幕末明治の混乱の時代を絵師として力強く生き抜いた河鍋暁斎には、様々な逸話が残る。幼い頃に川を流れてきた生首を描いた、6、7升の酒を飲んでも絵を描くことができた、博覧会に出品した一羽の鴉の絵に100円という当時では有り得ない高値を付けた、などの逸話が豪快で常識を超えた絵師としての暁斎のイメージを形成している。
これらの逸話のなかには、暁斎の筆の早さを物語る記録も残っている。同時代を生きた飯島虚心が著した『河鍋暁斎翁伝』は、柳橋の河内屋で催された書画会で、暁斎が一日に200枚の画を描いたと伝える。また瓜生政和がまとめた『暁斎画談』には、築地延遼館の書画会で118枚を仕上げたと記されている。さらには幅17メートルに及ぶ新富座の引幕を、およそ4時間で描き上げたという逸話も残る。
ただし人前で即興的に仕上げる「席画」だけが暁斎の本領ではない。現存する暁斎の作品には、席画と思しきものも多数あるが、時間をかけて丹念に描かれたものも少なくない。晩年の暁斎は日課として観音や天満天神を描いては寺社に奉納していたというが、それとは別に、《龍頭観音》のような精緻な仏画もある。暁斎の作品には、寺社などからの依頼で制作されたものも少なからずあった。
暁斎に絵を学んだジョサイア・コンダーが著した『河鍋暁斎』には、伝統的な技法を駆使した暁斎の本画の複雑な制作手順が記録されている。《騎頭観音》では、下絵に基づく線描、絹の表裏への彩色、彩色の地道な重ね塗り、線描の慎重な描き重ね、金粉を撒き、金泥を施す作業など、時間と集中力を要する細やかな作業の全容が記録されている。もちろん《龍頭観音》よりも図様が複雑になれば、手間はさらに増すことになる。本展には、一気呵成に仕上げられた豪快な作品だけでなく、《龍頭観音》のように丹念に仕上げられた作品も多数展示される。そこには人々の需要に応えながら、巧みに描き方を使い分けた暁斎の姿を見出すことができるであろう。
Bunkamuraザ ・ ミュージアム 学芸員 黒田和士