フランダースの光 ベルギーの美しき村を描いて

エミール・クラウス《刈草干し》1896年 油彩・キャンヴァス 個人蔵

2010年9月4日(土)−10月24日(日)

Bunkamura ザ・ミュージアム

主な作品紹介

第一章 〜精神的なものを追い求めて〜

中世から文化が栄えた古都ゲントにも、19世紀には産業革命の波が押し寄せます。そこに住む若い芸術家たちは、祖先が生み出した古の芸術の純粋で素朴なものに憧れ、産業化と都市のブルジョワ文化に反旗を翻し、理想郷を求めることとなります。彼らがその思いを実行に移すにあたっては、彫刻家ジョルジュ・ミンヌが火付け役となりました。既に国際的な評価を得ていたミンヌは、1899年からラーテム村に移り住み、制作に没頭します。その作品は、無駄なものをそぎ落とした人物像の中に極めて深い精神性を獲得したものでした。

これをきっかけに、ミンヌと、以前からの住人だった画家のアルベイン・ヴァン・デン・アベールに加え、ヴァレリウス・ド・サードレール、ギュスターヴ・ヴァン・ド・ウーステイヌ等がこの地に住みます。もっとも彼らが来た動機は必ずしもそこに田園のモチーフを求めたからではなく、むしろ都会から逃れることが第一でした。しかしながらこの美しい村は、否が応にも彼らの心を捉えることとなります。ヴァン・デン・アベールは単調な森の描写の中に東洋的な無の境地に通じるものを見出し、ド・サードレールは、四季を通じて大地の肖像とも言うべき何気ない風景を描きとめることで、純粋なものを求める自らの心をそこに投影しました。一方、画家のヴァン・ド・ウーステイヌは、素朴な村人とその生活を描きます。その深い洞察は、人間の内面的な孤独や葛藤を、見事に描き出しています。これらの作品はどれも、象徴主義とよばれる傾向を示すもので、19世紀末から20世紀初頭にかけての時代の精神を表す大きな潮流の一つでした。

第二章 〜移ろいゆく光を追い求めて〜

1905年からは素朴な田園地帯の美しさをストレートに表現するフランダースの印象主義の画家たちが移り住んできました。この時代、フランスでは印象主義や点描画法はすでに最盛期を過ぎていましたが、ベルギーでは20世紀になってからも、光の探究は多くの画家たちの心を捉え、かび臭く時代遅れと考えられたアカデミックな美術に対するアンチテーゼとして、才能ある画家の個性が発揮されました。
 その先駆となったのが画家エミール・クラウスです。正確にはラーテム村に隣接するくレイエ川沿いのアステーヌ村に1883年から生涯住みつづけたクラウスは、この一帯の自然と人々の素朴な暮らしを、印象主義の手法でみずみずしく描き出し、その光あふれる作風はリュミニスム(光輝主義)とも呼ばれました。しかし素早い筆のタッチで描かれながらも、作品はフランダースの伝統である堅固な造形性に裏付けられています。

 新たに移り住む第二のグループは、既にゲントで互いに交流のあった画家たちでした。若い画家たちには、自然と直に接することができるという点と共に、安価でしかも自由な生活ができるというのも魅力でした。
 クラウス同様、ギュスターヴ・ド・スメットとレオン・ド・スメットの兄弟、コンスタン・ペルメーク、フリッツ・ヴァン・デン・ベルグ等は、レイエ川が織り成す情景を好んで主題に取り上げました。またブルジョワ的な生活を嫌った第一世代とは異なり、裸婦や美しい室内、庭の様子も描かれました。実際、両世代にはあまり交流はありませんでした。

日本人の画家

レイエ川のほとりに建てられたエミール・クラウスの家は、陽光荘(ゾンヌスヘイン)と名づけられ、近隣に住む芸術家たちの溜まり場となっていました。その中には二人の日本人画家の姿がありました。一人は太田喜二郎で、1908年にベルギーに渡りゲントの美術アカデミーに入学し、それを追うかたちで児島虎次郎が太田からの勧めでゲントに行き、共にエミール・クラウスに教えを請うことになったのです。数年の滞在を通じて、クラウスに似た明るい光溢れる作品を制作し、本展にはシント・マルテンス・ラーテムに取材した二人の作品が加えられています。

第三章 〜新たな造形を追い求めて〜

第一次世界大戦を経て、シント・マルテンス・ラーテムの次のグループを形成するのは、かつて印象主義の手法で制作していた第二世代の芸術家たちです。戦争中この地を離れていたギュスターヴ・ド・スメット、フリッツ・ヴァン・デ・ベルグ、コンスタン・ペルメーク等は、疎開先で美術の新しい潮流にめざめ、帰国後はそれまでとは全く異なる様式で制作を再開します。最初に彼等の興味をひきつけたのはドイツ表現主義で、またブリュッセルの新しい画廊セレクシオンを通じてフランス系のキュビスムの流れにも接することとなりました。

 1922年、オランダから帰国したギュスターヴ・ド・スメットとヴァン・デン・ベルグは、表現主義とキュビスムの融合というかたちで生を肯定する独自のフランダース表現主義を生み出します。それはドイツ表現主義の中でも、マルクやカンペンドンクが模索した人間・動物・自然の調和的共存と、キュビスムを通じて得た形態の単純化の中に、田園の素朴な生活を独自の造形言語で肯定的に表現するものでした。ヴァン・デン・ベルグは動物と共存する村人の姿を描き、そのほのぼのとした世界は絵本のような雰囲気を生み出し、ド・スメットは平穏に生活する素朴な人々をテーマに、様式化された人物像を描きました。一方、イギリスから帰国したペルメークは、素朴さと共に人間の荒削りな魅力を力強く深く掘り下げた作品を制作しています。
 シント・マルテンス・ラーテムでの芸術家の活動は1920年代末ぐらいまで続き、その後自然消滅していきましたが、この村の美しさは今も変わることなく人々を魅了し続けています。


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