見どころ

一人の女性として、また、全ての女性の代表として"カルメン"を演じる

ご存じ<カルメン>は、奔放な女性カルメンと、彼女に翻弄されるホセの愛憎劇。十九世紀半ば、セビリアを舞台にフランス人作家プロスペル・メリメが書いた『カルメン』は、オペラやバレエ作品として有名だが、フラメンコでも、一九八三年にアントニオ・ガデスが映画監督カルロス・サウラと共に映画、舞台課して世界的ヒットを飛ばした。それ以来、多くのフラメンコ舞踊家がこの作品に挑戦している。
今回のマリアの最新作「Yo, Carmen―私が、カルメン―」は、数々の舞踊家が試みたアプローチとは異なる。異なるというよりも、それら既成の<カルメン>像を"舞踊"という言葉を使い、強烈に覆す、まったく新しい<カルメン>だ!!
現代に生きる私たちが抱く<カルメン>像は、「作家・メリメという男性によって作り出された"想像"の産物だ」と言うマリア・パヘス。
この作品は言わば、私たちが持つカルメン像へのアンチテーゼだ。時にはユーモアも交え、雄弁に語られるマリアの女性像は、すべての女性を勇気づけてくれる!!

今までのカルメンとの違い

「本当のカルメンは、メリメの描くそれじゃない、私たちなのよ」

フランス人作家プロスペル・メリメが描いたスペイン女性カルメンは、男を翻弄するファムファタルの代名詞。そのおかげで、今でもスペイン女性のイメージを「カルメン」にだぶらせる人は多い。

「でもそれ以上に、女性をそんなステレオタイプに押し込むことに、私は納得いかなかったの。しかも、カルメンは最後、嫉妬に狂ったホセにその命を奪われる。いや、命じゃない。彼が奪ったのは、彼女の自由だったのよ」

学ぶ自由、選ぶ自由、思う通りに生きる自由。それはいつも、男性の手の中で弄ばれてきた。それを思うと、パヘスは居ても立ってもいられなかった。

「『私が、カルメン』にストーリーはないわ。私は、男性の想像の産物としての女性ではなく、本当の女性の姿を、自分たちの言葉で語りたかったのよ」

「ラ・パラブラ(言葉)」と題したシーンでは、パヘス自身の言葉や与謝野晶子の詩など、様々な女性の心が舞台に響く。

掃除や洗濯に明け暮れる主婦たちの日常を軽やかに舞い、「飾りなんか、捨てちゃえ!」と、大胆不敵な宣言をする女性たちのマーチはコミカルに。作中で唯一、男性が踊る「アモール」では、一瞬の男臭さにくらりとする。

そして一番の見所は『カルメン』の有名な抱擁の場面を描いた「ミト・ロト」でのパヘスのソロ。着飾り、男性の前で妖艶に踊る「カルメン」は、ため息ものの美しさ。しかし彼女はやがて飾りを剥ぎ、一人になって、本当の自分にたどり着く。そして魂をさらけ出し、踊られる一番は圧巻の一言。マリア・パヘスの美が凝縮されたクライマックスだ。

自分を持ち、強く、美しい。それが、新しい時代の「カルメン」なのだ。

ミュージシャンによる生演奏

オペラ『カルメン』で有名なジョルジュ・ビゼーの楽曲を要所要所に散りばめ、エキゾチックな雰囲気をかもし出しながら、フラメンコの楽曲でより深く心情を映し出していく。

チェマ・ウリアルテが刻む正確無比なパーカッションに乗って、ルーベン・レバニエゴスとホセ・カリージョが奏でるフラメンコギターは、最高のテクニックで、古典とは一味違った現代的なフラメンコを奏でる。そこに、セルヒオ・メネンのチェロとダビス・モニスのバイオリンが加わり、音にさらに奥行きが加わる。

闘牛士の舞とされるフラメンコの曲種ファルーカ、生きる喜びを歌うアレグリアス、コミカルなタンギージョ、そして、フラメンコの大地を感じさせるソレア……。音楽家たちは舞台奥の幕に隠れ、客席からはその影しか見えないが、存在感のある音たちは、飾り気の無いシンプルな舞台に様々な情景を映し出す。そして、アナ・ラモンとロレト・デ・ディエゴの声は、女性たちの魂の舞と共に観客の心を震わせる。

フラメンコでしか味わえない、感動的な音と心のハーモニーを、ぜひ堪能して欲しい。