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プラハ国立美術館展

ルーベンスとブリューゲルの時代

2007.6.9[SAT] 〜 7.22[SUN]

Bunkamura ザ・ミュージアム

学芸員による展覧会解説

プラハからフランドル絵画の名品が日本に来る理由

 およそ現在のベルギー北部にあたるフランドル地方では、17世紀にはアントワープなどの都市を中心に芸術文化が円熟期を迎えていた。タピストリーと並び絵画はその重要な輸出品目となり、作品だけでなく多くの優れた画家をもヨーロッパの主要都市に送り出した。「フランドル絵画」は当時すでにブランドだったのだ。しかしフランドルは「国」ではなく、ヨーロッパの名門ハプスブルク家が支配する神聖ローマ帝国の一地方にすぎなかった。帝国の主が城を構えていたのはボヘミアつまり現在のチェコの首都、プラハであった。

 しかしプラハが一大芸術センターになるには、芸術を愛したある特異な為政者の思いが鍵を握った。神聖ローマ皇帝ルドルフ二世である。政治的には無能に近かったこの君主は、錬金術に熱中しながらもプラハを魅力的な文化都市に育て上げる。時代的には1600年前後のこと。美術史的には、イタリア・ルネサンスの末裔たるマニエリスムの猟奇的な趣味と、写実的描写と闊達な作風の当時のフランドル絵画が、ここで見事な融合を見せるのである。そしてその素材として、ボヘミアの画家たちの手本となった輸入品こそが、本展に出品されている作品群なのである。

 ところでフランドル絵画と言っても様々な傾向があり、17世紀ではルーベンスとブリューゲルが二大潮流であった。ルーベンスはバロック芸術を代表する画家の一人で、躍動感溢れるダイナミックな作風を特徴とした宗教画や、王侯貴族や豪商の勢い溢れる肖像で知られている。非常に多産な画家で、アントワープの工房を通じて量産された多くの作品は、当時凋落傾向にあったカトリック勢力の威厳をビジュアル化する尖兵でもあった。一方の“ブリューゲル”とは、農民画で16世紀に一世を風靡したピーテル・ブリューゲルの子孫が形作る「ブリューゲル・ファミリー」のこと。のどかな田園の情景と共に、細密な描写による静物画の秀作を数多く残している。その一人ヤン・ブリューゲルは、1602年にルドルフ二世の招きでプラハを訪れている。

 近年EUの新たな加盟国として、ヨーロッパという大きな枠の中で勢いづくチェコの人々にとって、その血統の証でもある国立美術館の由緒ある絵画コレクションは、まさに彼らの誇りでもある。本展はその貴重な作品群を身近に観賞できる、またとない機会といえるだろう。


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