ヴェルディ:オペラ『オテロ』(演奏会形式)全4幕(原語上演・字幕付き)

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2017.07.31 UP

アンドレア・バッティストーニが『オテッロ』の魅力を語る!講演会レポート


 5月27日(土)、イタリア文化会館において、日本ヴェルディ協会、イタリア文化会館の共催により、アンドレア・バッティストーニ氏の講演会が開催された。主なテーマは、バッティストーニ氏が9月にBunkamuraオーチャードホールで指揮をする『オテッロ』。300人を超える出席者があり、大盛況の講演会となった。以下に、『オテッロ』についてのバッティストーニ氏のコメントをご紹介する。通訳は井内美香氏、司会進行は加藤浩子氏。


―マエストロはすでに『オテッロ』も指揮していらっしゃいますが、本作の魅力についてお聞かせください。

バッティストーニ(以下B):『オテッロ』は、ヴェルディの27作あるオペラのなかでも重要な作品で、彼の創作の重要なポイントで書かれたオペラです。ヴェルディはとても長生きをしましたが、『オテッロ』は彼の最後から2つめのオペラとなりました。ヴェルディは当時、有名なオペラ作品を既にたくさん書いていて、前作の『アイーダ』がもう最後のオペラだと思われていたのです。
 たしかに『アイーダ』は、彼の最後の傑作になるのにふさわしい点をたくさん備えていました。お祭り的な大きな作品であり、一方で人間の内面的な感情表現という、ヴェルディの2つの特徴を備えていたオペラでした。音楽的にも、中期三部作と比べても充実した内容を持っています。オーケストラのパートにもインパクトがある。色彩がブリリアントなのです。たとえば第3幕のはじめでは、ヴァイオリンやフルートが、ナイル川の雰囲気をとてもよく出しています。ヴェルディが成熟し、頂点に達した作品といってもいいでしょう。けれど私たちにとって幸運なことに、ヴェルディの創作活動は『アイーダ』で終わることなく、あと2作のオペラを書くことになりました。
 彼が晩年に作曲家として再び花開いたのは、晩年の人間関係、とくに台本作家であったアッリゴ・ボーイトとの関係が非常に大きいと思います。ボーイトが、イタリア国外ではもちろんですが、イタリア国内でも正しく評価されていないことはとても残念です。彼は文化的に大変面白い活動をしました。イタリアの19世紀−20世紀への橋渡しをした重要な主役のひとりだったのです。彼は折衷主義的な面を持った芸術家でした。
 今、ボーイトの名前が知られているのは、ヴェルディの最後の2つのオペラ『オテッロ』および『ファルスタッフ』と、改訂版の『シモン・ボッカネグラ』の台本作者としてでしょう。けれどボーイトは、台本作家としてだけでなく、文学者として重要でした。彼の詩集はとても素晴らしく、19世紀末のイタリアの文学界を代表するものです。ボーイトの詩を読むと、なぜ多くの作曲家が彼に台本を書いてもらいたがったかわかります。彼の詩はとても音楽的で、リズム、抑揚、すべてが存在しているのです。ボーイトは、文学者、詩人として素晴らしかっただけでなく、自身が作曲家でもあったので、他の作曲家がどんな台本を必要としていたかわかっていたのです。
 ボーイトは、パルマの貴族の家系の出身です。若い頃からたくさん旅行をし、外国の文化、フランスやドイツの文化に触れて成長しました。若い頃はパリにいて、フランス語で暮らしたこともあります。彼の兄弟子にフランコ・ファッチョ〜彼は私の生まれ故郷であるヴェローナの出身です〜がいました。ボーイトとファッチョはパリで重要なサロンに出入りし、劇場にも通いました。マイアベーアやオベール、ベルリオーズなどの作品に触れ、ロッシーニとも親交があって、ロッシーニの夜会に招かれ、ワーグナーとも出会っています。
 そんなボーイトが、ヴェルディの作品とはじめて接点を持ったのは、彼が作曲した『諸国民のための賛歌』のテキストを書いたときでした。
 ボーイトはもともと、ヴェルディの音楽を、なんてひどい音楽なのだろうと思っていました。地方色が濃いイタリアの作曲家の作品、田舎の作曲家の王様のように感じていました。
