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2017.12.29 UP

【連載】プラハ旅日記 その1
旅人:鈴木芳雄氏

2017年10月、ルドルフ2世が築いた美しい都プラハにて本展のプレスツアーを実施しました。
その様子を、雑誌「BRUTUS」元フクヘンの鈴木芳雄氏のレポートでお届けします!


 

美術ファン、博物学好きが神聖ローマ皇帝ルドルフ2世(1552-1612)の名を聞けば、どうしても身を乗り出してしまう。甘い誘惑と一方的な敬意を抱かせてくれる名前。語学に秀で、錬金術師や天文学者を集め支援し、珍奇な動植物を取り寄せ驚異の部屋を作り、美術品を蒐集し、画家たちを惜しみなく援助した皇帝。為政者としては評価されていないが今となってはそれを誰も問わないだろう。ともかく、かつて科学と芸術の好きな王様がいて、今も我々を楽しませてくれたり驚かせてくれる、こんな人がいたなんて。

 

 

 

ここで自分の話。ルドルフ2世の街プラハに行くチャンスが来たのだが、ほぼ同じ時期、別の用事でニューヨークとボストンに行く予定もあった。両方の日程を譲り合う感じで調整すると、ニューヨークからお昼頃に帰国して、その日の夜中にヨーロッパ行きのフライトに乗るしかない。一瞬帰宅して風呂に入って、着替えを詰め替えてまた出発、くらいのスケジュールだろう。で、一旦帰国することはあきらめて、ニューヨークからプラハに向かうことにした。ニューヨークから東京への帰国便のチケットは使わずに捨てて、ニューヨーク→プラハ→東京というチケットを発行してもらった。旅の荷物は少し増えることになったが日程は少し楽になった。しかし、ニューヨーク→プラハはモスクワ経由で、プラハ→東京はドーハ経由になった。まあ仕方ない。

 

ニューヨークでは杉本博司さんの展覧会「天国の扉」を見た。これは16世紀末、日本からヨーロッパに行って、ルネサンスの残照の残る彼の地を旅した少年たちの足跡を杉本さんの作品や古美術品で構成した展覧会だった。少年たちが船上で見たインド洋は杉本さんの海景作品になり、フィレンツェのサン・ジョヴァンニ礼拝堂のためにロレンツォ・ギベルティ(1378-1455)が作り、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)が絶賛し、使節の少年たちも見た《天国の扉》を撮り下ろしてあった。同時に南蛮屏風の名品が日本の美術館から借り出され展示されていたりした。

 

 

もともと天正遣欧使節には興味を持っていたので彼らが旅したのは1500年代の終わり頃というのは知っていたのだが、いや、待てよ、そのときの神聖ローマ皇帝がルドルフ2世だったと気づいた。ルドルフ2世は1576年に24歳で皇帝に即位して、1583年には首都をウィーンからプラハに移している。
ニューヨークで見た南蛮屏風は南蛮船が日本の港にやって来て、南蛮人が上陸している図や西洋人が屋外で楽器を奏でていたり、それを聞いてるという平和な図だった。しかし、南蛮屏風には勇ましいものもある。そういえば《泰西王侯騎馬図》には確かルドルフ2世が描かれていると言われていたはずだ。制作時期や資料から、この左端の王侯がローマ皇帝ルドルフ2世だとする説が有力だ(その複製が「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展」の東京会場と滋賀会場では展示される)。この屛風はイエズス会周辺の工房で描かれたと言われている。
そのイエズス会が立てた使節である4人の日本人少年は荒波を乗り越え、アフリカ喜望峰の沖をまわり、ヨーロッパにたどり着き、1585年ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見している。少年たちの旅程はスペインとイタリアだから、ルドルフ2世との接点はないけれど、珍しい植物、生きた動物、貴石を含む鉱物など珍しいもの、貴重なものを集めまくった皇帝としてはアジア人に会いたかったかもしれないな、などと考えた。

 

東京に戻らずに直接アメリカからヨーロッパに飛んだためにプレスツアーの日程より1日早くプラハに到着し、一人旅を楽しむことになった。チェコについて知ってることなど思い出しながら、歩く。まずはアルフォンス・ムハ(1860-1939、日本ではミュシャとも表記)の国だ。2017年に日本で開かれた「スラブ叙事詩」を見せる大展覧会はこの年の動員第一位となった。プラハ城内の聖ヴィート大聖堂にはムハのステンドグラスがあるというので見に行こう。ムハ以外ではベドルジハ・スメタナ、アントニン・ドボルザークという日本人も大好きな音楽家たち。そして文学者なら、フランツ・カフカやカレル・チャペックだ。カフカは道にも名を残していて、その名をいただくカフェもあった。

 

 

 

 
 
 

プラハ城はこの街のどこからでも見える。ヴルタヴァ川を渡り、ひたすら城のある丘を目指す。聖ヴィート大聖堂は最初、ロマネスク様式の教会として930年に作られ、最終的にはゴシック様式で20世紀に完成した。ステンドグラスや壁画はその場に行かないと見られない。

旅ではそういうものを見ることに優先度が上がる。息子をモデルにしたと言われる少年を画面の中心にもってきている。情緒あふれるステンドグラスに見とれた。

 

 

 

 

 

 
 

時代がまったく違うのでルドルフ2世はこのムハのステンドグラスを見てはいない。しかし、この大聖堂を含むプラハ城を住まいにし、周辺に錬金術師を住まわせたりした皇帝のことを考えながら丘を降りて行く。その途中、チェコの貴族だったロブコヴィッツ家の宮殿にたどり着いた。ここではどうしても見たい絵があった。それについては次回に書こう。


プラハ旅日記 その2はこちら

ペーテル・グルンデル《卓上天文時計》1576-1600年、真鍮、鋼、スコークロステル城、スウェーデン Skokloster Castle, Sweden