ミニスカートブームを生んだ、革新的デザイナーマリー・クワントの仕事

1963年8月29日© Robert Young/ Mirrorpix
2022年に92歳となり、今もなおイギリスで最も親しまれるファッションデザイナーの一人、マリー・クワント。若い女性のための革新的なファッションを打ち出し、1960年代イギリス発の若者文化「スウィンギング・ロンドン」を牽引した、その軌跡をご紹介します。 西洋の伝統や階級文化に縛られた旧来的な価値観とは異なる、若々しさや躍動感にあふれるデザインを世に送り出したクワントは、ミニスカートやタイツなど、今日当たり前になっているアイテムを広く浸透させたことで知られます。衣服から化粧品、インテリアまでのライフスタイル全般に及んだ個性的なクリエーションもさることながら、量産化時代の波に乗った世界的なブランド展開や、自らファッションアイコンとなる広報戦略もメディアに注目され、時代を先導しました。 本展では、ヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)より来日する約100点の衣服を中心に、小物や写真資料、映像などで、1955年~75年にかけてのクワントのデザイナーとしての業績と、時代を切り開いた起業家としての歩みをたどります。
革新的なデザイン
クワントは25歳の若さで、若者向けブティック「バザー」を開店。自分自身が着たいと思うアイテムを自らデザインし販売したところ、爆発的な人気となりました。若者たちが主体的にストリート発の流行を作り出した「スウィンギング・ロンドン」の象徴として、ミニスカートやタイツなど、今では当たり前になっているアイテムを普及させたのはクワントの功績です。本展では、クワントが生み出した代表的なファッションアイテムから、その足跡をたどります。
ビジネスの先見性
伴侶であるアレキサンダー・プランケット・グリーンや実業家のアーチー・マクネアら有能なビジネスパートナーに支えられ、クワントはアメリカやオーストラリア、アジアに事業を拡大しました。ブランドロゴの先駆けとなるデイジーマークを商標登録し、現地企業に生産・販売を任せるライセンス契約を採用。より多くの女性が手に入れられる既製服として量産体制を確立しました。また、PVC(ポリ塩化ビニール)によるレインウェアやジャージー素材のドレスをヒットさせるなど、新素材を最大限に活用し、消費者の選択肢を広げました。本展ではクワントの起業家としての先見性を見て取ることができます。
新しい女性のロールモデル
女性の権利を求める活動が盛んになり始めた当時、クワントは新しい女性のあり方を示しました。大英帝国勲章受勲の時にも、自身が手掛けたジャージー素材のアイテムで式典に臨むなど、自らデザインした服を着て公の場に頻繁に登場し、それまでの女性像を一新しました。女性にはふさわしくないとされていたパンツやジーンズをラインナップに加え、男性用スーツや軍服で用いられる生地を女性のカジュアルウェアに仕立て、ジェンダーや階級意識などのステレオタイプに果敢に立ち向かったのです。このようなクワントの姿勢は、現代に通じる輝きを放っています。
バザー以前―ブランドの構築

Image courtesy of Mary Quant Archive / Victoria and Albert Museum, London
1930年、ロンドン近郊で教師の両親の元に生まれたマリー・クワントは、子どもの頃から大のファッション好きでした。ゴールドスミス・カレッジでは美術を学び、伴侶となるアレキサンダーにも出会います。卒業後は高級帽子店で働きますが、ほどなくして退職。1955年、ロンドンのチェルシー地区の目抜き通りキングス・ロードに、アレキサンダーらとブティック「バザー」を開きます。セレクトショップ的な立ち位置だった店も、約1年後にはクワントがデザインしたアイテムを大々的に販売するようになります。パリの高級注文服がファッションの中心だった時代、若者向けのアイテムが並ぶ「バザー」は瞬く間に大人気に。目を引くロゴ、奇抜なウィンドウディスプレイ、大音量のジャズがかかり、ジョン・レノンらスウィンギング・ロンドンの有名人もこぞって来店しました。 展示序盤は、クワントが生み出した初期のデザインと、バザーにまつわる資料などを紹介します。
〈バザー〉
デザイナーであるマリー・クワントを、夫のアレキサンダーと友人で実業家のアーチー・マクネアが、実務面で支える体制でスタート。ビジネスが世界規模になって以降もこの体制は続き、バザーは3号店まで展開しますが、ライセンスビジネスの拡大に伴い1969年までには全店が閉鎖されました。

