
愛するイタリアがムッソリーニのファシズムに飲み込まれると、エッシャーはスイスへ移転する。翌年の1936年、かつて立ち寄ったアルハンブラ宮殿を再び訪れる。これはスペインのグラナダにあり、かつてイベリア半島がムーア人に支配されていたときに建てられた、偶像を刻まないイスラム教独特の幾何学的装飾模様を特徴とする建築物。タイルのモザイク模様に用いられていた平面の正則分割が、エッシャーにひらめきを与えたのである。彼はこのジグゾーパズルにのめり込み、無味乾燥の幾何学的な図形を生き物の形に換えていった。知的な遊びに対する興奮。その試行錯誤の軌跡である膨大な習作は、「エッシャーノート」(特別出品)に細かく描きとめられている。
こうして出来上がった最初の傑作が《昼と夜》である。そこでは畑の市松模様が次第に輪郭と厚みを与えられ、闇を行く白い鳥と白昼を飛ぶ黒い鳥へと変貌する。これは白黒という版画の持つシンプルな特徴を最大限に利用した作品であるとともに、平面の正則分割と三次元の描写が合体することで、単なる「模様」の域を完全に脱し、空想と現実が融合したエッシャー・ワールドが出現している。
アルハンブラの発見には、平面の正則分割の模様性を逆に推し進めることによる別の到達点もあった。エッシャーは結晶学の存在を知り、数学者とも交流を深める中で、平面の閉じた世界に無限の観念を模索する。鳥から魚へ、そしてまた鳥へと変貌する形の循環、あるいは「円の極限」という連作に見られるような端に行くほど永遠に小さくなる模様。平面を数式ではなくイメージで追究するなかで、エッシャーは世界を支配する秩序の存在に気付いていく。そして彼は、そのゲームを心底楽しんでいた―
版画のなかで私は、私たちが美しく秩序のある世界に住んでおり、ときにはそう見えても、決して無形の混沌のなかに住んでいるのではないということを証明しようと努めてきました。
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