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MUSEO POLDI PEZZOLI

Bunkamura25周年記念 ミラノ ポルディ・ペッツォーリ美術館 華麗なる貴族コレクション

2014/4/4(金)-5/25(日)

Bunkamuraザ・ミュージアム

学芸員によるエッセイ Vol.1

ヨーロッパで最も美しい邸宅美術館

 北イタリアの都ミラノの中心地、スカラ座のほど近くにひっそりと建つ、ポルディ・ペッツォーリ美術館。ここはかつて、ミラノの名門貴族、ポルディ・ペッツォーリ家の末裔、ジャン・ジャコモ(1822-1879)が主をつとめ、何代にもわたり受け継がれてきた美術品や宝飾品などの多彩なコレクションの伝統を継承すべく、当家の質の高い美術コレクションとそれに勝るとも劣らない華麗なる室内装飾によってつくりあげた「美の館」である。貴族の美意識の真髄ともいえるこの館は、当時ミラノの社交界の大評判となっていただけでなく、ヨーロッパ各地からここを訪れた芸術家や著名人をはじめとする客人たちもこぞって賞讃の声をあげた。

 1861年、王国として統一を果たしたイタリアは徐々に近代化の道を歩み始めていた。一方、華麗なる貴族文化は、近代化の波の中で次第に幕引きの時を迎えていた。名家の末裔として、しかし独身で跡継ぎのいなかったジャン・ジャコモは、一族に伝わるコレクションを故郷ミラノで散逸することなく永久に留めるために、遺言状に自らの決意をしたためる―「私の住居と、それを彩る美術コレクションのすべてを、永久に公共の利益のために公開するものとする」。

 かくして、ジャン・ジャコモが56歳で没した2年後の1881年、その邸宅とコレクションがポルディ・ペッツォーリ美術館として一般に公開されたのである。

ジュゼッペ・ベルティーニ
《ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリの肖像》
1880年頃、油彩・キャンヴァス

名門貴族の美の遺産

 では、ジャン・ジャコモにながれる名家の血筋をみていこう。ポルディ・ペッツォーリの名は、ジャン・ジャコモの祖父がパルマの名門ポルディ家、祖母がベルガモの名門ペッツォーリ・タルベルトーネ家の出身であることに由来する。両家につたわる先祖代々の素晴らしいコレクションを相続したジャン・ジャコモの父、ジュゼッペは、ポルディ家とペッツォーリ家の名前と財産をひとつにまとめあげたのである。そして、ミラノの大貴族トリヴルツィオ家の娘と結婚。この婚姻関係により、ポルディ・ペッツォーリ家のコレクションは、質量ともにさらなる豊かさを極めた。

 ジャン・ジャコモは父の死後、1846年に24歳の若さで、何代にもわたり受け継がれてきた絵画や彫刻、工芸品や宝飾品そして貴重書にいたる多岐にわたるコレクションと莫大な財産を相続する。そして一族に引継がれた審美眼と蒐集熱に導かれ、自らも新たなコレクションの形成へと乗り出したのである。ジャン・ジャコモが最初に熱を入れたのは、武具や武器の蒐集であった。と同時にネオ・ゴシック様式でつくられた武器の間をはじめとして、コレクションを飾るのにふさわしい趣向をこらした各部屋をしつらえ、1850年代には美術品や宝飾品で埋めつくされた、まさに「美の館」をつくりあげていったのである。ではそのコレクションの魅力をさらに紐解いていこう。

敬虔なる祈り、優雅なる女性美

 コレクションの中核を成す、ルネサンス期のイタリアを中心とした300点以上におよぶ絵画コレクションには、ミラノを州都とする、ロンバルディアの美術をはじめ、フィレンツェやシエナを中心とするトスカーナの美術が数多く含まれている。

 シエナ派を代表する14世紀の画家、ピエトロ・ロレンツェッティの描いた、金地に聖人や天使に囲まれた聖母子像は、おそらく三連祭壇の中央パネルだったと考えられる。豪奢な金細工を施されたその比較的小さなサイズは、私的な祈念のために用いられたことを物語っている。

 同じくシエナで15世紀に活躍した「グリゼルダの物語の画家」と呼ばれる逸名の画家が手がけた《アルテミジア》では、夫である小アジアのカリアの大守マウソロスに先立たれたアルテミジアが、その遺灰を自らの涙と混ぜて飲み干そうと手に杯を持ってただずむ、えも言われぬ優美な姿が見られる。夫への愛と忠誠をテーマとしたこの作品は、もともとは、シエナの名門貴族ピッコロミーニ家によって注文された、おそらくは婚姻を記念する作品の一部を形成していたと考えられている。