 とはいえ、ヴェルディはヨーロッパでもっとも有名な作曲家のひとりなので、ボーイトとしては彼に近づく必要がありました。間を取り持ってくれたのは、ヴェルディの古くからの友人であるクララ・マッフェイ伯爵夫人でした。夫人は、この若者は素晴らしい詩を書く、とヴェルディに紹介したのです。
 ヴェルディは、マッフェイ夫人の判断を信頼していましたので、パリ万博用の作品の注文を受け、《諸国民のための賛歌》を書いた機会に、ボーイトに詩を依頼し、大成功を収めたのです。こうして、2人の最初の出会いはうまくいき、親しくなることができました。一方でボーイトの詩については、レトリックな効果を重視していて、中身がないという批判もあったのです。 
 ボーイトはその後、ファッチョとイタリアに戻り、ミラノの文化人と交流するようになります。その過程で、イタリアの《ボエーム》のような、貴族や伝統に対して反対する若い芸術家たちのグループ、《スカピリアトゥーラ》との関係を深めます。彼らは、自分たちがパリで経験したもの、マイアベーア、ベルリオーズらの折衷主義的なグランドオペラやワーグナーを、イタリアに持ち込もうとしました。自分たちの運動は未来の、これからやってくるべき芸術だと考えたのです。
 彼らが信奉する《未来の芸術》と対立する《過去の芸術》には、ヴェルディの作品も含まれていました。この対立は、伝統が席巻している当時のイタリアの世界にあっては、避けられないものだったと思います。
 こうして彼らは当時の偉大な音楽家や文学者に対立する言葉を投げつけ、古い芸術家の代表としてヴェルディのことも批判しました。そのためヴェルディとボーイトは敵対関係になります。
 そんなボーイトやファッチョが考える新しい芸術、改革は、すべて実現できたわけではありません。2人の作品は、スカラ座でひどい失敗を喫しました。ファッチョのオペラ『ハムレット(アムレット)』と、ボーイトのオペラ『メフィストーフェレ』です。
 『ハムレット』は、ボーイトの台本です。この台本は素晴らしいものです。シェイクスピアはイタリアではそれほど知られていなかったのですが、ボーイトはオペラの原作であるシェイクスピアの『ハムレット』から、大事なところをすべて抽出してオペラ化しました。問題はファッチョの音楽です。刺激的ではまったくなく、凡庸で、新しくもないのです。はじめの部分はヴェルディの『ガレー船の時代』(注:若い頃の書き飛ばしていた時代のオペラ)のような音楽で、残りは『ローエングリン』のコピーのような感じです。
 『ハムレット』は完膚なきまでの失敗となり、ファッチョはその後一音も作曲することはありませんでした。そして、すぐれた指揮者になったのです。
 一方ボーイトは、自分で台本も書き、作曲もしたオペラ『メフィストーフェレ』を発表しました。これはゲーテの『ファウスト』を下敷きにしたオペラですが、初演は失敗したので、初稿は破棄され、散逸してしまいました。現行版では、「プロローグ」が天使たちによる天上の音楽になっていますが、初演版は俳優たちのシーンで幕が開きます。
 しかし『メフィストーフェレ』は、当時のイタリアオペラにおいてとても革命的な内容を持っている作品です。この作品で、イタリアオペラにおいてはじめて番号オペラが廃止され、ワーグナー方式の通作オペラが成立しました。また、イタリアでシンフォニーの上演がない時代にもかかわらず、この作品にはオーケストラだけの曲が挿入されていたのです。
 残念ながら初演は、『ハムレット』のような大失敗となりました。客席では反対派と擁護派で殴り合い、恐ろしい状況になったようです。当時の観客は反応が熱かったのですね。警察を呼ぶ騒ぎにまでなったので、その後上演されなくなりました。けれどボーイトはこの件を通して、自分が自らの足の長さより遠いところへ行こうとしたことに気づき、ヴェルディを認めて、別の関係を築こうと決心したのです。
 一方ヴェルディはサンターガタの自分の家で、ボーイトの失敗したことを新聞で読んで笑っていたことでしょう。未来の芸術がどういう結末を迎えたかと思ったことでしょう。ただヴェルディは紳士だったので、ボーイトたちに攻撃されても、公の場で反撃したりはしませんでした。ヴェルディは自分に自信があり、自分のことを知っていたので、他人との人間関係を再構築することも可能でした。それがボーイトとの間でも起こったのです。
