アグネス・バルツァ“わが故郷ギリシャの歌”
©CHRISTIANA BAUMANN
帝王カラヤン時代から今日に至るまで世界最高のメゾ・ソプラノ歌手として君臨するアグネス・バルツァが、故郷ギリシャの歌を母国語で歌う。魅力的なフォークの宝庫であるギリシャの歌は、バルツァにとって忘れがたいものであり、同時にギリシャ人であることを誇りにしている彼女の心の糧でもある。2004年アテネ・オリンピックの記念すべき年に、バルツァが長年あたためてきた、とっておきの企画が遂に実現する。

【 演奏曲目 】(ギリシャ語/日本語字幕付き)
フリンダが踊っていたとき(*オーケストラのみ)
 作曲:スタヴロス・クサルハコス
 OTAN HOREVE I FRINTA 
ぼくたちにだって、いい日がくるさ
 作曲:スタヴロス・クサルハコス 作詞:ニコス・ガツォス
 ASPRI MERA 
汽車は8時に発つ
 作曲:ミキス・テオドラキス 作詞:マノス・エレフテリウ
 TO TRENO FEVGI STIS OKTO
夜汽車は恋人を乗せて
 作曲:スタヴロス・クサルハコス 作詞:ヴァンゲリス・グーファス
 TA TRENA POU FIGAN 
夢の道
 作詞・作曲:マノス・ハジダキス 編曲:クサルハコス
 ODOS ONIRON
"我が故郷ギリシャの歌"公演風景
古い情熱のノクターン(*オーケストラのみ)  作曲:スタヴロス・クサルハコス  NYHTERINO PALIOU PATHOUS 
オットーが国王だった頃  作曲:スタヴロス・クサルハコス 作詞:ニコス・ガツォス  STOU OTHONA TA HRONIA 
月は失われた 作曲:スタヴロス・クサルハコス 作詞:ヴァシリス・グーファス  HATHIKE TO FEGARI 
わが心の王女 作詞・作曲:ヴァシリス・ツィツァニス 編曲:クサルハコス  ARHONTISSA 
子ガニたち  作詞・作曲:ヴァシリス・ツィツァニス  TA KAVOURAKIA 
作曲家は川を渡る(*オーケストラのみ)  作曲:スタヴロス・クサルハコス  O SINTHETIS TAXIDEVI STO POTAMI 
パシャの部屋で  作曲:ヴァシリス・ツィツァニス 作詞:ミノス・マツァス  MES' TON ONTA ENOS PASSA 
若い郵便屋さん  作詞・作曲:マノス・ハジダキス 編曲:クサルハコス  O TAHYDROMOS PETHANE 
バスターミナルにて  作曲:スタヴロス・クサルハコス 作詞:ニコス・ガツォス  TO PRAKTORIO 
三人の友の影で(*オーケストラのみ)  作曲:スタヴロス・クサルハコス  STIS SKIES TRION FILON 
ヴァルカローラ(舟歌)  作曲:スタヴロス・クサルハコス 作詞:ヴァンゲリス・グーファス  VARKAROLA 
月へ散歩に出かけよう  作曲:マノス・ハジダキス  作詞:ノティス・ペルヤリス PAME MIA VOLTA STO FEGGARI
今そして永遠に  作曲:スタヴロス・クサルハコス  NYN KE AI 

あなたが知らないギリシャが、ここにある。
〜「歌の国」ギリシャから、国民的2大作曲家テオドラキスとハジダキスの歌謡を。〜
ギリシャのシンボル、アクロポリスの丘
ギリシャは「歌の国」である。先頃もゼッフィレッリ監督の映画で話題になったマリア・カラスをはじめ、来日経験もあるハリス・アレクシーウ、眼鏡がトレードマークのナナ・ムスクーリなど分野を問わず優れた歌手を多く輩出している。もちろん、アグネス・バルツァもその一人である。そんなギリシャの国民的な2人の作曲家ミキス・テオドラキスとマノス・ハジダキスは、第2次世界大戦以後、それまでインテリ層が価値を認めなかったレベティカと呼ばれる大衆音楽に目を向け、民衆の生活に根ざした詞をブズーキに代表される民族楽器で歌い上げた。ギリシャ音楽のルネサンスとも言われる彼らの活動は、国民から圧倒的な支持を得た。
映画「その男ゾルバ」(アンソニー・クイン主演)の音楽でも知られるテオドラキスは、1954年パリ音楽院に入学して作曲を学び、59年帰国後革新的な音楽活動を展開、軍事政権下においても音楽による抵抗運動を続け、67年投獄され作品の演奏も禁止されたが、世界中の作曲家から支援され解放された。国民から熱狂的に支持されるテオドラキスの名作中の名作『汽車は8時に発つ』は、兵役についてカテリーニの町へ汽車で旅発つ若者をうたった悲しい歌。

