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パリからフランスの新幹線TGVで北へ約一時間。ベルギー国境に近いこの地方の中心地リールは、周辺の都市を抱き込む形で「首都圏」を形成する中核都市である。本展の作品を所蔵する美術館は、その周辺の衛星都市のひとつヴィルヌーヴ・ダスクにあり、正式には「リール首都圏近代美術館」という。
しかし都市は人口が多いだけでは一人前ではない。器としての美術館だけあっても中身が肝心。その意味でこの美術館のコレクションは、近代美術館系のもとしてはフランスでも一目おかれる、正統派のモダン・アートコレクションなのである。ではその理由を紐解いていくことにしよう。

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19世紀後半のフランスに印象派が出現して、絵画が一挙に明るくなったことはよく知られている。光と大気の戯れをもキャンヴァスに写し取ろうとした彼らの姿勢は斬新だったものの、観察者である人間を中心にしたルネサンス以来の遠近法をベースにした写実主義の延長に他ならなかった。それを決定的に覆したのがキュビスムと呼ばれる挑戦なのである。それは高性能の一眼レフカメラたろうとした印象派に対し、対象から来るさまざまな情報を元に画家自身の世界を画面上に組み立てなおす作業であった。そしてこの美術館は、キュビスムの名の起こりとなった記念碑的作品を所蔵しているのである。
20世紀初頭、ピカソはアフリカの仮面などの大胆な造形に触発されて、複数の視点から捉えたものを同一画面上に置いたとんでもない作品を発表していた。そしてそれに刺激されたブラックは、「自然を円筒と球と円錐で扱え」と唱えたセザンヌの教えに従って新しい表現を模索しはじめた。その最初の成果が本展出品の《家と木》である。単純化されたフォルムが作り出す堅固な構図を持つこの作品は、1908年のサロン・ドートンヌに送られたものの審査員に拒絶される。それは新しい美術の傾向にいち早く目をつけていた画商カンワイラーの画廊に展示されたのだが、それを見た評論家ヴォークセルは次のような有名なコメントを残す。「彼はフォルムを無視し、あらゆるものを幾何学的な図式、すなわち立方体〔キューブ〕の中に追いやってしまった…」。キュビスムは、もとは蔑称であった。 |
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リール近代美術館はロジェ・デュティユールという個人コレクターが集めた作品と、その精神を受け継いだ甥のジャン・マジュレルのコレクションのために設立され、1983年に開館した。とくにデュティユールは、産声を上げたばかりのキュビスムの作品を購入したコレクターとして知られている。換言すれば、当時の前衛芸術のよき庇護者であると同時に、画商カンワイラーのよきクライアントでもあったわけである。20世紀美術の冒険のクライマックスともいえるキュビスムの作品がこの美術館に豊富に見出されるのはそのためである。ピカソ、ブラック、レジェ、そして彫刻ではロランス。ここでは作品を描いた画家たちの気迫とともに、それを収集するコレクターの緊張感さえも感じられる。
しかしデュティユールはかなり個性的な、こだわりのコレクターでもあった。だからフォーヴィスムの系統の作品は非常に少なく、マティスを売ってまでモディリアーニを集めたことでも知られている。
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20世紀初頭のパリのアートシーンをエコール・ド・パリ、すなわちパリ派という言葉で総称するとき、多くの外国人画家を含むその青春群像のシンボルともいえるのがイタリア出身のモディリアーニである。モンパルナスからモンマルトルに移り住み、才能に恵まれながらも貧困と肺結核に苦しみ、35歳の若さで悲劇的な死を遂げたこの画家の生涯は、今も映画などさまざまな形で語り継がれている。しかしデュティユールが関心を持ったのはその生涯ではなく、むしろ肖像画家としての卓越した技量であり、作品の近代性であった。その結果リール近代美術館のコレクションは、モディリアーニではフランスの公立美術館の中で最も多くの作品数を誇るに至っているのである。
モディリアーニと同時代のピカソとブラック、そしてユトリロの一点以外は、エコール・ド・パリの画家の作品が逆に驚くほど少ないのもこのコレクションの特徴である。たしかにコレクターは、モンマルトルやモンパルナスとう言葉から連想されるドラマや哀愁は無関心であったのかもしれない。
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シュルレアリスム。それは両大戦間のパリを中心に展開した文学や美術における前衛芸術運動であり、フランスの詩人ブルトンがその旗頭であった。そしてパリは、第二次世界大戦という破滅を前に、芸術の中心地としての最後の輝きを放っていた。
目に見える世界ではなく、超現実の情景を無意識や夢の領域から引用し、あるいは空想たくましく築き上げるのが、彼らシュルレアリストの専らの関心事である。戦争に象徴される現実世界とは距離を置き、芸術家がその創作行為をひとつの極限にまで高めたのがこの運動であった。だからキュビスムのときのように、芸術家にはその先に何が開けるか分からないといった張り詰めた緊張感はあまりない。むしろ彼らには、より強烈な個性、独自の世界が求められたのである。
その代表的な画家の一人であり、リール近代美術館に作品が充実しているのが、スペイン出身の画家ミロである。直観的に伝わってくるユーモア、諧謔、喜び、悲しみ。それはこの画家だけが持っているとしか言いようのない、独自の造形言語である。そしてコレクターは、その好みにあった似た作品を探し出してきた。つまりそのドイツ語版がクレーで、ロシア語版がカンディンスキーといったところだが、それらは普通シュルレアリスムには分類しない。
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第二次世界大戦は国土にも人の心にも荒廃をもたらした。多くの人々は窮乏生活を余儀なくされ、それはパリの場合も例外ではなかった。そんな現実を直視したのがビュッフェである。鋭角的なフォルムと力強い黒い描線、冷ややかな色彩による独特な画風をもつこの画家は、フランス絵画史においてはクールベの写実主義の直系に位置し、「時代の証人」あるいは絵画における実存主義者と呼ばれた。たしかに彼の大画面の作品からは現実の重みのようなものが伝わってくる。
ビュッフェのような毅然とした姿勢を保ち続けた硬派の美術に対し、それとはまったく対極の、無邪気でナイーブな童話の挿絵のような絵も、戦火を潜り抜けて生き延びていた。19世紀のアンリ・ルソーを祖とするこの「素朴派」の系譜には、共通の技法や主義など一切なく、そもそも技法的特徴や主義自体がないことを共通点としていた。もっとも、たんたんと筆を運ばせる彼らの姿勢には、シュルレアリストたちが求めた無意識の領域、無我の境地とかなり近いものがある。コレクターの好みを反映しリール近代美術館はこれら「素朴派」の絵画が充実している。私たちは一見稚拙なこれらの具象画の前に立ってみるとき、それらが思いのほか雄弁で、不気味な真実、看過されがちな真理を秘めていることに気付かされる。そしてこの「素朴派」という呼称自体に疑問を抱くようになる―。
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