 関係修復にあたったのは、出版社リコルディの社長です。ある夕食の席でボーイトがリコルディに、想定話として、有名なロッシーニの『オテッロ』のあとで、新しい『オテッロ』が作曲できたら素晴らしいだろうなともらしたそうです。リコルディは、ヴェルディがシェイクスピアを愛していることをよく知っていましたので、いい台本があればヴェルディは『オテッロ』を書きたいかもしれないと答えたのです。その後たった3日間でボーイトは『オテッロ』の台本の大半を書き、リコルディに頼んでヴェルディに送ってもらいました。
 ヴェルディは才能を見る目がありましたので、ボーイトの才能も見抜きました。ただ彼は、自作の台本作者については厳しかった。これまでも、台本の内容にいつも積極的に介入し、内容を変えるために台本作家と頻繁にやりとりしてドラマの内容を変えたりしましたし、オペラの台本が踏んでいる韻に関しても介入していたのです。
 リコルディは、まず2人のコラボレーションがうまくいくかどうか、仕事相手として互いにうまくいくかどうかやってみようと考えました。そうして生まれたのが『シモン・ボッカネグラ』の現行版です。今日は初演版はほとんど上演されず、こちらが上演されます。ボーイトは初演版でピアーヴェが書いた台本を改作し、興味深くエモーショナルな作品を作りました。『シモン』のなかで一番感動的な場面は議会の場面で、とくにパオロが自分を呪うシーンは圧巻ですが、ここは完全にボーイトが作った場面です。
 結果的に、『シモン』の改訂版はスカラ座で大成功を収めました。ヴェルディは満足し、次の仕事をしよう、彼らの間でチョコレート計画と呼ばれていた『オテッロ』の作曲をしようと考えます。この仕事のために2人の間で交わされたおびただしい往復書簡が残されていますが、それを見ると、ボーイトの役に対する解釈がいかに強烈か、いかにそれがヴェルディに影響を与えたかがよくわかります。
 実は改訂版の『シモン』が成功を収めたその数ヶ月後に、ボーイトの『メフィストーフェレ』の改訂版が同じスカラ座で上演され、成功を収めました。ヴェルディは演劇的には、台本の劇的な部分に、また音楽的にも、ボーイトに大きな影響を受けています。
 たとえば『オテッロ』におけるイアーゴの造形は非常に独特です。パーソナルな解釈を付け加えていて、シェイクスピアの原作とはかなり違う。シェイクスピアのヤーゴはもっと曖昧です。彼がなぜこんなにオテロを憎むのかの説明が、わざと曖昧にされ、読み手の解釈に任される部分がある。イアーゴがなぜそうしたかが説明され尽くしていないのです。
 ボーイトは自分がオペラを書いた経験から、イタリアのオペラの聴衆がこのような曖昧さ、受け手に任される解釈が好きでないことを知っていました。そのため、強烈な性格をヤーゴに与えたのです。彼の『メフィストーフェレ』の主人公は悪魔ですが、初演版より改訂版のほうが、やはり強烈なキャラクターになっています。そして『オテッロ』では、まるでメフィストーフェレのキャラクターをオテロに入れ込んでイアーゴにしたような感じになっているのです。
 そして、何より、ヴェルディの天才があったからこそ、完璧にネガティヴな人物であるイアーゴがこのようにうまく作品のなかで機能したのだといえると思います。イアーゴという人物を描ききったのはヴェルディの天才のなせる技です。それがはっきりわかるのは第2幕の冒頭の、有名な《クレード》の場面です。この部分はシェイクスピアにはなく、ボーイトが創作しました。
 実際のところ《クレード》の内容は、オペラという作りごとの世界から抜け出してみたらかなりばかばかしいかもしれません。第1幕のイアーゴは、シェイクスピアのキャラクターが生かされていて、人々の間を立ち回る人物ですが、 第2幕のこの《クレード》になると、突然舞台の真ん中にでてきて、自分は悪い人間に生まれたと言って笑うわけですから。
 それを機能させたのはヴェルディです。彼は、イタリアオペラのなかではこれがうまくいくとわかってやったのです。ヴェルディの天才、彼の音楽により、《クレード》はここまで説得力のあるものになったのです。この音楽を通じて、「悪」が真実であることが伝えられているのです。