Courtesy of Terence Pepper Collection. © John Cowan Archive


Photograph by John French © John French / Victoria and Albert Museum, London
「かつてファッションは
富裕層や上流階級だけのものだった。
今、流行しているのは街を歩く女の子たちが着る手ごろな価格のミニドレス。
言葉のアクセントや階級?関係ないわ、モッズ※だから」
※イギリスの若い労働者の間で1950~1960年代にかけて流行したスタイル。 細身のシルエットや中性的な装いなどが特徴。

© Victoria and Albert Museum, London

© John French / Victoria and Albert Museum, London

© John French / Victoria and Albert Museum, London

Photograph by John Cowan © John Cowan Archive
成功への扉
―ジンジャー・グループの立ち上げ
―ジンジャー・グループの立ち上げ

Image courtesy Mary Quant Archive / Victoria and Albert Museum, London
バザーを発信源としてマリー・クワントが生み出した若者のためのファッションは、海を越えアメリカでも評判になりました。1960年代にはアメリカ屈指の大手百貨店チェーン「J.C.ペニー」や大手衣料メーカーの「ピューリタン・ファッションズ」のオファーを受けて、既製服のデザインを提供。1デザインあたり数千点もが量産され、より多くの人々へ届けるための大量生産というクワントの構想が実現しました。一方、クワントは1963年、「ジンジャー・グループ」というそれまでよりも低価格で、若々しいラインを立ち上げます。流行色とはかけ離れたジンジャー(オレンジ・ブラウン)やマスタード・イエローなどの色彩と、トータルコーディネートのしやすさが特徴で、型破りなショーやファッション誌を通じて大々的に宣伝されました。
当時のアイテムや映像、資料などから、大量生産時代にいち早く反応し、アメリカなど各国へ広がっていったマリー・クワントのデザインをご紹介します。
〈ジンジャー・グループ〉
急進派や扇動活動を意味する政治用語にちなんで命名。イギリスの老舗メーカー「スタインバーグ&サンズ」が生産を担い、イギリス国内での75店舗のほか欧米やオーストラリアでも展開されました。

© Victoria and Albert Museum, London

Image courtesy Mary Quant Archive / Victoria and Albert Museum, London

© John French / Victoria and Albert Museum, London
「マリー・クワントは、伝統の壁に風穴を開けた。
そこから他の若い才能が流れ込んできた」
―アーネスト・カーター、1973年
グローバル化
―デイジーマークの商標登録
―デイジーマークの商標登録

© Victoria and Albert Museum, London
マリー・クワントはグローバル展開に際して、斬新なビジネス手法を次々と採用します。たとえば、ブランドの顔としての広報戦略。1966年に輸出振興の業績で大英帝国勲章を受けた時も、帽子から靴、ドレスに至るまで自らがデザインしたアイテムをまとい、世界中の新聞の一面で取り上げられました。同年にはデイジーマークを商標登録し、現在に至るまで生産・販売のライセンス契約の要となっています。
合成繊維など新しい素材も積極的に扱ったクワント。雨に濡れても平気なファッションというコンセプトで、1963年に発表したPVC(ポリ塩化ビニール)を使った「ウェット・コレクション」は大反響を巻き起こし、2年後には老舗の「アリゲーター・レインウェア」社と協業し新しいレインウェアシリーズを発表します。ウールのジャージー素材を使ったミニドレスやルームウェア、下着、そして化粧品など、デザインの対象はライフスタイル全般に及ぶようになります。
© Ronald Dumont/Daily Express/Hulton Archive/Getty Images
〈ヘアスタイル〉
1960年、クワントは初めてシンプルなショートボブに髪形を変えます。1964年には、カリスマスタイリストのヴィダル・サスーンが写真の「ファイブポイントカット」を手掛けるなど、ショートヘアはクワントの代名詞となりました。「ファッションは軽薄ではないわ。
今この瞬間の人生の一部」
―マリー・クワント、1966年

