シュツットガルトにおけるオペラの歴史は17世紀に遡り、1696年に常設のカンパニーが、そして18世紀には宮廷歌劇場が設立されている。1819年からは、メンデルスゾーンとベルリオーズという二人の大作曲家に評価されていた指揮者リントパインターが、この地でのオペラ活動の質を高め、同時にパガニーニやリストの定期演奏会を開いている。
現在の劇場建物がオープンしたのは1912年。すぐに作曲家リヒャルト・シュトラウス自身の指揮により、《ナクソス島のアリアドネ》を世界初演している。この時すでにシュツットガルトはドイツのオペラの中心地の一つになっていた。その後も、1921年にヒンデミットが《ヌシュ・ヌシ》を世界初演したほか、ワーグナーとウェーバーの完全上演を手がけている。
第2次世界大戦、シュツットガルト歌劇場はバイロイトを除いて西ドイツで唯一、戦争の被害から免れた劇場となり、それまでナチスによって禁止されたヒンデミット《画家マチス》のドイツ初演によって、1946年に劇場を再開している。翌年、フェルディナント・ライトナーが芸術監督に就任し、再び活発に上演を始めた。1950年からはドラマトゥルク出身のワルター・エーリッヒ・シェーファーがオペラ支配人に就任し、ライトナーとともにこの劇場の評判を一気に高めた。さらにカルロス・クライバーが、シュツットガルトで指揮をし、またヴィーラント・ワーグナーやギュンター・レンネルトらの演出家を招いたのもこの時期で、シュツットガルトはまさに「冬のバイロイト」と呼ばれ黄金時代を迎えた。

91年クラウス・ツェーラインがオペラ支配人に就任し、97年にローター・ツァグロゼクが音楽総監督に就任。斬新なアイデアによるワーグナーの4部作《ニーベルングの指環》上演など、近年の活躍はめざましくシュツットガルトの舞台は大きな話題を呼んだ。シュツットガルトの歌劇場はヨーロッパの月刊誌『オーパンヴェルト』誌において94、98、99、00、02年の「最優秀歌劇場」に選ばれ、現在では最も注目されるオペラ・ハウスとされている。
レパートリーは、ドイツ系だけでなく、イタリアオペラまで幅広い。そして地理的な影響もあり、ベルリンの暗さとは対照的に、明るい音が劇場を性格付けている。大スターに頼らず、歌劇場の総力でレパートリーを練り上げ、優れた上演をするのがドイツのオペラ劇場の特徴だが、シュツットガルト歌劇場はまさに今、21世紀のオペラ・シーンにおいて最先端をゆく存在である。


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