ベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまでベルギー奇想の系譜 ボスからマグリット、ヤン・ファーブルまで

Interviews
インタビュー

本展では、当時の場所とコレクションを保つ「驚異の部屋」であるエスターハージー城宝物殿より、貴重な作品を多数ご出品いただいています。エスターハージー財団コレクション部部長のフロリアン・バイヤー氏にお話を伺いました。


Q1. エスターハージーの「驚異の部屋」の特徴を教えてください。

われわれの「驚異の部屋」はいまだにフォルヒテンシュタイン城に存在しています。コレクションが形成された当時の場所やオリジナルの陳列棚と物品を今も保っているのは、世界でもエスターハージーの「驚異の部屋」だけです。たとえばハプスブルク家のルドルフ2世やフェルディナント1世、ザクセン選帝侯などが追い求めたルネサンス的な理想が、エスターハージーの「驚異の部屋」にも息づいているのです。この理想を17世紀に実現したのはエスターハージー家の侯爵パウル1世でした。当時はヨーロッパの他の君侯も同じようにこの理想の実現を求めていましたが、その背景には、100年ほど続いた大航海時代によって発見された広大で新たな世界があったのです。それゆえ、「驚異の部屋」の形成は、世界そのもののミニチュアを自らの手の内に収めるという行いでもありました。

「驚異の部屋」は、そこを訪れる人々に対して「力」を誇示する舞台装置として利用されていました。武具が展示されていたという意味ではなく、世界中の物品を買い集めることができる財政的能力を見せつけることができたのです。そこには宝石や金や銀、銅貨だけでなく、新世界からもたらされた珍品も含まれていて、例えば有名な「ユニコーンの角」がそれに当たります。現代のわれわれはそれがイッカクの牙であるということを知っていますが、当時は誰もイッカクの実物を見たことがなかったので、容易に信じさせることができました。他の神話上の生物も作り上げられています。ある部分は亀から、ある部分はネズミから、その他の部分はまた別の生物からというように部品を取り出し、それらを集めて組み上げることで新たな「動物」を創造したのです。そしてその「動物」を見せながら訪問者に言うのです、「この動物を見てくれ。こいつは遥か遠い異国の地に生息しているんだ」とね。

Q2. エスターハージーの「驚異の部屋」はルドルフ2世と関係がありますか?

直接の関係はありません。ルドルフ2世は17世紀初めに権力を失い、1612年に死去しましたが、まさにこの時期に勃興してきたのがエスターハージー家でした。しかしながら、ルドルフの膨大なコレクションは彼の死後にヨーロッパ中に散逸したので、エスターハージーのコレクションの中には、ルドルフのコレクションに由来する物品が含まれていることが十分に推測されます。ミゼローニの作品はその一例です。この杯は高い確率で、ルドルフのコレクションからもたらされたと考えられます。

質問に戻りましょう。「驚異の部屋」における科学機器にも言及する必要があります。そこは科学の進歩を見せる場所であると同時に、コレクションに含まれる時計はただの時計ではありません。たとえば音楽が流れたり、光によって壁に時刻を投影したりできました。ろうそくを用いることで夜でも時刻を映せました。一種のプロジェクターですね。また日蝕を観測するための特殊なサングラスもあり、太陽を直接見るのは危険だということを当時の人々が知っていたということを示しています。こうした多様な機器は、それに見合う知識の存在を証明しているのです。「驚異の部屋」のもう一つの概念的支柱は、宗教的な色彩が濃いということで、宗教的な物品が多く含まれています。なぜなら、カトリックとプロテスタントというキリスト教の軍隊同士が激突した30年戦争の時代において、こうした宗教性はとても大きな意味を持っていたからです。

Q3. エスターハージーのコレクションはいつ頃形成されたのですか?

