2024.09.14 UP
【展覧会情報】
渋谷区立松濤美術館 『空の発見』
渋谷区松濤にある渋谷区立松濤美術館。ただいま開催中の展覧会をご紹介いたします。
■空の発見
私たちが毎日見ている「空」。現代では誰もが共通のイメージを描けるあたりまえの存在に思われます。ところが日本の美術のなかでは、近世になるまで「空」を現実的に描こうとする意識は希薄でした。障屛画では黄金地や金雲などがこの空間を占め、水墨画では余白のような位置づけである時もあります。もとより「空」(そら)は(くう)とも読めるように、神の世界である「天」でも、人間のいる「地」でもない、曖昧な場所でした。
近世になると、西洋絵画などの影響をうけ、洋風画や泥絵、浮世絵などに青空が広がりだします。なかでも江戸時代、たびたび青空を描いた画家の司馬江漢(1747-1818年)が、蘭学から地動説を学び、科学的な空間認識を持っていたことは、「空」への意識の変化を考えるうえで示唆的です。一方で、浮世絵のなかの典型的な空の表現“一文字ぼかし”のように、その表現は形式的、概念的なものであることもありました。
明治以降、本格的な西洋画教育や、科学的な気象観測の導入をうけ、刻々と変化する雲や陽光を写しとろうとする画家たちが登場します。ところが次世代には、表現主義やシュルレアリスムなどの新潮流の影響のなか、自らの心象をこの空間に托すように多様で個性的な「空」を描く画家たちが続くのです。
そもそも、私たちの視点はふだん地上に向けられ、絵の中で「空」が主役となることは稀です。地上で震災や戦災が起こり、人間の活動がなぎ払われたとき、廃墟上に広がる空、戦地で見上げた空などが、突如重い存在感を持ちだします。目の前にありつつも意識されなかった空間が大きく浮かびあがる様は、認知の不確かさを物語ります。
現代、かつては従属的であった「空」を中心に据えることで、表現に活路を見出すアーティストたちも現れました。見えているけど、見えていない。本展は、こうした「空」の表現の変遷を通じて、そこに映し込まれる私たちの意識の揺らぎを浮かび上がらせようとするものです。
小林正人 《絵画=空》 1985-86(昭和60-61)年 東京国立近代美術館
【 展覧会構成 】
1章 日本美術に空はあったのか?-青空の輸入
太古からずっとそこにある「空」。同じものを見つめているはずなのに、伝統的な日本の美術のなかに見いだすその姿は、現代、私たちがすぐに思い描くイメージとは、やや様子が異なります。
《京都名所図屏風》などの障屛画にたびたび登場し、どこを漂っているのか判然としない「金雲」や「すやり霞」。狩野探幽の水墨画のように文字を書き込める「余白」も兼ねる空のスペース。かたや現代の定型表現「青空と白雲」は近世になるまであまり描かれませんでした。やがて洋風画や泥絵、浮世絵など西洋の影響を受けた絵を中心に、青空が広がりはじめます。本章では、こうした日本の美術のなかの多様な空の表現を紹介します。
松川龍椿 《京都名所図屏風》(左隻) 江戸時代後期 国立歴史民俗博物館 [右隻・左隻の展示替えあり]
葛飾北斎 《富嶽三十六景 山下白雨》 江戸時代 埼玉県立歴史と民俗の博物館 [後期展示]
2章 開いた窓から空を見る-西洋美術における空の表現
窓から外を眺めるような写実性が目指されてきた西洋美術の中では、空を「リアル」に描くことも追及されていきます。やがて刻々と移り変わる大気をも写しとるような「風景画」で名を成すイギリスのコンスタブルなどの画家も登場します。本章では英国のコンスタブルやフランスのブーダンなど「空の名手」の作品を中心に、西洋美術と日本美術の視点を比較します。
3章 近代日本にはさまざまな空が広がる
近代の日本では、油彩画などの写実的な絵画技法を学ぶ画家らがいる一方、横山大観など日本画家のなかでも変革への試みが行われます。英国美術の影響を受け、雲の観察を重ねた武内鶴之助や、独自の迫真性を追求し夏空を描いた岸田劉生がいます。しかし、表現主義、シュルレアリスムなど様々な新潮流が日本に流れ込むなかで、若き日の自画像に、緑とオレンジの雲を描き込んだ萬鉄五郎など、空はいつしか画家の心象や夢想を自由に表出する場へと変貌していきます。本章では近代日本のさまざまな空模様を追います。