© Victoria and Albert Museum, London

© Victoria and Albert Museum, London

Photograph by John French © John French / Victoria and Albert Museum, London

© Victoria and Albert Museum, London

Image courtesy of The Advertising Archives
ファッションの解放
―ファッションをすべての人に
―ファッションをすべての人に
マリー・クワントは、旧態依然とした性別の役割や社会階層にとらわれない、若い女性のためのデザインの発信に情熱を注ぎます。その普及に最も貢献したとされるミニスカートはもちろん、紳士服や軍服、スポーツウェア、女児のスモックや遊び着にインスピレーションを得てデザインされた衣服は、そうした信念に基づいています。1960年代後半のデザインは、あどけなさとユニセックス性が追求され、宣伝にツイッギーら中性的なモデルを起用したことでも話題となり、大ヒットしました。玩具メーカーの依頼で1973年に発表した着せ替えできる「デイジー人形」でも、同様に自由なデザインが採用されています。
上質で手頃な価格という切り口から、社会と向きあう新しい姿勢やライフスタイルを主張することのできる、メディアとしての位置づけをファッションに与えたクワント。現代に続く価値観を生み出したパイオニア、その卓越した起業家デザイナーの業績を浮き彫りにします。

© Photograph Terence Donovan, courtesy Terence Donovan Archive. The Sunday Times, 23 October 1966

© Victoria and Albert Museum, London
〈ミニスカート〉
マリー・クワントの膝丈スタイルが最初にメディアに登場したのは1960年。女学生のエプロンドレス(ピナフォア)をベースに、丈を徐々に膝上まで上げて大人向けにしました。1965年、競馬のメルボルン・カップでのイギリス人モデル、ジーン・シュリンプトンのミニスカート姿が世界中の新聞に掲載されたことでミニはファッションとして広く受け入れられ、ロンドンの若者スタイルと女性解放の象徴となりました。
「昔ながらのファッションはもう終わり。
いまはみんな着たいものを着ている」
―マリー・クワント、1967年

Image courtesy Mary Quant Archive / Victoria and Albert Museum, London

© Victoria and Albert Museum, London

Photo Duffy © Duffy Archive

Image courtesy Mary Quant Archive / Victoria and Albert Museum, London
マリー・クワント年表
- 1930年
- ロンドン近郊に、教師の両親のもとに生まれる
- 1949年
- ゴールドスミス・カレッジに入学、美術などを学ぶ。卒業後は高級帽子店に勤務
- 1955年
- ブティック「バザー」を開店
それまで主流だったエレガントな服装とは異なる若者向けのアイテムが人気を博す - 1957年
- アレキサンダー・プランケット・グリーンと結婚
- 1958年
- バザー2号店開店
- 1962年
- ビートルズがデビュー。着用していた細身のスーツなどに代表されるモッズ・スタイルが人気に。
モッズへの対抗勢力として、ロッカーズ・スタイルも流行した - 1963年
- 手頃な価格の「ジンジャー・グループ」ラインと、
PVCを使った「ウェット・コレクション」を発表 - 1965年
- 下着ブランド「ユースライン」を発表
- 1966年
- 大英帝国勲章(OBE)受章。コスメラインを発表。デイジーマークを商標登録。
モデルとして起用したツイッギーの中性的でスキニーなスタイルが人気に - 1967年
- 米国で大規模なカウンターカルチャーの集会「サマー・オブ・ラブ」が展開。
ヒッピー・スタイルが世界中を席巻 - 1968年
- イブ・サンローランが女性のパンツスーツを発表し話題になる
- 1970年
- インテリアラインを発表
- 1971年
- 日本でコスメラインの発売開始
- 1975年
- ジンジャー・グループラインを終了させ、国際的なライセンス業務に専念
- 2015年
- 2度目の大英帝国勲章(DBE)受章



