ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまでベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

Interviews
インタビュー

2016年9月8日パリにて本展の監修者、アラン・タピエ氏(フランス美術館連盟文化財担当顧問、名誉主任キュレーター)のインタビューを行いました。

Q.ルドルフ2世が生きた時代はどんな時代だったでしょうか。
タピエ氏:1583年から1612年という短い間に、ルドルフ2世は想像と科学の帝国を作り上げました。彼はハプスブルグ家の一員であり、1576年から1612年には神聖ローマ帝国皇帝として在位し、それだけではなくハンガリー王、クロアチア王、ボヘミア王、オーストリア大公でもありました。彼がウィーンではなくプラハに帝都をおくことを望んだことから、プラハは17世紀初頭のヨーロッパにおける最大の科学と芸術の中心地となったのです。
Q.ルドルフ2世の宮廷で花開いた芸術について教えてください。
タピエ氏:ルドルフは、芸術と科学の分野において、年とともに拡大する彼の世界観を実践に移しました。彼がプラハに呼び寄せた芸術家や学者たちには、ヤン・ブリューゲル(父)、バルトロメウス・スプランガー、ハンス・フォン・アーヘン、ヨーゼフ・ハインツ、ルーラント・サーフェリー、マルテン&ルーカス・ファン・ファルケンボルフ、そして勿論ジュゼッペ・アルチンボルドがいました。彼らは必ずしも当時最も有名な人たちではありませんでしたが、最も斬新で博識な芸術家たちでした。彼らはドイツやオランダ、フランドルの出身でしたが、すでにローマやフィレンツェで出会っていました。そして、北方特有の観察と細やかさと精密さの文化を身につけていました。
さらにローマでの修業を通じて、彼らはマニエリスム色の濃い、受難と美徳と悪徳の劇場を再現するための古典美の文化、人体解剖学的な構成、表情や身振りの表現を習得していたのです。彼らは申し分のない完璧な芸術家たちでした。ローマで出会った彼らは知己の間柄であり、お互いに切磋琢磨し、サークルを作り、そしてルドルフに仕え始めたのです。ルドルフが人選に悩む必要はありませんでした。
科学の領域にはふたつの中心軸がありました。ひとつは数学や天文学や古銭学で、この分野の中心人物はティコ・ブラーエでした。そして、もうひとつの軸が標本のコレクションです。それらは偉大なフランドルの芸術家ヨーリス・フーフナーヘルによって、素晴らしい標本画として記録されました。コレクションは百科全書的なものでした。自然物は、自然界に存在するあらゆる珍奇なものを分類して編成されています。人工物、つまり金銀細工などには、しばしば自然のもの、例えば珍しい貝殻などが組み合わせられていました。そして植物界、動物界、鉱物界のすべてが、魔法のような驚異や人々を恐れおののかせる幻想が上位を占める、膨大な驚異の部屋(cabinet de curiosité)コレクションの秩序の下におかれたのです。
Q.ルドルフ2世はどのような人物だったと思われますか。
タピエ氏:ルドルフは彼の帝都が、彼の庇護が、新発見の世界、拡張する世界の具体像を提示することを欲し、またそれらと対話する知識への愛を示すことを望みました。コレクションはルドルフが考えついたものではありません。彼の祖父にあたる、神聖ローマ皇帝カール5世の弟フェルディナンド1世は、とくに古銭の収集をしていましたし、その息子のマクシミリアン2世は偉大な人文主義者であり、芸術愛好家でした。ルドルフは彼らの長所と情熱を受け継ぎます。彼は内向的で無口でしたが、博識で、ラテン語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、チェコ語を話しました。フェリペ2世の宮廷で育ったので、とくにスペイン語が得意でした。 プラハは彼が愛する街でした。というのもここではカトリック教徒とプロテスタント教徒の間の緊張が緩和されており、そのことは彼の寛容の精神にかなっていました。また何よりも、プラハからはトルコの侵略の脅威をより良く監視することができました。こうしたことから、このごく短いながらも極めて華々しい時代、プラハは後に人文主義と呼ばれるもののなかに最も博識で斬新な文化が交差する並ぶもののない帝都となったのです。ルドルフはまた、収集家にとどまることでは満足しない、芸術の庇護者であり、デューラーやティツィアーノらドイツ絵画とヴェネツィア絵画の最大の巨匠の作品を所有していました。ルドルフは収集家として、芸術の庇護者として、芸術家たちとの関係において自身のビジョンや嗜好を強く押し出していきます。
Q.日本の皆様へメッセージをお願いします。
タピエ氏:親愛なるみなさん、様々な発見と科学と才気が息吹く類まれなる展覧会にぜひお越しください!

2016年9月8日 パリにて
ヨーロッパ側監修
アラン・タピエ

アラン・タピエ氏 プロフィール
(フランス美術館連盟文化財担当顧問、名誉主任キュレーター)

イベリア半島の美術史を専門として博士号を取得。1984年から2003年までカーン美術館にて学芸員および館長を務め、エコール・ド・ルーヴルにて博物館学の授業を受け持つほか、カーン美術館、パリ第7大学にて客員教授として教鞭を執る。2003年からはリール美術館、オスピス・コンテス博物館館長に就任し、現在は退官。1990年、カーン美術館にて開催のヴァニタスをテーマにした展覧会を監修、著書『17世紀絵画におけるヴァニタス』を出版。その他、ノルマンディー地方の印象派や北方マニエリスム、17世紀絵画にみる象徴主義と植物学、バロック主義やイエズス会様式など執筆テーマは多岐にわたる。
本展の監修をすることになったのは、タピエ氏監修の下記の展覧会(ともにリール美術館館長として)がきっかけ。
L'Homme-paysage, visions artistiques du paysage anthropomorphe rntre le XVIe et le XXIe siècle
「人風景」16世紀から21世紀の擬人風景における芸術観 (2006年)
Fables du paysage flamand, Bosch, Bles, Brueghel, Bril
「フランドル風景の寓話」ボス、ブレス、ブリューゲル、ブリル(2012年)

ペーテル・グルンデル《卓上天文時計》1576-1600年、真鍮、鋼、スコークロステル城、スウェーデン Skokloster Castle, Sweden