コラム

マリア・パヘスほど、ポジティブな人はいない。

そして勤勉で、日本人も顔負けのど根性。スペイン人と言うと、ともすれば怠慢なイメージがあるかも知れないが、マリアに会えばそんなステレオタイプは吹っ飛んでいく。

笑顔で「文句を言うのは時間のムダ」と言いながら、その何物にも縛られない超前向きな不屈の精神で、スペインの伝統芸能であるフラメンコの新しい可能性を追求する。柳のようにしなる美しい身体、優雅に舞う黄金の腕で、彼女は古い、凝り固まった概念を壊し続けるのだ。

スペイン南部のアンダルシア州はフラメンコ発祥の地とされ、特にセビリアは「フラメンコのゆりかご」と呼ばれ、多くの名アーティストが生まれ育った場所。だからそのど真ん中、トリアナ地区に生まれたマリア・パヘスがフラメンコ舞踊家になったのは、彼女が言うところの、「運命」だったのだ。

十五歳のときアントニオ・ガデス舞踊団に入団し、プロ活動を開始。二十世紀の巨匠の横で、彼女のアートは少しずつ開花して行く。その後、数々の舞踊団で活躍し、一九九〇年二十七歳のとき、満を持して自身の舞踊団を旗揚げ。彼女の果てしない挑戦が始まった。

「私はアーティストである自分と、一個人である自分を、分けることができないの。何をしても、その時の情景や感情を、どうやったら舞台で再現できるかって考えてしまうのよ(笑)。子供の頃からずっと踊り一筋だった。でも、辛いなんて感じたことはない。好きなことが出来る人生を送れることに感謝しているわ」

転機となったのは三作目『デ・ラ・ルナ・アル・ビエント』(94)。彼女はこの作品の中で、クラシック音楽を使ってフラメンコを踊り、観客を驚かせた。ここから、既存の概念を打ち破るパヘス・ワールドがスタートする。そして名作『フラメンコ・リパブリック』(01)で、ジャズ、ロック、歌謡曲、CMソングなど、あらゆる音楽の垣根を超えたフラメンコのエンターテイメントを打ちたてた。

保守的な伝統主義者から来る、「フラメンコのアバンギャルド」への風当たりは已然として強かったが、彼女はつき進み、フラメンコの常識は彼女と共に、少しずつ変わっていく。そして二〇〇六年の『セビージャ』で、マリア・パヘスの世界は見事に完成された。

しかし彼女は、賞賛の嵐の中で、唐突に、これまでの自分に終止符を打つ。そしてそれは第二の幕開けでもあった。

二〇〇七年、ミヒャエル・バリシニコフ主催のBACバレエ団(バリシニコフ・アーツ・センター)への客演でニューヨークに滞在し、自分を見つめる時間を持ったことが、そのきっかけだったと言う。

これまでは、ただ懸命に走ってきた。けれどもう四〇代半ば。彼女は当時を振り返り、こう語った事がある。

「自分とは何か。何処から来て、これから何処へ行くのか。それが知りたかった」

そうして彼女の創造は少しずつ、自身の魂の奥に、その根源を探し始めた。舞台は、心の機微を表現する、より繊細な空間に変貌した。そして、多種多彩だった音楽も、フラメンコに凝縮されるようになった。

「この変化には、ちょうどあの頃、今のパートナーと出会ったことも影響していると思う。彼は私をわかってくれ、共に歩いてくれる。私と一緒にいるのは大変だと思うけど(笑)、私を勇気付け、後押しをしてくれる。だから彼に負う所は大きいわ。
 それから、自分自身が成熟したこともあると思う。新作『Yo, Carmen ―私が、カルメン』は、成熟し、経験し、自分に自信を持つことが出来る今だからこそ、作ることが出来た。昔は無理だったわ。今までの人生があったからこそ、この作品を、自分自身の声で訴えることができるのよ」

二〇〇八年の『アウトレトラト』で自分を見つめ始め、建築家ニーメイヤーの世界観に影響を受けた『UTOPIA―ユートピア』(11)では、人々と共に歩く自分を描いた。そして新作『Yo, Carmen―私が、カルメン』では、一人の女性として、また、全ての女性の代表として、そのあり方を訴える。

奔放な女性カルメンと、彼女に翻弄されるホセの愛憎劇。一九世紀半ば、セビリアを舞台にフランス人作家プロスペル・メリメが書いた『カルメン』は、オペラやバレエ作品として有名だが、フラメンコでも、一九八三年にアントニオ・ガデスが映画監督カルロス・サウラと共に映画、舞台化して世界的ヒットを飛ばした。それ以来、数々のフラメンコ舞踊家がこの作品に挑戦している。

パヘスの新作『Yo, Carmen―私が、カルメン』も、メリメの『カルメン』から題材を得ているが、他の舞踊家とはまったく違うアプローチを試みた。原作のストーリーはあえて追わない。そして彼女はここでも、凝り固まったステレオタイプを崩す。

「私は、メリメの描く〈カルメン〉像に納得できないの。あれは彼の、男のの目で見た想像の産物なのよ」

これは言わば、私達が持つ「カルメン像」へのアンチテーゼだ。そして時にユーモアも交え、雄弁に語られるパヘスの女性像は、すべての女性を勇気付けてくれる。

自分が納得できないものには異論を唱えずにはいられない。けれどそれは決して攻撃的な感情からではなく、「一人の人間としての義務」なのだと彼女は言う。人前で何かを表現できる立場だからこそ、ただ綺麗に踊って、人を楽しませるだけで終わりたくない。これも以前の作品には無かった側面だ。

マリア・パヘスはこれからも、前を見て、胸を張って、歩いていくだろう。大輪の笑顔を浮かべながら。