ピエトロ・ロレンツェッティ
《聖アグネスとアレクサンドリアの聖カタリナのいる聖母子》
1342年頃 テンペラ・板

グリゼルダの物語の画家
《アルテミジア》
1498年頃 テンペラ・板

ピエロ・デル・ポッライウォーロ
≪貴婦人の肖像≫
1470年頃 テンペラ・板

謎に包まれた美しい横顔

 一方、金融業で栄えたメディチ家の富と芸術庇護のもと、活気にあふれていた15世紀のフィレンツェで兄とともにフィレンツェに工房を構えて活躍したピエロ・デル・ポッライウオーロの《貴婦人の肖像》は、人間讃歌を掲げ、現実の人間の美しさを称揚するルネサンス期の肖像画の特質をあますところなく表現した傑作である。きりっとした気品のある横顔は、あごの先から鼻先まで、そこから眉まで、眉から髪の生え際までを等分に描くことで、幾何学的な比例に基づいた理想の美を表現するとともに、みずみずしい生命感をたたえた写実性豊かな人物描写に到達している。真珠の輝く髪飾りやネックレスを身につけた、裕福な上流階級の女性を描いた本作は、当時の慣習から結婚を目前に注文された記念の肖像画ではないかと推測されるものの、依然としてモデルについては謎に包まれたまま、観る者に忘れがたい印象を刻み込むのである。

サンドロ・ボッティチェッリ
《死せるキリストへの哀悼》
1500年頃 テンペラ・板

厳粛なる最後の一枚

 隆盛を極めた15世紀のフィレンツェは、都市の退廃を糾弾したドメニコ会修道士サヴォナローラが市民の支持を得た15世紀の末に、激変の時を迎える。優美な聖母子像や女神像で人々を魅了する作品を残した画家ボッティチェッリの《死せるキリストへの哀悼》は、この画家が晩年、サヴォナローラの影響により宗教的情熱に突き動かされてたどり着いた、厳粛さを感じさせる硬質な造形表現を顕著に示しているといえる。そしてこの作品が、ジャン・ジャコモが生前買い求めた最後の作品となったのである。1879年、ジャン・ジャコモ・ポルディ・ペッツォーリはおそらく心臓発作が原因で、56歳で生涯を閉じることになる。

拡充するコレクション

 生涯を通して蒐集への情熱を抱き続けたジャン・ジャコモに、少なからず助言を与えた古美術商や芸術家のひとりが、ミラノの美術アカデミーで学んだ画家、ジュゼッペ・モルテーニであった。コレクションの中に含まれたモルテーニをはじめとする19世紀の作品は、画家たちとコレクターの親交を如実に裏付けている。

 一方、ジャン・ジャコモの死の2年後に開館したポルディ・ペッツォーリ美術館は、その収蔵品を絶えず拡充し続けている。ジャン・ジャコモの友人にして、助言者であったジュゼッペ・ベルティーニが初代館長を務めていた間に、ヴェネツィアで活躍した18世紀の偉大な画家ティエポロをはじめ、新しい作品が加わり、彩りを添えている。さらにはラファエッロに帰される行列用の十字架像を含む多くの作品を所有していたヴィスコンティ・コレクションをはじめ、多くの個人や団体からの寄贈が相次ぐなど、コレクションは今なお発展し続けているのである。

 絵画からタペストリーや時計などを含む工芸品、ヴェネツィアン・グラス、そして武具に至る、多岐に渡るコレクション約80点を日本で初めて紹介する本展では、ルネサンス期から19世紀に至るイタリア絵画の歴史が堪能できるだけでなく、名門貴族に代々引継がれた由緒ある美術品を通じて、鋭い審美眼で選び抜かれたひとつひとつの作品にこめられた蒐集家の情熱と誇りが伝わってくるに違いない。それはまた、名門一族に脈々と流れる美意識の系譜なのである。

ザ・ミュージアム キュレーター 廣川暁生

ピントリッキオの工房
《聖母子と洗礼者聖ヨハネ》
1490-1510年 テンペラ・板

ジュゼッペ・モルテーニ
《レベッカ》
1835年頃 油彩・キャンヴァス

ジャンバッティスタ・ティエポロ
《美徳と高潔の寓意》
1740-50年 油彩・キャンヴァス

ラファエッロ・サンツィオ(帰属)
《フランチェスコ会の聖人が描かれた行列用十字架》
1500年頃 テンペラ・木材

南ドイツ製
《祈祷書の形をした時計》
1595年 合金

ヴェネツィア製
《ゴブレット》
1650-1700年頃 ガラス

フィレンツェ製?
《青の十字架》
1600-1650年 ガラス