―19世紀末のイタリアオペラを展望するような内容の、深いお話をありがとうございました。
今回の上演は、映像がつくセミステージ形式だそうですが、どのような舞台になるのか教えていただけますか。また、主役の3人は海外から招聘されますが、どんな歌手の方たちなのか教えて下さい。

B: 日本は、テクノロジーが非常に進んでいる国です。今回は、前衛的なテクノロジーを追求しているライゾマティクスリサーチがオペラの上演にかかわることになっています。オペラのなかでそのようなテクノロジーが、初めて使われるわけです。
 私は、彼らが使うテクノロジーのすべてを知っているわけではあありませんが、オペラでは見たことがないようなものをお見せできると思っています。みなさんのエモーショナルなところに触れるような上演になるのではないでしょうか。登場人物の感情や状況がビジュアルでも示されるのです。
 歌手についてですが、『オテッロ』の主人公たちは大変な役柄なので、それぞれ高い能力がなければ歌えません。
 主役のオテッロには、スピントという劇的で強烈な声が必要です。この役は、それまでのイタリアオペラには例がないくらいドラマティックな声で歌われなければなりません。その前でこのような声を要求するオペラといえば、唯一、ヴェルディの『スティッフェーリオ』くらいでしょう。
 今回のフランチェスコ・アニーレは、昨年『イリス』の大阪を歌って成功した歌手で、世界中でオテッロを歌っています。最近はメトロポリタンオペラで歌い、成功したばかりです。
 デズデーモナ役は、天使としてのデリケートな役ですが、それを歌ってくれるのは、現在のオペラ界のディーヴァのひとりであるエレーナ・モシュクです。
 イアーゴを歌うインヴェラルディは、声も迫力があるのですが、役者として非常に才能がある歌手です。この役は、役者として説得力があることが必要だと思うので、彼に頼みました。

―今回は、初めての企画として、『10代のためのプレミアムコンサート』が行われますね。オペラの聴衆の高齢化は世界共通ですし、マエストロも若い人にオペラを聴いてもらいたいという願いを持っておいでです。このコンサートについて一言いただけますか。

B: オペラへのイントロダクション、オペラに若いひとを招待するという企画としてこれを考えました。2回の『オテッロ』の公演の真ん中にありますが、『オテッロ』だけでなく、序曲のような曲も、そしてヴェルディだけでなく、プッチーニなどイタリアオペラの他の作曲家のいろいろな曲を聴いていただけます。若いひとたちがオペラって何と思った時に、いろいろ様々なスタイルがあることを知ってほしいと思うからです。
 オペラをなぜ聴くのか。その理由は、そこからエモーショナルなものを受け取れるから、感情を揺さぶられるからなのです。

文責・加藤浩子

 

※日本ヴェルディ協会では、『オテッロ』と作品表記しますので、このレポートはそれに準じています。