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MUSEO POLDI PEZZOLI

Bunkamura25周年記念 ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション

2014/4/4(金)-5/25(日)

Bunkamuraザ・ミュージアム

学芸員によるエッセイ Vol.3

珠玉のコレクションの最後の一枚―ボッティチェッリ、晩年の名作

サンドロ・ボッティチェッリ
《死せるキリストへの哀悼》
1500年頃 テンペラ・板

「私の住居とそれを彩る美術コレクションのすべては、永久に保存され、一般に公開されるものとする」―名家の末裔ながら、独身で後継ぎのいなかったジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリは、自らの死によりコレクションが散逸することのないように、邸宅を美術館として公開する決意を遺言状にしたためた。1879年、おそらく心臓発作が原因でジャン・ジャコモが享年56歳で世を去った数日後、公証人は公開の準備に向けて、美術館に遺された財産と芸術品の目録作りを開始した。ジャン・ジャコモが死の1ヵ月前に購入し、最後の購入作品となったボッティチェッリの名作《死せるキリストへの哀悼》(1500年頃)は、まだ無造作に壁に立てかけられたままだったという。

 聖母マリアが息子イエスの亡骸を抱き、嘆き悲しむ哀悼の主題を表わしたこの作品では、縦長の画面に積み重なるように巧みに人物が組み合わされている。聖母は悲しみのあまり気を失い、聖母を支える福音書記者ヨハネ、キリストの足先を抱きかかえるマグダラのマリアは共に目を閉じて深い悲しみを湛え、一方背後では、アリマタヤのヨセフがキリストの受難具である十字架の釘と茨の冠を掲げ、苦悩に満ちた眼差しで天を見つめている。限られた空間の中に寄り添いあうように配置された登場人物たちは、各人各様にキリストへの哀悼の念を全身で表現し、色彩やポーズが繰り返されることにより、この凝縮された悲劇のドラマは否応なしに高まりを見せ、観る者の心に迫りくるのである。

 生涯のほとんどをフィレンツェで過ごした画家ボッティチェッリ(1445―1510年)は、まさにこの都市と盛衰をともにした画家といえる。15世紀を通じて巨額な富を背景にフィレンツェの黄金時代を現出させたメディチ家のロレンツォ豪華王が1492年に没すると、その2年後にメディチ家はフィレンツェの街から追放されてしまう。その後数年間にわたり神権政治を行ったドミニコ会修道士サヴォナローラは、フィレンツェの異教文化を糾弾し、「虚飾」の焼却を提唱した。メディチ家の庇護を受けて華やかな神話画や優美な聖母子像で人気を博し、ゆるぎない名声を確立したボッティチェッリは晩年、サヴォナローラの思想に深く帰依し、画風が著しく変化していく。そして本作品にみられるような厳かで激しい宗教感情を凝縮させた作品を創り出したのである。

 ジャン・ジャコモが生きた19世紀後半のミラノは、独立運動をきっかけに国家統一の機運が高まり、1861年、ついにイタリアは王国として統一を果たした。何よりも「祖国の芸術」のコレクションの形成に心血をそそいだジャン・ジャコモは、死の直前までの約25年間に精力的に集めた絵画コレクションを通して、その神髄たるルネサンス美術の栄光に思いを馳せていたのだろう。

ザ・ミュージアム キュレーター 廣川暁生