“世界一優美なオペラハウス”とうたわれたヴェネツィアのフェニーチェ歌劇場が悲劇的な火災にあったのは、1996年1月のこと。以来、同歌劇場は、建物の再建を進める一方、市内の他の劇場やテント劇場などにおいて音楽活動もたゆむことなく続け、復活の日を目指してきた。
“不死鳥(フェニーチェ)”の名にふさわしく、劇場が記念コンサートによって再オープンをはたしたのは、2003年12月14日のこと。その後、一年近くをかけて舞台機構の整備と内装の仕上げを行ない、2004年11月、フェニーチェ歌劇場はついにオペラハウスとしての活動を再開することとなった。復活公演の演目に選ばれたのは、ヴェルディが1853年にこの歌劇場で初演した「椿姫」。12日の初日には、EU欧州委員会のプロディ委員長をはじめとするVIPたちが駆けつけ、歌劇場の新たな出発を祝った。 |
ファンがつめかけ、超チケット難となったこの貴重な公演を、幸運にも観る機会に恵まれたのは開幕から数日を経た18日のこと。華やかな祝祭ムードあふれる劇場ロビーから、客席内に一歩足を踏み入れた瞬間、その美しさに思わず息を飲んだ。場内を埋め尽くす、きらめくばかりの金の装飾。典雅な水色を基調とした天井画。上品なローズ色のベルベットに彩られた客席。そのすべてが一体となって、極上の美の空間を創り出している。 |
そんな美の空間から飛び出してきたのは、これまたシックな美しさにあふれた「椿姫」だった。前奏曲のやるせないメロディが場内を満たすと同時に幕が開き、ベッドの上に腰をおろした黒いランジェリー姿のヒロイン・ヴィオレッタ(パトリツィア・チョーフイ)が、やってくる男たちから次々とドル紙幣を受け取っていく衝撃的なオープニング。グリーンを基調としたモダンな舞台美術が印象的な中、1980年代に設定されたスタイリッシュな舞台が展開されてゆく。
郊外のシーンでは、木の葉の代わりにドル札が降り、夜会でのジプシーとマタドールの合唱は、ナイトクラブでのクレイジー・ホース風キャバレー・ダンスとして登場。80年代テイストの服装に身を包んだ人々がさんざめき、まるでハイ・ファッション誌のセレブのパーティ・ページをのぞいているかのような舞台に、富の力にがんじがらめにされた現代人の姿が見えてくる。 |
そんな中、一度は富の陥穽に落ちたものの、最後には愛を貫き通して死んでゆくヴィオレッタの姿が、心を打つ。人々の心の動きを繊細に描き出し、演劇的にも優れた舞台を創り出した演出家ロバート・カーセンの力量、そして、彼に舞台を任せ、斬新なプロダクションを復活公演として送り出したフェニーチェ歌劇場の心意気に感服した。
終幕、ヴィオレッタが最後の力をふりしぼり、「私は生まれ変わるのよ」と歌い上げるシーンでは、場内に取り付けられた灯りがまたたくようにともされ、プロセニアム・アーチ上部に取り付けられた金のフェニーチェにスポットライトが当てられるという心憎い演出。不死鳥の如くよみがえった歌劇場に多くの人々が寄せる歓びを、一層高める効果をもたらしていた。 |
テキスト: |
藤本真由(フリーライター) |
写真: |
中村豊 撮影
フェニーチェ歌劇場提供 |
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