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2025.09.06 UP

展覧会

【展覧会情報】
渋谷区立松濤美術館「井上有一の書と戦後グラフィックデザイン 1970s-1980s」

渋谷区松濤にある渋谷区立松濤美術館。9月6日(土)より開催される展覧会をご紹介いたします。

■「井上有一の書と戦後グラフィックデザイン 1970s-1980s」

脈動する毛筆、炸裂する墨液…。本展は、あまりにも強烈すぎる書の数々で知られる井上有一(1916-1985)の没後40年を記念した展覧会です。

1935年に東京・横川尋常小学校に奉職して以降、生涯を教師生活と書に捧げた井上。彼は精いっぱいの日常を生きる庶民の立場から、みずからの芸術をつくりあげようとした人物でした。1945年3月10日、勤務中の小学校でアメリカ軍の爆撃を受け一時仮死状態となったのち、多くの犠牲者のなかから奇跡的に息を吹き返します。井上の「戦後」は、戦争を辛くも生き延びたひとりの人間の道行きだったのです。
そして、この井上の特異な書業と来歴に鋭く反応したのが、ほかでもないグラフィックデザイナー達でした。70年代を境に、名だたるデザイナーが井上作品を用いた印刷物に携わるようになり、80年代以降、デザインや広告を経営戦略に取り入れた、いわゆるセゾン文化のなかで井上の書が積極的に紹介されてゆきます。先に述べた井上の書のイメージは、70年代以降のデザイナーとのつながりを通じて、巧みにプロデュースされていったのです。
「戦後」が曲がり角に差し掛かるこの時期、一見奇妙な井上有一の書とグラフィックデザインの連帯は、いかにして成立したのか。そしてこの連帯が目指すものはいったい何だったのか。本展は、西武とパルコを擁する渋谷の地において、井上の書とデザインの関係を考えるものです。それは「戦後」という時代がどのように移り変わり、現在に至っているのかを振り返る確かな手がかりともなるでしょう。

 井上有一《花》1957年 墨・紙 個人蔵 Ⓒ UNAC TOKYO

操上和美《井上有一肖像》1984年8月31日撮影 個人蔵

 

■序章 『花の書帖』とその周辺

1950年代、欧米の抽象絵画ブームを背景に登場した頃を井上有一のデビューとすると、1971年に出版された『花の書帖』は、井上の芸術家としての2度目のデビューを飾る本です。
この本の装丁に工夫を凝らしたのがデザイナーの福田繁雄(1932-2009)。独特のユーモア感覚あふれるデザインで知られる福田は、表紙と裏表紙に花をかたどった風変わりなオブジェを配置し、それぞれを木とビニールという異なった素材で制作しました。
この書籍の出版は、井上とグラフィックデザイナーとのコラボレーションの幕開けとなります。

井上有一著・福田繁雄造本『花の書帖』求龍堂 1971年 個人蔵 

 

■第一章 そこで生きている書 1940年代~1950年代

井上は1916年に東京市下谷区の古道具屋の長男として生まれました。決して裕福ではない家庭に育った彼は、東京市本所区の横川尋常小学校で教師として働き、その後書家の上田桑鳩(1899-1968)に弟子入りしたのち、49年にデビューします。
井上が活動を始めた1950 年代の美術界では、書や生花、あるいは日本画などのジャンルにおいて、伝統美術の革新運動が巻き起こり、井上もこの潮流の流れに乗って注目を集めました。
第4回サンパウロ・ビエンナーレに出品され、評価された《愚徹》(1956年)など、代表作をもとに初期のあゆみを概観します。

井上有一《愚徹》1956年 墨・紙 国立国際美術館蔵 Ⓒ UNAC TOKYO

 

■第二章 技法としての書 1960年代

この時期の井上の作品、とりわけ60年代前半に顕著なのが、「凍墨(こおりずみ)」と呼ばれる独自の墨の活用です。
筆の毛1本1本の通った痕跡がくっきりと浮かび上がり、躍動感に満ちた仕上がりが得られるこの技法を用いるには、冷やして膠(にかわ)を固めなければいけませんでした。そのため、井上は主に11月以降の冬にのみ制作をしていたといいます。
実はこの頃、井上は学校業務で多忙を極め、制作の時間が十分に取れなくなっていました。冬に制作期間を限ったのには、そのような事情も背景にあったものと思われます。
日常生活にまみれながら、それを起点として芸術の方法を探ろうとした井上。その苦労と工夫から生み出された書の数々を紹介します。

井上有一《母》1961 年 墨・紙 京都国立近代美術館蔵 Ⓒ UNAC TOKYO

 