『汽車は8時に発つ』
汽車はいつも8時に発つ
カテリーニに向かう旅路へと
11月はもう残り少ないから
あなたをきっと忘れてしまうでしょう
・・・
あなたは今カテリーニで監視の役についている
朝霧の中、5時から8時まで
いっそあなたの心の中のナイフになってしまいたい
あなたはカテリーニで監視の役についている

          (作詞:マノス・エレフセリーウ 訳:山口大介)

ヘロド・アティコス音楽堂
作家の五木寛之氏は、バルツァの歌うこの曲を聞き、自身で日本語歌詞まで作ってしまうほど影響を受けた。「家に帰って、家人が買ってきたアグネスのCDを聴く。ギリシャ系の彼女がギリシャの歌をうたって素敵なのは当然だろうが、その中でも歌謡曲のすきな私は、『汽車は8時に発つ』という歌がことに気に入って、目下いい日本語の訳詞がつかないだろうかと、あれこれひまな折りに言葉をいじりまわしているところ。」(五木寛之「流されゆく日々(抄)」)
映画「日曜はダメよ」(メリナ・メルクーリ主演)の音楽で有名なハジダキスは、ほとんど独学で作曲を身につけ、特に歌曲によって知られており、ギリシャのポピュラー・ソングの復興にも努めた。ナナ・ムスクーリによって日本にもよく知られている。『若い郵便屋さん』も、亡くなった若者を愛する女性の心情をうたったもの 。

『若い郵便屋さん』
彼は17歳の子供だった
今はすでに亡くなってしまったけれど
ああ恋人よ、誰があなたに
私の手紙を届けてくれるのか
・・・
郵便屋さんは
たったの17歳で亡くなった
彼こそが私の愛する人だったのに

・・・
          (作詞:マノス・ハジダキス 訳:山口大介)

真っ青な空と海、白亜の古代遺跡というイメージのギリシャだが、波瀾に富んだ近現代史は日本人にはあまり知られていない。第2次大戦後を見ても、45年内戦勃発、67年からのパパドプーロス大佐の軍事独裁政権など親兄弟が血で血を洗うような時代が30年前まで続いていた。今回バルツァがうたう歌の背景には、このような複雑なギリシャの歴史、政治的状況が大きく反映されている。コンサートを通して、少しでもこうしたバックグラウンドを知ることが、ギリシャの今を知り、今後の日本との交流をする上で重要なことである 。

写真提供:ギリシャ政府観光局

ギリシャの「アグネス」とオペラの「バルツァ」を聴こう!
黒田恭一
©CHRISTIANA BAUMANN
 アグネス・バルツァは、1975年に、ザルツブルグのイースター音楽祭で、カラヤンの指揮するベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」の独唱者をつとめたのをきっかけに世界的な規模での活動を本格的なものとした。そのときのバルツァはクリスタ・ルートヴィッヒの代役でうたった。公式にはルートヴィッヒ急病のためという発表だったが、急病のはずのルートヴィッヒはぼくの前の席で公演をきいていた。そのことからも、バルツァの起用はカラヤンによる確信犯的な配慮のためと思われた。
 それから後、マダム・バルツァは、長年、オペラ界の第一線でディーヴァとして、まさに八面六臂の活躍をみせてきた。ときに、ご存知カルメンを表情ゆたかに演じてドン・ホセのみならず、聴衆をも魅了し、ときに、「アイーダ」のアムネリスのようなドラマティックな役柄で持前の劇的な表現力を思う存分発揮して、オペラ・ファンを唸らせてきた。しかし、オペラ歌手としての軸足がロッシーニのオペラのヒロインにあったことは、オペラ好きなら誰だって知っていた。
 「アルジェのイタリア女」のイザベッラは「セビリャの理髪師」のロジーナとともに、バルツァの十八番中の十八番である。ロッシーニのオペラ・ブッファのヒロインをうたって、真に魅力的な女を感じさせてくれるところにロッシーニうたいとしてのバルツァの真骨頂がある。まさか、あの名演出の誉れ高いジャン=ピエール・ポネルの「アルジェのイタリア女」の舞台でバルツァのうたうイザベッラがきけるとは思ってもいなかった。これは、オペラ好きの端くれとして、どんなことがあってもききのがせないと思い、しっかり手帖に公演日を書きこんだ。
 まさか、なまできけるとは思わず、喜び一入ということでは、鶴首してきける日を待っていた「わが故郷ギリシャの歌」のコンサートも同じである。「アルジェのイタリア女」のイザベッラできくのがオペラ界に君臨するディーヴァ、バルツァなら、同胞の、名手をそろえた楽団とともにうたわれる「わが故郷ギリシャの歌」できくのは素顔の、恋に泣くアグネスである。ギリシャ女アグネスがテオドラキスやハジダキスの作曲した憂いの影の濃い歌を表情ゆたかにうたって思いを吐露したCDアルバムは、声好きたちの間で長いこと、ひそかに愛聴されてきた隠れた名盤である。その名盤の歌唱が、コンサートできける!これぞ、まさに千載一遇のチャンスというべきである。



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