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Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品 All the Winners

第29回 Bunkamuraドゥマゴ文学賞 受賞作品

小田光雄 著

『古本屋散策』

(2019年5月 論創社刊)

選 考 鹿島茂
賞の内容 正賞:賞状+スイス・ゼニス社製時計
副賞:100万円
授賞式 2019年10月16日(水) 於:Bunkamura
当日開催された授賞式の模様を動画でご覧いただけます。
記念対談のレポートはこちらでご覧ください。
受賞者プロフィール
小田光雄(おだみつお)

1951年、静岡県生まれ。早稲田大学卒業。出版業に携わる。著書『〈郊外〉の誕生と死』、『郊外の果てへの旅/混住社会論』(いずれも論創社)、『図書館逍遥』(編書房)、『書店の近代』(平凡社)、『出版社と書店はいかにして消えていくか』などの出版状況論三部作、『出版状況クロニクル』Ⅰ〜Ⅴ、インタビュー集「出版人に聞く」シリーズ、『古本探究』Ⅰ〜Ⅲ、『古雑誌探究』(いずれも論創社)、訳書『エマ・ゴールドマン自伝』(ぱる出版)、エミール・ゾラ「ルーゴン=マッカール叢書」シリーズ(論創社)などがある。個人ブログ【出版・読書メモランダム】(http://odamitsuo.hatenablog.com/)に「出版状況クロニクル」を連載中。

選評

「新しいものは常に古いもののなかにある」/ 選考委員 鹿島茂

 選考委員が一人だけというのが意外に重荷になったと歴代の選考委員が例外なく述懐しておられますが、ジャンルを問わないというのもまた困惑を誘う規定でした。出版不況が叫ばれて久しいのに新刊点数は増加し続けているので、一人でフィクションとノンフィクションの全領域をカバーするのは大変なのです。
 しかし、そんなときにふと、新刊の洪水という現象そのものにメスを入れた本はないのだろうかという考えが閃きました。そう思ったとき、たまたま眼についたのが小田光雄さんの『古本屋散策』でした。小田さんは『出版社と書店はいかにして消えていくか』『出版状況クロニクル』Ⅰ~Ⅴなどの著作を通して、出版と流通の問題を社会構造から考えるという視点を採用している数少ない著者の一人で、出版不況が激化すればするほど出版点数が増えるという出版流通業界の謎にも取り組んでおられます。
 『古本屋散策』はというと、こちらは、日々、古書店の均一本コーナーなどで購入した古本を介して、自分と本とのかかわりを個人史的に回想しながら、先に述べた謎の淵源に迫る試みと解することができます。本書のコアは、古本収集そのものにあるのではなく、入手した古本に含まれる様々な情報(著者、編集者、出版社、発行人等々)を量的に蓄積することで初めて見えてくる「日本の出版・流通文化」の「無意識」の分析です。
 「神田に代表される日本の古書業界は、世界に匹敵するものがないといわれているが、それは取次を中心とする特殊な流通システムが必然的に誕生させたものであり、近代出版流通システムの補完装置として始まったのではないかと考えられる」
 すなわち、明治末に返品可能な委託制が導入されたことから取次が書籍流通と金融の主体を担うようになり、大量生産、大量消費という近代出版流通システムが出来上がっていったのですが、そのなかで、古書業界がこの量産システムからこぼれ落ちた本たちを救い上げるセーフティネットとして機能するようになったのです。その意味で、「日本の出版・流通文化」の「無意識」はこの古書業界からの逆照射というかたちでしか解明のしようがないのです。
 通説では昭和初期の円本ブームが量産システムの嚆矢となったといわれますが、その一方では大手取次のネットワークに拠らない中小出版社の流通ルートが存在し、文学史に残る作家たちの処女作の多くはこうした中小出版社の流通ルートを通って読者のもとに届けられたはずです。小田さんが本書で企てようとしたのはこの幻の流通ルートの解明です。
 「その(近代出版流通システムの成長の)かたわらで、現在の言葉でいえば、リトルマガジン、少部数の文芸書、翻訳書、研究書を主とするインディーズ系出版社は、読者に向けての作品を出版し、予約直接販売、会員制方式、組合システムといった近代出版流通システムとは異なる流通と販売に立脚し、成長していく出版資本とは別の出版活動を模索していたのではないだろうか」
 では、なぜ幻の出版流通システムの復元がいま必要なのでしょうか?それは、近代出版流通システムがいずれ機能不全に陥ることが明らかな以上、代替システムを模索しておく必要があるからです。新しいものは常に古いもののなかにあるというのが古本収集の与える最大の教訓ですが、この場合も例外ではありません。
 しかし、手掛かりとなる資料はほとんどありません。古本を手に入れ、内容を読み込むと同時に、後書きや奥付に記された編集者、発行人、出版社といった情報を抽出して「失われたネットワーク」を復元してゆくしか方法がないのです。本書はまさにこの絶望的に困難な企てを、著者個人の読書史・集書史と絡めながら綴った傑作古書エッセイです。
 一人の選者が勝手な基準で受賞作を選ぶことができるというBunkamuraドゥマゴ文学賞のユニークな基準をうまく利用できたことをまことにうれしく思います。