■第三章 複製技術としての書 1970~1980年代

1970年代以降、井上は国内に活動の軸足を移し、個展や作品集の出版を重ねるようになりました。
しかし、何と言っても井上の名が広く世に知れ渡るには、没後の1986年に渋谷西武シードホールで開催された「生きている井上有一」展と、これに参加した浅葉克己(1940-)、井上嗣也(1947-)、糸井重里(1948-)、仲畑貴志(1947-)、操上和美(1936-)、木村勝(1934-2015)ら「生きている井上有一の会」の面々によるその後のデザイン展開が決定的な影響力を持ちました。
時はバブル景気華やかなりしころ。素朴で普通な人々の生活に寄り添った井上の書は、一転して経済的な豊かさの中で再解釈され、受け入れられ、その輝きを増してゆくことになりました。
一方、エディトリアルデザインの優れた仕事で知られる杉浦康平(1932-)は、井上有一の書を身体運動とそれが引き起こす文字の生命力という側面から深く追求し、数々の豪華な作品集を制作しました。
本章では、グラフィックデザインによって一気に大衆化する一方で、同時に伝説化してゆく井上の評価の展開を、数多くの作品やポスターとともに追いかけます。

井上有一《貧》1972年 墨・紙 京都国立近代美術館蔵 Ⓒ UNAC TOKYO

 

■特集 戦争と井上有一

井上の創作の原点として極めて重要な出来事が、太平洋戦争末期の東京大空襲です。この空襲により井上の勤務していた学校も大きな被害を受け、彼自身も一時は仮死状態に陥ります。
この日、知人や同僚、そして自分の受け持つ生徒たちを含めた多くの人が亡くなりました。このときの壮絶な経験をもとにして書かれたのが、大作《噫横川国民学校》(1978年)です。戦後80年を数える今年、特別に本作をご紹介します。

井上有一《噫横川国民学校》1978年 墨・紙 群馬県立近代美術館蔵 Ⓒ UNAC TOKYO

 

■終章 遠い記憶―夢幻記

井上は1985年に肝硬変に伴う肝臓がんによって69才で亡くなります。この数年前、死期を悟った井上によって手掛けられたのが、《夢幻記》(1979年)です。まるで自らの記憶を掘り起こし、物質のうちに留め置こうとするかのように、幼少期の思い出がびっしりと細かい字で書き込まれています。
展覧会の締めくくりとして、《夢幻記》を中心に最晩年の作品をご紹介します。

井上有一《夢幻記》ベニヤ板・油彩 1979 年 個人蔵 Ⓒ UNAC TOKYO


\展覧会をもっと楽しむ!イベント情報/

会期中には、記念講演会やレクチャー、学芸員によるギャラリートークなど鑑賞体験をさらに深めるイベントを多数開催!

◎記念講演会『うごく手』
 日時:10月24日(金) 18:00~(約90分)
 講師:日比野克彦氏(アーティスト、東京藝術大学学長・岐阜県美術館館長・熊本市現代美術館館長)
 ※要事前申込み(締切:10月3日(金))

◎レクチャーA:「モダンデザインの脱構築と感覚への傾斜、そしてポストモダンへ」
 日時:10月11日(土) 14:00~(約90分)
 講師:塚田優氏(評論家)
 聞き手:木原天彦氏(渋谷区立松濤美術館学芸員)
 ※定員60名(先着順)

◎レクチャーB:「『書の解放』はいかにしてなされたか―井上有一とポピュラーカルチャーの交流史」
 日時:9月27日(土) 14:00~(約60分)
 講師:木原天彦氏(渋谷区立松濤美術館学芸員)
 ※定員60名(先着順)


お申込み方法やイベントの詳細は、渋谷区立松濤美術館ホームページをご確認ください。*外部サイトに遷移します。

 

開催期間:2025年9月6日(土)~11月3日(月・祝)10:00~18:00(入館受付は17:30まで)
※金曜は10:00~20:00 (入館受付は19:30まで)
前期/9月6日(土)~10月5日(日)
後期/10月7日(火)~11月3日(月・祝)

休館日:月曜日(但し、9月15日、10月13日、11月3日は開館)、9月16日(火)、9月24日(火)、10月14日(火)

主催:渋谷区立松濤美術館

会場:渋谷区立松濤美術館
   京王井の頭線 神泉駅 下車徒歩5分
   JR・東京メトロ・東急電鉄 渋谷駅 下車徒歩15分
   〒150-0046 東京都渋谷区松濤2-14-14
   TEL: 03-3465-9421
   https://shoto-museum.jp/access/

※MY Bunkamuraでの本展覧会チケットのお取り扱いはございません。
 チケットの詳細は渋谷区立松濤美術館ホームページをご覧ください。*外部サイトに遷移します。