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2018.02.22 UP

【連載】プラハ旅日記 その3
旅人:鈴木芳雄氏

2017年10月、ルドルフ2世が築いた美しい都プラハにて本展のプレスツアーを実施しました。その様子を、雑誌「BRUTUS」元フクヘンの鈴木芳雄氏のレポートでお届けします!


 

 プラハはフランツ・カフカ、ヤロスラフ・ハシェクという文学者ゆかりの街であるが、日本人としては澁澤龍彥の著作でプラハについて読み、この街を愛した博物学皇帝ルドルフ2世のことを知ったという人も多いのではないかと思う。

現在は遅い時間まで街は賑わう。カレル橋たもとの辺りの夕景。

黄金小路(黄金の小径)。かつて錬金術師たちを住まわせていたという。ずっとあとの時代、この青い家はフランツ・カフカが仕事のために借りていたこともある。今は観光スポット。

 フランス文学者で小説家。澁澤龍彥は1970年、初めてのヨーロッパ旅行をした。2か月あまりの旅で出発の羽田空港には三島由紀夫(この年11月に自決)も見送りに来た。アムステルダムの空港に降り立ち、ハンブルク、ベルリンをまわり、5日後にはプラハに入っている。

プラハの印象をこう記している。
「プラハは静かな街、あえて言えば、夜は死の街のごとし。カフカの家のあたり、ガス灯のともった石畳、迷路のように入り組んだ小路。」
(澁澤龍彥『滞欧日記』河出書房新社 1993年)

 博物学や錬金術、人形やからくり細工にも造詣の深い澁澤にとって、この街はなによりも、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の街である。歩きながらつねにルドルフ2世のことを考えていたようだ。美術品や珍奇な動植物を蒐めることに多大なるエネルギーを注ぎ、自分の住まいである城のひざ元に錬金術師を住まわせて、研究させていたこのユニークな皇帝のことを。

「宝物殿を見る。ルドルフ時代を偲ぶものは少ない。黄金小路は、まるで芝居の書割のようで幻滅。現在では、スーベニアのおみやげ店になっている。」
(前掲『滞欧日記』)

澁澤はもちろん、ストラホフ修道院の図書館にも寄っている。

「ストラホーフ図書館を見る。驚くべき尨大な神学書、哲学書。とくに面白かったのは、一種の驚異博物館があったこと。(略)これこそルドルフの蒐集の雛形であろう。エビ・カニなどの甲殻類、貝殻、ヘビ、サカナ、動物の骨、化石など、ありとあらゆる自然の産物が、ガラス箱の中に収められている。」
(前掲『滞欧日記』)

ストラホフ修道院図書室「哲学の間」。蔵書は4万冊以上。

ストラホフ修道院図書室「神学の間」。地球儀も並ぶ。

 

図書室の廊下には剥製や標本などもあった。ルドルフ2世が蒐めたものではないが、この博物学皇帝の構想を再現したかのようだ。このセクションにはエイやシュモクザメの剥製も見える。

 澁澤も「雛形」と言っているように、これらはルドルフ2世が遺したものではなく、そういう皇帝がいたこと、それを誇りにし、オマージュにしているこの街の誇りとしてここにある。蔵書の中にはルドルフ2世の旧蔵書といわれるものやこの皇帝ゆかりの書物も収められている。

ストラホフ修道院図書室を訪れた翌日、澁澤はプラハ国立美術館を訪れている。アルチンボルドが無かったとまず記している。1648年のプラハ攻略によって現在はスウェーデンにある《ウェルトゥムヌスとしての皇帝ルドルフ2世像》がここで見られると思っていたのかもしれない。

『滞欧日記』に記された1970年のヨーロッパ旅行よりも遡る、1964年に上梓された澁澤の著書『夢の宇宙誌 コスモグラフィアファンタスティカ』(美術出版社 1964年。1984年に河出文庫所収。2006年に河出文庫から新装版が出ている)にはこのアルチンボルドが描いたルドルフ2世の絵の図版が載っている。アルチンボルドについて、澁澤はかなり興味をもっていて、ルドルフ2世のコレクションの顧問として王宮のギャラリーのために美術品や珍妙なものを蒐集していたというのだ。病弱で気まぐれで、ときに鬱病の発作に襲われたというこの皇帝が美術品や奇妙なものを集めだしたのは24歳で皇帝になってからだ。ときに御前会議をほったらかし、占星学者たちを集めて天体観測室に閉じ籠もっていたともいう。

「アルキンボルド(原文ママ。以下同)に自分の肖像画を描かせたルドルフは、しかし、ユーモアというものを知っていたように思われる。のみならず、ミスティフィカシオン(韜晦)のセンスをも持っていたにちがいない。皇帝の遊びの共犯者たる巧みなアルキンボルドは、野菜と果物と花ばかりを組み合わせて、ユーモラスな皇帝の顔を描いたが、この絵は最近まで『庭師』という題で知られていたのである。」
(『夢の宇宙誌 コスモグラフィアファンタスティカ』(美術出版社 1964年))

アルチンボルドの作品に対面することはできなかった澁澤だがヴェロネーゼやアーヘン、バッサーノらの作品を見たと『滞欧日記』に書いている。特にルーラント・サーフェリーの絵を見たことは収穫だったようで、こんなメモを残している。

「Roelandt Savery(ルドルフ2世に招かれる。フランドルの画家)こいつは面白い画家。動物がうようよしているところばかり描く。動物画家。」
(前掲『滞欧日記』)

確かに動物たちの楽園のような絵がある。澁澤がサーフェリーのどの絵を見たのかはわからないが、たとえばプラハ国立美術館にあるこれ《動物に音楽を奏でるオルフェウス》かもしれない。動物たちはそれぞれ番(つがい)でいることが、ノアの方舟をも暗示させるけれども、あらためてタイトルを見て、絵をつぶさに見ていくと、画面中央に描かれた白い馬の右側にリラ(古代ギリシアの竪琴)を持つオルフェウスがいるのだ。

さらにサーフェリーはこんな絵も描いている。《2 頭の馬と馬丁たち》だ。大の馬好きで、ヨーロッパ中から最も純血で最も優雅な種馬を集めたルドルフ2世の馬を描いたのであろうと言われる。このタテガミの長さは尋常ではない。それを誇るため描かせたのだろう。

さて、澁澤の1970年の旅日記によると、プラハのあと、彼はウィーンに向かう。飛行機で行くつもりだったが満席でチケットが取れず、夜行列車の旅となった。ウィーン到着後、疲れているにもかかわらずウィーン美術史美術館へ。クラーナハ、デューラー、ホルバイン、レンブラント、ルーベンス、ヴェロネーゼ、ティントレット、カラヴァッジョ、アルチンボルド。そのとき、ハンス・フォン・アーヘンが描いた「ルドルフ2世の肖像」も見ている。

(その「ルドルフ2世の肖像」の写しがスウェーデンのスコークロステル城にあり、現在、Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「神聖ローマ帝国皇帝 ルドルフ2世の驚異の世界展」に展示されている)

 

▼プラハ旅日記
その1こちら
その2こちら

 

ペーテル・グルンデル《卓上天文時計》1576-1600年、真鍮、鋼、スコークロステル城、スウェーデン Skokloster Castle, Sweden