が地図を読むことを覚えたら、きっと方向感覚を失ってしまうだろう。写真家は仕事をするとき、画家のアトリエの静かさもなければ、著述家の書斎の孤独もない。彼は生活の雑踏のなかへそれを探しにゆく」

《音楽好きの肉屋》パリ 1953年2月
《音楽好きの肉屋》パリ 1953年2月
《運河沿いのピエレット・ドリオンとマダム・ルル》パリ 1953年2月
《運河沿いのピエレット・ドリオンとマダム・ルル》パリ 1953年2月

音楽好きの肉屋

この時期ドアノーは物書きの友人、ロベール・ジローと夜の町の人々を撮ることを日課にしていました。あるとき流しのピエレット・ドリオンに出会い、すっかり魅了されたドアノーは、数日間店から店へと移動し歌う彼女に密着し、撮影をしました。
彼女がいつも歌うのは「どんなにあなたを愛しているか、あなたにわかりはしない……」というエレジーであり、じっと耳を傾ける肉屋は仕事中に抜けてきたのか、少し汚れたエプロンをつけています。

パリの「流し」

ドアノーの時代から現代まで、パリにはシャンソンを歌う多くの流しがいます。下町のビストロ(大衆食堂)や酒場が彼らの主な舞台であり、一日の仕事を終えて疲れた聴衆たちにひとときの癒しと楽しみを与えました。時にはアコーディオンやギターを伴い、または歌手独りで街角の音楽家となる流しは、演奏がひとつ終わると客にカゴを回し、人々は思い思いに小銭を入れていくのです。ドアノーはたくさんの“街の音楽家”の写真を残しました。

CHANTEURS
第2章歌手

「私はクラシックに通じていなかったが、
シャンソンのおかげでずいぶん理解することができた。
街角から聴こえる口笛は、やさしい空気となって
私を勇気づけてくれる」

《レクリューズのバルバラ》パリ6区 1957年12月
《レクリューズのバルバラ》パリ6区 1957年12月

レクリューズのバルバラ

レクリューズは1951年創業のパリのビストロ。小さなステージがあり、未来のスターに出会うべくパリっ子たちが足繁く通った場所でした。スターになる前夜である27歳のバルバラの、どこか夢見るようなまなざしが魅力的なポートレート。バルバラはこの翌年、レクリューズと契約を交わし、夜の公演の取りを飾る「真夜中の歌手」として活躍していきます。

《ポン・ド・クリメのジャック・プレヴェール》パリ19区 1955年
《ポン・ド・クリメのジャック・プレヴェール》パリ19区 1955年

ポン・ド・クリメのジャック・プレヴェール

ジャック・プレヴェールは映画『天井桟敷の人々』の脚本やシャンソンの名曲「枯葉」の作詞でも知られる詩人・作家です。ドアノーの親友であったプレヴェールは、写真の題材になりそうな場所を共有し、撮影に同行するなど、ドアノーの撮影スタイルに大きな影響を与えました。本展ではプレヴェールの人柄がにじみ出るポートレート約10点を紹介します。

BISTROTS, CABARETS
第3章ビストロ、キャバレー

《パリ祭のラストワルツ》パリ 1949年7月14日
《パリ祭のラストワルツ》パリ 1949年7月14日

パリ祭のラストワルツ

「Fête nationale française(フランス国民祭)」と呼ばれるパリ祭は、その名のとおりフランス共和国の成立を記念した国民の休日。暗闇の中最後まで喜びを享受せんと踊るカップルを、フラッシュガンを用いて撮影した一枚。のちのドアノーの主要な主題である夜のパリ左岸の様子を撮った代表的な作例です。

《ル・プティ・サン=ブノワのマルグリット・デュラス(作家)》サン=ジェルマン=デ=プレ 1955年
《ル・プティ・サン=ブノワのマルグリット・デュラス(作家)》サン=ジェルマン=デ=プレ 1955年

ル・プティ・サン=ブノワのマルグリット・デュラス

20世紀フランス文学を代表する女流作家マルグリット・デュラス。20代後半から81歳で他界するまで、サン=ジェルマン=デ=プレのアパルトマンに居を構え、道を挟んだ前にあるビストロ、ル・プティ・サン=ブノワで毎日のように食事をしていたそう。テラスでおしゃれにビールを楽しむ姿を写した本作は、作家のくつろいだ空気感までも伝えています。

