60’sロンドン、モードの旗手の物語

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2022.12.11 UP

インタビュー

【インタビュー】中野香織さん(服飾史家・作家)

2022年11月26日(土)から始まったマリー・クワント展。
その展示パネルと図録の翻訳監修をしてくださった服飾史家で作家の中野香織さんに、マリー・クワントが社会に与えた影響についてうかがいました。

(ライター:木谷節子)

Q、中野さんは、マリー・クワントで卒論を書いたということだそうですが。



中野さん:はい。22歳の時に、東大の文学部を出た後、教養学部のイギリス科に学士入学しまして、そこでマリー・クワントについて論文を書きました。当時、教授陣の9割からはファッションなんて軽佻浮薄なものを大学でやるな、と言われたのですが、そう言われると書きたくなるじゃないですか。ところが資料がなくて困ってしまい、マリー・クワントご本人に手紙を書いたんですね。ロンドンのマリークワント社宛てに。そうしたら数週間後に彼女からの手紙と様々な資料が入った包みが送られてきまして……、それでなんとか論文を書き上げました。大学でも、私がファションで論文を書いた最初の学生になりました。


画像:1987年1月28日の日付け。当時のマリークワント社の広報、ルイーズ・バーネットは資料一式に加えて、クワントのことが書かれている参考文献のリストまで送ってくれた。
 

Q、そもそも、なぜマリー・クワントで論文を書こうと思ったのですか?

中野さん:ミニスカートで世界を変えるのはかっこいいな、と思ったんです。男性の革命家って、最初にマニフェストを出すなど理論から入るんですが、マリーは「スカート丈を短くすればいいじゃない」と言って、しれーっとスカートを切って、結果的に社会を変えました。それは痛快だな、楽しいな、と思って、もう少し深掘りしてみたいと思ったんです。

Q、マリー・クワントはファッションで女性を解放した、と言われています。でも、社会の規制や既存の制度と戦って権利を勝ち取った、という激しい感じはないですね。

中野さん:20世紀にファッションで女性を解放した代表的なデザイナーがココ・シャネルとマリー・クワントなのですが、2人とも「女性解放」なんて一言も言っていないんですよ。自分のやりたいことを楽しそうに貫いたら社会が変わったと、そこが面白いところです。マリー・クワントは「私が着たいものを着たい」「スウィングしているようなロンドンの街のヴァイブに乗って若さを楽しみたい」という気持ちから、自らハロッズで布地を買ってきて、身体を拘束しない、走ったり大股で歩いたりできる服を作りました。

それに合わせて、実は一番大事だったのがヘアスタイルだったと思います。当時はちょうどセクシャルレボリューションが進んでいた時代で、たとえば彼とお泊まりした時にスプレーでガチガチの髪型だと都合が悪いわけですよ。でもそれがサスーンカットみたいな髪だったら、洗ってバーッと渇かしてサマになるので夜遊びも可能。その延長で、マリー・クワントは、落ちないマスカラとか、シーツにつきにくい、崩れにくいメイク用品などを作りました。そうやって、自分のライフスタイルに合うようにファッションやアイテムを作っていったら、結果的に、人々の新しい考え方や行動を後押しすることになり、社会が変わってしまったということだと思います。

Q、夫のアレキサンダーは、ビジネス・パートナーでもありましたが、いつまでも恋人のような関係が素敵ですね。

中野さん:あのチームワークが最高ですよね。デザインをするマリーと、広報マーケティング担当の夫アレキサンダー・プランケット・グリーンのコンビネーションに、アーチー・マクネアという敏腕経営者が加わる。その黄金のトリオがきっちり役割分担をして、よいチームワークで仕事を進めたからこそブランドがあれほど成功したと思います。

Q、アレキサンダーは貴族階級出身ですね。彼が広報活動をする上で、上流階級に広く顔が利いたという他に、マリー・クワントにとってどんな効用があったのですか?

中野さん:まずマリー・クワントは両親が教師ですから、いわゆるミドル・クラス出身で労働倫理を大切にする人。それに対してアレキサンダーは貴族階級の出身なんですが、とにかく当時のイギリスの上流階級は働かない有閑階級なんです。というか、商売を「下」に見ているところがあります。アレキサンダーもビジネスを始めるときに親戚から「商いだけはやめてくれ」と懇願されています。自分の財産で、毎日どうやって楽しく遊び暮らそうか、どうやって人生の時間を有意義に過ごそうか、と考えている節も感じられるような人です。

Q、では、マリー・クワントとブティック「バザー」を開いたり、ブランドを作ったりしたのも、彼にとっては遊びみたいなところがあったということでしょうか?

中野さん:まさにそうですね。バザー開店にあたってアレキサンダーとアーチーがそれぞれ5000ポンドずつ出資していますが、最初は完全に、遊びの延長だったと思います。ショップのディスプレイも、鳥の剥製や巨大ロブスターのオブジェを置いたりして、シュールレアリズムのアートを作るように遊んでいますもんね。あとモデルも普通に立たせても面白くないので、あり得ないポーズをとらせたり。店名のバザールからしてビザール(一風変わった)を連想させますし。たぶん、マリーとアレキサンダーが、これじゃあつまらないよね、ああしよう、こうしよう、とワイワイ楽しくやっているうちに、いろんなアイデアがふくらんだのだと思います。

Q、とても余裕がありますね。

中野さん:それまでのファッションの流れというのは、まず上流階級の人が高いお金を出してオートクチュールの服を購入し、そのコピー版みたいなものをミドルクラスやワーキングクラスの人が買うというものでした。ところがマリー・クワントが出てくると、彼女がストリートの流行を汲み上げて作った安価な服にまずワーキングクラスの女性たちが飛びつき、それを侯爵夫人のような上流階級の人たちが同じレベルで追いかけるようになった。そういう、今までの「上から下へ」、ではなく、「下から上へ」というファッションの流れを作ったのも新しかったんです。ついでに流行の発信源もパリからロンドンに移してしまった。夫が貴族階級出身だったので、マリー・クワントもコンプレックスを抱く必要がなかったんですね。そこが強かったのだと思います。

Q、最後に、マリー・クワントが社会に与えた影響について教えてください。

中野さん:一番大きいのは、人々の社会に対する向き合い方を変えたことだと思います。それ以前でしたら、階級社会だから、とか、お母さんのように「リスペクタブルな」(世間から敬意を受けるにふさわしい上品な)生き方をしなければ、とか、いろんな枠があったのですが、「そんな必要はないんじゃない?」と、その枠を取り払ったというところではないでしょうか? 階級社会なんて全然関係ないし、自分がやりたいことを自由にやる、そういうスタンスを提示し、それに沿ったビジネスをして、結果的に社会全体が変わっていった。軽やかに革命を起こしたその社会史的な意義は絶大です。

ありがとうございました。


プロフィール
中野香織(なかの・かおり)/服飾史家として研究、執筆、講演。総合研究所 株式会社Kaori Nakano代表取締役として企業の顧問・アドバイザー。新聞、雑誌での連載多数。英国ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授などを務めた。著書に『「イノベーター」で読む アパレル全史』(日本実業出版社)、『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済10の講義』(安西洋之氏との共著、クロスメディアパブリッシング)ほか。2022年12月5日発売のムック本『英国王室とエリザベス女王の100年』では君塚直隆氏との共著として女王のファッションヒストリーを執筆。