@ 白鳥真太郎

鹿島茂(かしましげる)

作家・フランス文学者・古書コレクター。現在、明治大学国際日本学部教授。1949年、神奈川県横浜市出身。19世紀フランス文学を専門とし、1991年『馬車が買いたい!』でサントリー学芸賞、1996年『子供より古書が大事と思いたい』で講談社エッセイ賞、1999年『愛書狂』でゲスナー賞、2000年『職業別パリ風俗』で読売文学賞、2004年『成功する読書日記』で毎日書評賞を受賞。その他、著書多数。書評アーカイブWEBサイト「ALL REVIEWS」(https://allreviews.jp/)を主宰。

受賞の言葉

「読み書きの職人」として / 受賞者 小田光雄

 ある時期から、私は自分を「読み書きの職人」と見なし、ひっそりと居職の生活を続けてきました。それに加えて、『古本屋散策』でも書いていますが、私は名前と異なり、ずっと影のほうばかりを歩んできましたので、華やかさや賞には無縁だと思い込んでいました。実際に出版者、編集者、著者、翻訳者として多くの本を出してきましたが、どのような賞にも出合っておりません。そうした経緯もあり、Bunkamuraドゥマゴ文学賞のような栄えある賞を受けることなど、まったく想像もしておりませんでした。
 また私の人後に落ちない変なところは、中学生の頃に「売れない物書き」になりたいと考えていたことでしょう。しかもその「売れない物書き」という少年時代の夢が本当に実現し、長きにわたってその夢が覚めない状態が続いてしまいました。そんなわけで、このあたりで自著を刊行するのはお終いにしようかと思いながら、『古本屋散策』を上梓するに至りました。
 それがたまたま今年のBunkamuraドゥマゴ文学賞の選者である鹿島茂さんの目にとまり、受賞の幸運に恵まれたことになります。これは鹿島さんの「選評」の言葉をお借りすると、「一人の選者が勝手な基準で受賞作を選ぶことができるというBunkamuraドゥマゴ文学賞のユニークな基準をうまく利用」していただいたことによっています。いうなれば、ひとえに鹿島さんという選者の「忖度」と「Bunkamuraドゥマゴ文学賞のユニークな基準」がロートレアモンの詩句のようにリンクし、受賞がもたらされたのであり、まさに思いもかけない僥倖というしかありません。
 それだけでなく、鹿島さんは『古本屋散策』と併走して書き継がれてきた私の『出版状況クロニクル』などにもふれ、「出版と流通の問題を社会構造から考える」試みと評してくれました。私のこれらの一連の著作は、現在における出版状況の正確な分析、それに基づく今後の行方の予測を目的として、こちらも十年以上にわたって毎月レポートしてきました。しかし私の特異な多面的視点とバックヤードの問題も作用しているのでしょうが、出版業界の人々はさまざまなポジション特有の思い込み、つまり近代出版の幻想と神話のパラダイムから抜けられず、鹿島さんのいう「日本の出版・流通文化」の「無意識」に対する理解には至りませんでした。それが現在のきわめて深刻な出版危機に陥ってしまった最大の要因でしょう。
 ところでこのような機会を得られましたので、私のバックヤード問題にも若干ふれておきます。これらの出版状況論を提出する以前に、私は1990年代から郊外消費社会論を構想し、97年に『〈郊外〉の誕生と死』(青弓社)を刊行し、99年に『出版社と書店はいかにして消えていくか』(ぱる出版、いずれも論創社復刊)を出しています。また出版状況論とパラレルなかたちで、『郊外の果てへの旅/混住社会論』(論創社)も書き継がれてきました。そうした事実から推測されるように、私の出版状況論は郊外消費社会論の応用編であり、慧眼の鹿島さんはそのことに気づき、「出版と流通の問題を社会構造から考える」試みと評してくれたのでしょう。
 それはともかく、今回の受賞で最もうれしいのは、これまで千編近くをブログに掲載した「古本夜話」が『近代出版史探索』として、やはり論創社からの出版が決まり、その第一巻が近日刊行予定になっていることです。これも受賞の賜物と存じ、鹿島さんにあらためて御礼を申し上げます。またこのBunkamuraドゥマゴ文学賞は、私だけでなく、長期連載してくれた『日本古書通信』、単行本化を担ってくれた論創社、そして拙著に登場する多くの古本屋さんにも分け与えられるものと考え、深く感謝する次第です。

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