JAZZ&GITANS
第4章ジャズとロマ音楽

《アーサ・キット》サン=ジェルマン=デ=プレ 1950年
《アーサ・キット》サン=ジェルマン=デ=プレ 1950年

アーサ・キット

俳優オーソン・ウェルズに「世界一エキサイティングな女性」と呼ばれ、当時のナイトクラブで活躍したアメリカの歌手。撮影時、キットは巡業でヨーロッパをまわり公演を重ねていました。ドアノーはこの時期ナイトクラブで演奏するアメリカ人ミュージシャンのステージを数多く撮影し、当時の国際色豊かなパリの音楽シーンの一端をカメラにおさめました。

《ジャンゴ・ラインハルト》パリ 1950年
《ジャンゴ・ラインハルト》パリ 1950年

ジャンゴ・ラインハルト

映画『折れた矢』の映画ポスターの前を歩くジャンゴ・ラインハルトの姿をとらえた一枚。ロマ音楽とスウィング・ジャズを融合させたジプシー・スウィングの創始者として知られるジャンゴは、主にフランス・パリ周辺に拠点を置いて生活していました。

STUDIOS
第5章スタジオ

「魔法が宿るとしたらこれ以上ないほどふさわしいと思うのは、孤独な人間が文章を書いたりデッサンをしたり作曲したりするためにうずくまる、小さな空間だ」

出典:ロベール・ドアノー著、堀江敏幸訳『不完全なレンズで 回想と肖像』(月曜社、2010年)

マリア・カラス

20世紀最高のソプラノ歌手であるカラスの、パリのスタジオでの姿をとらえたポートレート。レコーディングの合間のリラックスしたカラスの表情が印象的な作品。

《録音中のマリア・カラス、パテ・マルコーニ・レコードのスタジオにて》 1963年5月8日
《録音中のマリア・カラス、パテ・マルコーニ・レコードのスタジオにて》 1963年5月8日

OPÉRA
第6章オペラ

バレエ「カルメン」の衣装合わせ、イヴ・サン=ローランとジジ・ジャンメール

フランス・ショービジネス界の女王と呼ばれた世界的バレエ・ダンサー ジジ・ジャンメールが、出世作となったローラン・プティ振付のバレエ「カルメン」の衣装合わせをしている一枚。華やかな世界の舞台裏にもドアノーの姿はありました。公私ともに交流を深めたふたりの楽し気なコラボレーションが映し出されています。

《バレエ「カルメン」の衣装合わせ、イヴ・サン=ローランとジジ・ジャンメール》 1959年
《バレエ「カルメン」の衣装合わせ、イヴ・サン=ローランとジジ・ジャンメール》 1959年

Maurice BAQUET
第7章モーリス・バケ

「あるとき、わたしたちの行く手が交差し、わたしは人生の幸せの師モーリス・バケに巡りあった」

雨の中のチェロ

モーリス・バケは、俳優、スキー選手とマルチに活動するチェロ奏者であり、ドアノーと生涯の友人でした。多才な彼の想像力に触発され、ドアノーはバケを被写体にしてフォトモンタージュ、特殊効果、コラージュ、変形、分割などの技術を用いてユーモラスな作品を数多く制作しました。その成果は1981年、写真集『チェロと暗室のためのバラード』として発表されています。

《雨の中のチェロ》 1957年
《雨の中のチェロ》 1957年

LES ANNÉES
80-90
第8章80-90年代

レ・リタ・ミツコ

ギタリストであるフレッド・シシャンと歌手のカトリーヌ・ランジェによるフランスのポップ・ミュージック・デュオ。グループ名はフランスの女優兼ストリッパーの「リタ・ルノワール」とゲランの有名な香水「ミツコ」から採られました。本作はシングル盤『マンドリーノ・シティ』のジャケット撮影時の一枚。

※アメリカの女優リタ・ヘイワースからの説もあり

《レ・リタ・ミツコ》 1988年10月13日
《レ・リタ・ミツコ》 1988年10月13日

80年代のドアノー

1980年代以降、写真家として世に知られるようになっても、ドアノーは若い世代と一緒に創作することを愛し続けました。新しい世代のミュージシャンのレコードジャケットやグラビア撮影なども多く手掛けています。年を重ねれば重ねるほど、その時代に生きる若者たちの生き方を発見することに喜びを感じ、その姿勢は1994年にドアノーが亡くなるまで貫かれました。

参考写真:《Actuel誌1988年6月号表紙、撮影風景》
参考写真:《Actuel誌1988年6月号表紙、撮影風景》

作品すべて:ゼラチン・シルバー・プリント ©Atelier Robert Doisneau/Contact