1620-30年頃にコレクションの端緒を開いたのは、パウル1世の父ニコラウスでした。コレクションに含まれるのは16世紀から18世紀初期の物品で、最も収集活動が活発だったのは、1655年からパウル1世が死去した1713年までの期間です。彼の死により、コレクションが積極的に拡大されることはなくなりました。しかし「驚異の部屋」はその後すぐに一種の宝物庫になり、家系内の取決めによって手つかずのまま残されることになります。この家系内の取決めは、ラテン語の表現を用いて、「Fidei Kommiss(信託遺贈)」と呼ばれています。その後の歴史の流れのなかで、もはや積極的にそれらの物品を利用することはなくなり、部屋に押し込められ、扉は閉じられたままになったのです。これにより、家系の誰も物品を持ち出したり、売却したりすることができなくなりました。そして、当主が死去した際、嫡流の男性――通常は長男ですが――が一切を相続し、生涯それを維持し、また次代に引き継ぐ義務を負うのです。20世紀までだれもこの取り決めに違反しなかったのですが、第一次世界大戦後にハンガリーの民族主義的な決定によって、コレクションからいくらかの物品が持ち去られてしまいました。帝国が崩壊し、オーストリアとハンガリーがそれぞれ独立した国家となった当時、一部のハンガリー人はエスターハージーの宝物を、ハンガリー国家の遺産、ハンガリー国家の宝物であるとみなしたのです。そうして持ち出された物品は、ブダペストのいくつかの美術館に収められています。

Q4. 今回の展覧会に出品される作品のうち、おすすめの作品はなんですか?

最も有名なのは、エラスムス・ビーアンブルンナーの《像の形をしたからくり時計》ですね。これは表現におけるひとつの理想形を示しています。ローマ神話の神であるバッカスは、象の背中に乗る姿で表現されることがありました。象に乗ったバッカスを表現した作例が他にふたつ知られていて、、ひとつはクレムリンの美術館に、もう一つはパリのクーゲル画廊の有名なコレクションに入っています。もちろん象は当時まだ知られていなかった異国的な存在で、幻想的で力強い動物でした。象の上にはトルコ風の人物がいます。異国風の人物がヨーロッパの手法で表現されているだけでなく、背面には東洋の文字による記銘があり、この時計がおそらくオスマン帝国のスルタンへの贈呈用に制作されたであろうことを教えてくれます。しかし今では、ヨーロッパ言語で上書きされています。

同じく興味深い作品は、この《リーガルの機能を備えたチェスとバックギャモンの盤》でしょう。なぜならこれは遊ぶためだけのものではなく、同時に楽器、いわゆるリーガルと呼ばれる小さなピアノなのです。この作品の場合、音楽を奏でることができる機能と楽しむことができる機能を組み合わせるという能力を誇示することが目的なのです。こうした物品には全て、鑑賞者を驚かせるために何かしら奇妙なもの、際立ったものを生み出す傾向があります。この考え方は、ルドルフ2世のコレクションの背後にある思想と強く結びついています。

ルドルフ2世を描いたアルチンボルドの有名な肖像画がありますが、当時は彼以外の権力者もそのような作品の所有を望んでいて、パウル1世も四季の寓意像を描いた絵画を注文しました。これらの絵画では彼は自らの肖像ではなく、四季を題材として選んでいます。このような四季の表現は、エスターハージーの他のコレクションでも目にすることができます。

Q5. 当時の人々にこのような物品を集めさせた好奇心について、どのようにお考えですか?

今日においても、それはとても重要な質問ですね。もちろん当時は、奇妙な品々を見せて他人を驚かすために収集が行われていましたが、それと同時に、見たことのない異国的なものについて考えさせる役割をも担っていました。たとえば、われわれはヨーロッパに住み、あなた方は日本に住んでいます。あなた方はわれわれが知らないことをたくさん知っていますし、われわれはあなた方が知らないことをたくさん知っています。このことは逆に、我々にとってとても異国的であるという印象を生み出すでしょう。異なる文化や伝統、振る舞いについて考えさせるということ、そしてそれらを好意的に受け止めるということは、今日でも重要な問題です。それゆえ、クンストカンマーや「驚異の部屋」は、世界がどういうものなのか、またどういうものでありうるのかということを人間に考えさせる象徴的な存在なのです。

Q6 来場者の方々へのメッセージをお願いします。
この展覧会では、中央ヨーロッパの芸術的発展を示す際立った作品を目にすることができるので、本当に一見する価値があると思います。それは、15世紀から17世紀にかけての中央ヨーロッパに関する知識の一種の核心ともなっているのですから。展覧会に出品された作品は、当時のヨーロッパ人がどのように世界を見ていたかということを教えてくれるでしょう。

ペーテル・グルンデル《卓上天文時計》1576-1600年、真鍮、鋼、スコークロステル城、スウェーデン Skokloster Castle, Sweden