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至上の舞踊エンターテインメント
2010年進化的再演!
ヤン・リーピンのシャングリラ
2010年3月17日(水)~22日(月・祝)
Bunkamuraオーチャードホール

楊麗萍(ヤン・リーピン)インタビュー

--2年前の『シャングリラ』日本初演は全公演ソールドアウト。観客は雲南の少数民族たちによる伝統歌舞の繚乱たる美しさに心奪われました。まずは前回の日本公演の感想からお聞かせください。

わたしはこの作品を通して、ありのままの自然の美しさを表現しようと考えています。人が自然と共生し、宇宙と一体となる。そうした壮大な広がりのある美しさです。前回の公演で、日本のお客様は我々とおなじアジア的な審美眼をもって、この自然崇拝の精神を理解してくださったように思いました。単に、形の美しさやダイナミックさを娯楽的に楽しむだけではなくです。これは個人的にもとても嬉しいこと。まただからこそこうして短期間のうちに二度も、日本で公演を行う機会を得られたのだと思います。

--今回の再演も全体構成はほぼ変わりません。なにか細部で新演出は取り入れられるのでしょうか。

はい。大きな変化は三つです。まずわたしのソロである<孔雀の舞>に、今回から群舞が加わります。また構成上、途中、休憩時間を挟むことにしました。そして新たな趣向として、いまギネスブックに申請中である巨大な竹笛による演奏場面が取り入れられます。この竹笛演奏は日本初演。約10メートルに及ぶ雲南の青竹をもちいて、男女ふたりで雄大に吹き奏でます。それにより古代道教における陰陽の精神、つまり男女の合体があらわされることになります。

--なぜ、雲南に生育する竹の音色を採用したいと思われたのでしょう。

雲南に住む少数民族たちの歌舞は、樹々や小川や小鳥たちなどの自然音と決して切りはなせないからです。たとえば赤児が母親の胎内で聞く音、蝶々が羽をはばたかせる音、風が大樹の木の葉を叩く音--ちなみに<花腰歌舞>の場面における手拍子はこの風音を表現しています。つまり大自然の音に耳を澄ますことから、雲南の歌や舞は始まるわけです。

--自然を精緻に観察することから、音楽や振付が生まれてくるわけですね。

そうです。だから同じく<花腰歌舞>のフアヤオイ族の少女たちによる群舞は、ご覧になればお分かりのとおり、直線やジグザグのフォーメーションを描きながら踊られるのですが、あれはじつは蟻の行列を観察することから着想を得たものなんです。またイ族による<煙草入れの舞>は蠅やトンボの交尾を観察することから生まれてきました。つまりわたしの振付の先生は、昆虫や大自然。子供のころから、小川の魚や、草むらの虫や、裏山に育つ茸の生長を観察することでわたしなりの美意識を養ってきたわけです。

--ただそうした手つかずの大自然も、中国の急激な経済成長により失われつつあると聞きます。

それは中国だけでなく地球全土でそうですよね。わたしの村でも、一昔前まであった粉ひき用の水車がオートメーション機械にとってかわられました。かつての家族は小さなランプに火を灯して暮らしていましたが、今では電力が供給されています。まあ生活が便利になることは悪いことではないので、これは致し方のない変化なのかもしれません。ただどうしても残念なのは、村民たちの精神性が失われつつあること。たとえばかつての人々は月を仰ぎ見て「なんて明るいんだ」とその不思議な魅力にとりつかれたものです。でもいまではインターネットなどで科学的知識がすぐに得られるため、誰もが月とはなにもない不毛の平野だと知っている。するとたとえばわたしが踊る<月光の舞>の神秘性に、共鳴する人が少なくなってしまうわけです。哀しいことです。

--そうして失われつつある雲南の有形無形の文化を守り、日本などの諸外国に広めるためにも、ヤンさんは『シャングリラ』を上演されつづけるわけですね。

そうです。わたしはこの公演で歌い踊る子供たちによく言います。「大自然の美しさを表現しなさい。そうすればあなたの歌や舞から、おのずと伝統精神が受け継がれていきますから」と。今回の公演でも、その精神性がきちんと表現されることを願います。そして日本のお客様に、雲南の大自然の美しさに共鳴していただければ何よりです。

インタビュアー・文:岩城京子(演劇・舞踊ライター)
インタビュー写真撮影:たかはしじゅんいち