勅使川原三郎  佐東利穂子 オブセッション 振付・美術・照明・衣裳: 勅使川原三郎

映画『アンダルシアの犬』から着想した初のダンスデュエット

2010年5月20日(木)〜23日(日)

Bunkamuraシアターコクーン

男と女の身体がひび割れ 反転し 振動し 激しく亀裂が走る
 結晶になる身体 春という季節の中 無邪気なほどあっけなく
 当たり前の意識を引き裂く偏愛 深い感情の不可能な音楽物語
                                                勅使川原三郎

初のデュエット作で魅せる勅使川原三郎の新たな境地

 独自の美学で貫かれた作品世界を展開し、ダンス界はもちろんアートシーンからも広く注目を集める勅使川原三郎。そんな彼が次に挑むのは、自身初となるデュエット・ダンス。勅使川原と佐東利穂子という研ぎ澄まされた身体をもって、強烈な瞬間の連なりを描き出してゆく。
 闇に包まれた舞台上に、ぼんやりと姿を現す男と女。ぽつりと置かれたテーブルを、電球の灯りが仄かに照らす。簡素な空間の中で、一定の距離を保ちうごめくふたつの肉体。
 そこに浮かび上がるのは、魂のぶつかり合いが生む調和と不調和。愛情に端を発する、対象を引き裂かんばかりの歪んだ固執・・・・・・。
 『オブセッション』とは、“偏愛”の意。その着想の基となっているのが、シュールレアリズムの傑作として名高い映画『アンダルシアの犬』である。勅使川原がこのショートフィルムと出会ったのは10代の終わりのこと。「衝撃的な内容以上に、問いかけられた気がしたんです。“おまえはこれから何が出来るのか?”、と」。それはある意味彼にとって創作の原点であり、ダンスという長い旅の始まりだった。
 本作の初演は2009年5月、フランスにて。その後ギリシャ、ウィーンを巡り、いずれも高評を博してきた。ダンス、光、美術に加え、作品を構成するもうひとつの核となっているのが音楽だ。日本初演のシアターコクーン公演では、イザイ作曲の無伴奏ヴァイオリンソナタをフランス人音楽家、ファニー・クラマジランが生演奏で上演。
 クラマジランは1984年生まれ。モンテ・カルロのヴァイオリン・マスターズにて『モナコの侯爵レニエV世賞』(一等賞)を受賞するなど、今後の飛躍が期待される新進ヴァイオリニストである。自身も出演した音楽の祭典『ラ・フォル・ジュルネ』で彼女の音に触れ、その才能に惚れ込んだという勅使川原。今回日本の地で、晴れて念願の共演を叶えることとなった。
 30年余りの時を経て、ようやく辿り着いた新境地。それだけに、今作に寄せる勅使川原の想いは強い。「この作品をやること自体が大きな意味を持つ。自分にとって、とても重要な作品なのです―。」果てしない模索の末、形を成した創造の結晶『オブセッション』。それは鮮やかな意思を持って、観る者に深い問いを投げかける。

文:小野寺悦子

PARIS ART<海外での公演評>

西洋のバレエと全く異なるこの音楽とダンスは、ただ同時的に行われているだけでなく、空気と共に、あるいは空気を彫刻しながら奇異な世界とヴァイオリンによって呼び覚まされるもう一つの異なった世界を見せてくれる。
勅使川原三郎と彼の信頼を受ける佐東利穂子は、芸術好きでない人に対してもその固有の世界を魅せることができる。世界は対比と困惑、緩みを生む静止、ピンと張った緊張と流動性、角度と曲線、弱さと芯にある強さ、減速していく早さと加速、隔てられたものの端と端、すべてを包括してくる。動きは時には漢字のように複雑で、時にひらがなのように連なっていき、時にはカタカナのように記号的である。

勅使川原三郎は自身の仕草を示していき、そのサインとなる動きは劇場の中で起こることを導いていく。叙情が心への浸透していく。振付家は、踊り出し、動きを定義し始めるとそれをまたははぐらかすようにして「影」と遊びだす。その影は公演の間休むことなくずっと踊り続ける。
勅使川原は吊り下げられている電球の間を通り抜ける。4つの蛍が様々の方向へと切り取られた円のように動き回り、瞬く。美しい身体を持つ佐東利穂子はテーブルの影から現れ、シンプルな電球に照らされ、震えだす。彼女の振動が装置によって後ろの壁に大きくゆがめられながら投影される。その巨大な影は、鋭く、刺々しい表現にも見えるが、同時にそれは我々を魅了する、すばらしいダンスである。


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