岸田劉生 《窓外夏景》 1921(大正10)年 茨城県近代美術館
萬鉄五郎 《雲のある自画像》 1912(明治45)年 (公財)大原芸術財団 大原美術館
4章 宇宙への意識、夜空を見上げる
私たちはいつから、あの空の向こうに多くの天体がある別の世界が存在することを知るようになったのでしょうか。葛飾北斎の『富嶽百景』には天体観測の様子が描かれており、江戸時代には徐々に「宇宙」の認識が広まりつつありました。それは絵の中で「空」の表現が拡大していく時期とも不思議と重なります。本章ではこの他に明暗表現の意識が乏しかった日本美術の中で、迫真的な「闇」を描き出した近代の高橋由一の作品なども紹介します。
高橋由一 《中洲月夜の図》 1878 (明治11)年 宇都宮美術館
5章 カタストロフィーと空の発見
そもそも絵のなかの視点はいつもは地上に向けられ、空そのものに焦点があたることは少ないです。翻って空がクローズアップされるとき、それは地上で異変が起こったサインでもありました。
1923(大正12)年の関東大震災時、東京に駆けつけた池田遙邨(ようそん)はその体験をもとに禍々しい大空が広がる《災禍の跡》を描きますが、日本美術界ではあまりに異質な表現として当時は受入れられませんでした。
第二次大戦時の出征時の思いを、香月泰男は穴底から見上げた空として象徴的に表現しました。写真家だった濱谷浩は、終戦の日にただひっそりと太陽を撮影し、現代の米田知子の写真では、過去の悲惨な記憶を想像するよすがの空間として今の青空があります。
本章ではカタストロフィーによって露わになるもうひとつの空の姿を追います。
池田遙邨 《災禍の跡》 1924(大正13)年 倉敷市立美術館
米田知子 《道―サイパン島在留邦人玉砕があった崖に続く道》 2003(平成15)年 東京都写真美術館
6章 私たちはこの空間に何をみるのか?
現代、かつては背景や脇役に過ぎなかった空を主役に据えることで、見ることや認識の仕組み、あるいはアート自体を揺さぶろうとするアーティストたちが登場しています。
一瞬一瞬で移り変わる雲を、概念の姿のように抽出してみせる小林孝亘。他方AKI INOMATAは、最新のデジタル技術によってその一瞬をとらえ、雲を飲むという行為で肉体の記憶として固定しようと挑みました。
空を度々主題とする阪本トクロウは、自らの作品の中心は「空洞」と述べ、意味性を追求する現代美術へのアンチテーゼを提起します。一方、小林正人の《絵画=空》の大画面は、絵画という枠を超え、空間として私たちを包みます。本章では様々に空と向き合う現代のアーティストたちを紹介します。
小林孝亘 《Cloud》 1998 (平成10)年 群馬県立近代美術館寄託
AKI INOMATA 《昨日の空を思い出す》 2022(令和4)年 作家蔵
※参考図版 Photo: Hayato Wakabayashi
★会期中はイベント多数!
詳細は渋谷区立松濤美術館ホームページをご覧ください
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開催期間:2024年9月14日(土)~11月10日(日) ※会期中、一部展示替えあり
[前期]9月14日(土)~10月14日(月・祝)
[後期]10月16日(水)~11月10日(日)
開館時間:10:00~18:00(入館受付は17:30まで)
※金曜は10:00~20:00(入館受付は19:30まで)
休館日:月曜日(9月16日、9月23日、10月14日、11月4日は開館)、9月17日(火)、9月24日(火)、10月15日(火)、11月5日(火)
会 場:渋谷区立松濤美術館
京王井の頭線 神泉駅 下車徒歩5分
JR・東京メトロ・東急電鉄 渋谷駅 下車徒歩15分
〒150-0046 東京都渋谷区松濤2-14-14
https://shoto-museum.jp/access/
TEL: 03-3465-9421
※MY Bunkamuraでの本展覧会チケットのお取り扱いはございません
チケットの詳細は渋谷区立松濤美術館ホームページをご覧ください
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主 催:渋谷区立松濤美術館